見出し画像

慣れって最強だと感じた日


小学生の頃のお話を、少しだけ。

皆様は、いつ自転車に乗れるようになっただろう。私は誰よりも、自転車の習得が遅かった。

こんな細い車輪に、乗れるわけない。


初めて自転車にまたがった時、自分には無理だと悟った。開始3秒でバランスを崩し、地面で顔面を強打した。

鬼ごっこでコケた時より数倍辛い、鼻がもげたと確信する鈍い痛み。大人になって忘れていた、無力感に似た敗北の味である。

そしてあの痛みは、私の自転車練習を妨げた。クラスの女子すら自転車で遊びに行く中、私は自転車と距離を置いた。

クラスで唯一の、徒歩少年の完成である。

僕は一生、徒歩で良い。


あの痛みを感じるくらいなら、もう自転車なんていらない。僕は一生、歩いて生きる。

そもそも最初から、自転車なんてなかったと考えよう。自分が原始時代に生まれたのだと思えば、別に辛くもなんともない。

自転車が乗れないなら、大人になって自動車に乗ればいい。父に相談すると、どうやら自動車なら顔面からコケることはないらしい。

じゃあ、あと10年くらい我慢すればいいんだ!心の底から、そう思った。


友人の家に行くにも、根性で走っていく。ゲームを忘れて取りに帰る時にも、全力疾走。

時には友達同士で、自転車の旅すら計画された。その時にも私は、その道のりを走り抜いた。

今考えてみれば、なんて無謀だったのだろう。自転車必須の田舎のコロニーで、私は足のみで生き残ろうとしていた。

ちなみに地元で一番大きいジャスコまで、自転車を使っても30分。その田舎独特の地獄の道のりを、ファンタ1本の水分補給で走り切っていた。

でも、終わりは来る。

ついに、その日がやってきた。自転車なしで田舎を生き抜ける、そんなわけはなかった。 

忘れもしない、小学4年生の夏休み。解散間際、一人の友達がとんでもないことを言い始めた。

チャリで鳥取砂丘に行こう。


鳥取砂丘。

それは私達の住む岡山の上に位置する、鳥取が誇る観光地。全てが砂だけで作られる、小学生達の憧れの聖地だ。


行きたい。
無茶苦茶に行きたい。

鳥取砂丘に行き、ミニ四駆でレースをしたい。誰にも怒られることなく、思う存分愛車を走らせてみたい。

しかし問題は、その距離だ。

隣の県である以上、絶対にジャスコより近いわけがない。私は無関心を装いながら、食事中に父親に尋ねてみた。

「別にどうでもいいんだけど、こっから鳥取砂丘までどのくらいなん?」

最初は「行きたいんか?」と聞かれたが、走っていくとは口が裂けても言えやしない。そのため「宿題で出た」と、なかなか上手な嘘で誤魔化した。

父親は、疑うことなく教えてくれた。ビールを飲みながら、大変ご機嫌に。

車で2時間くらいじゃな?


2時間…!
自転車の上位互換である、自動車でも2時間…!!

当時の幼い計算力でも、その時間がヤバいことは理解できた。車で2時間かかる距離が、どれほど遥か遠くなのか。

自動車って、あの鉄の乗り物だよね?走っても走っても追いつけない、タイヤが4つ付いてるアレだよね?

あの爆速の乗り物でも、二時間…。むしろ自転車でも、小学生には不可能な計画ではないだろうか。

それを自転車で行こうと。


友人の中倉君は、そう言いだしたのだ。

さすがは無茶な提案に定評のある、中倉君。そのクレイジーさは、長靴にダンゴムシを詰めていた頃から感じていた。

しかしもし仮に、彼のアイデアが承認されたなら…。一体私は、何キロの道のりを走破すればいいのだろう。

そう思い、公文式で習った掛け算で計算した。自動車が60キロで走るとして、二時間ならどのくらいの距離なのだろう。

2時間×60km/時間=120km


120㎞。


一瞬イケるかな?と思ってしまった。若いって怖い。

しかも季節は、小学生の脳内が沸騰する夏休み。正常な判断が出来るはずもなく、友人たちは完全に乗り気だった。

イケるわけがない。
でもイケると思ってしまう、絶妙なお年頃。

後日私達は、再度集合した。しかし彼らの熱は冷めておらず、鳥取!鳥取!と、大はしゃぎだった。

たったマラソン三回だよ!と言い張る、 中倉君。
120kmにピンと来ていない、山根君。
夕方には帰って来れると言う、根拠のない吉村君。

もうだめだ。

誰一人として、不可能だと判断しない。このイケイケの雰囲気を打破してくれるのは、誰かの母親だけである。

しかしその肝心の最終兵器も、今は近くに居ない。これが朝9時から校庭に集まる、夏休みの恐ろしさだ。

そして向けられる、私への目線。自転車に乗れない私に対する、憐れむような6つの瞳。

まずい。
お留守番させられる。


ご記憶にあると思うが、夏休みのお留守番って最悪だ。皆が遊んでいる中で、一人だけお留守番をしなくてはならないのだ。

家で素麺を食べている間、友人たちは堂々と買い食いをする。昼食という大義名分で、普段は食べないタコ焼きとか買って食べる。

だめだ。
想像するだけで、悲しくなってくる。

母親が昼食に用意してくれる、大好物のスーパーカップすら喉を通らない。夏休みのお留守番というのは、それほど小学生にとって最悪の事態である。
 

どうしよう。
このままでは、本当に置いて行かれる。

ねこちゃん走ろう(*‘∀‘)!と言い出す友人は、流石に一人もいない。むしろ走って参加していたら、岡山の県境辺りで捜索願を出されるに違いない。

顔面強打 VS お留守番の恐怖。

決断は下った。

誰もが経験した自転車練習と、今こそ正面から向き合う時である。


「あんなグラグラする車輪が、足より速いわけがない。車輪が外れて、車に轢かれるかもしれない。」

「むしろあの鉄とか、体に悪いんじゃないか?ハンドルから変な成分が手に入って、病気になるんじゃないか?」

そんな理不尽な言い訳とも、もうお別れ。乗らない理由が、乗る理由を凌駕した。

自転車に乗ろう。


小学生にとって、友人にハブられることほど恐怖なものはないから。


恐怖の連続だった自転車訓練



自転車の訓練がしたい!

私はその日の夜、父にお願いした。封印していた自転車を、今こそ出してくれと。

すると父は、とても喜んでくれた。父は父なりに、私のダッシュ生活を危惧していたのだ。

いつか無理にでも、自転車の乗り方を教えなくてはいけない。そう思っていたらしい。

そしてテンションが上がった父親は、毎日訓練に付き合ってくれると言った。しかし父との時間が取れるのは、彼の出勤前の朝だけ。

それでも早起きをして、絶対に練習をしてやると。それほど父は、私の自転車練習に乗り気だった。

ちなみに兄は、お前にはムリムリ!と叫んだ。
母に叱られた。
天罰である。


翌朝6時。

自転車の練習は、驚くほど早朝から始まった。それはまだ、ラジオ体操が鳴り響く時間帯だった。

自宅から少し歩いたところに、小さな公園がある。そこでは毎朝、夏休みのラジオ体操が開催される。

その音が響いてくる時間は、いつも私は夢の中。ラジオ体操嫌いの私にとって、めったに聴かないサウンドである。

しかし。

父はホコリを被った自転車を引っ張り出しながら、私に言った。「明日から、その公園で練習するぞ」と。

え!?
こ、公園で練習すんの!?


まさかの事態に、私は慌てた。しかし「なに言ってんだ!こちとら仕事前だぞ!」と、正論で怒られた。

しかし私は、頑として首を縦に振らなかった。絶対にその公園では、練習をしたくないと。

なぜなら当時想いを寄せていた、近所の幼馴染。彼女もまた、その公園でラジオ体操に参加しているのだ。

なぜ自転車に乗れないことを、彼女の前で公表しなくてはならないんだ。そんな辱め、小学生に乗り越えられるワケがない。

私は駄々をこねまくった。駄々の見本と言わんばかりに、両腕をぐるぐる回転させた。

ぶったたかれた。


早朝、練習が遂に開始した。 

朝6時前、ニコニコで自転車を用意している父。朝靄のかかる庭で、父は自転車に愛情を注いでいた。 

もうむしろ、私の代わりに乗ればいい。その方がきっと、自転車も幸せだ。

自分から頼んでおいて、私は少しやさぐれていた。だってこれから、公開処刑が始まるのだから。


ラジオ体操の音楽が、公園から聞こえてくる。そして間違いなく、私の好きな子がそこにいる。

分かるのだ。第七感くらいで、ビビッと感じ取れるのだ。

そしてついに、自転車が出陣する。すると父親が乗った自転車は、明らかに徒歩の5倍は早かった。

おお、さすがは自転車。なんという速度。

私も興奮しながら後を追い、公園まであっという間に辿り着く。しかし心の準備など、1グラムも出来ていなかった。


ラジオ体操に興じる、近隣住民たち。そして彼らの目線が、一斉に私に向けられる。

ドラ〇モンのヘルメットをかぶった、自転車にまたがる少年。その隣には、ハイテンションのおじさん。

誰がどう見ても、自転車練習だ。これを運動会の練習と考える方は、この世にはいない。

帰りたい。

私はここで、公開処刑されるのか。毎朝挨拶を交わす近隣住民の前で、何回コケることになるのだろう。

その恥ずかしさは、過去最高。恥ずかしさというより、一種の地獄だった。

しかしそんなこと、仕事前の父には関係ない。早速自転車に乗せられ、いきなり後ろから押し始められる。

誰もが見たことのある、あの光景だ。自転車練習の始まりである。


 ズッザァァァァ…!!


早速コケる。

そして、クスクス笑われる。
さらに、応援される。

その時、私の顔は何℃だったのだろう。目玉焼きが焼けたと思う。

何度も転び、地位と誇りを何度も失う。小さな小さな少年の、大切に育ててきた大切な誇りを。


ズッザァァァァ…!!


がんばってー!
しゅんくーん!
上手くなってるー!


ズッザァァァァ…!!


いいよいいよー!
直ぐ出来るになるよー!
うちの子もそうだった―!



許してください。

そしてラジオ体操の終了と同時に、練習も終了する。父の出勤時間だ。

ボロボロになりながら、涙を流しながら帰宅する。しかしそれでも、父親は励ましてくれた。

良くあんな転べるな。
お前、才能があるぞ。


何の才能だ。
言葉は正しく使って欲しい。 

そんな感じに励まされ、父親と一緒に帰宅する。そして明日もやるからな!と、次の処刑日時を告げられる。

でも実は、結構嬉しかった。

私は想像していなかった。父がこんなに本気で、私に付き合ってくれるとは。

一人で公園に行っていたら、きっと5分で諦めていただろう。そして今も、自転車に乗れていないだろう。

無理矢理にでも見守ってくれる、その心強さ。父も昔、同じように見守られたのだろうか。

もしそうなら、私にも愛情を注いでくれているのだろうか。今となっては、そう感じる。

ただ当時の私は、そこまで素直ではない。「明日もやんのか…」と、 嫌な気持ちが二馬身差で先行していた。

慣れ始めた自転車練習


さらに翌朝。

今日も笑顔の父が、自転車を磨いている。またあの辱めが始まるのだと、私は覚悟した。

そして公園に着くと、昨日と同じラジオメンバー。当然私の好きな幼馴染も、じっとこちらを見ている。


おい!始めんぞ!


仕事を控えてる父は、私にガシガシ練習をさせた。そして昨日と同じように、何度も転び、何度も応援された。

ズッザァァァァ…!!


今日も頑張っとるなぁ!
良いお父さんじゃなぁ!
もうちょい、もうちょい!

ズッザァァァァ…!!


惜しい惜しい…!
昨日より遠くいけとるで!
上手くなっとるでぇ!


恥ずかしさは未だ変わらず、現役バリバリ。昨日と変わらない劣悪な運動神経に、遺伝子的な敗北感を感じる。

そしてラジオ体操が終わり、自転車と一緒に引き上げる。父と帰宅をして、その日は朝ご飯も一緒に食べる。

いつもの朝と、何も変わらない。違うのは膝が痛いことと、普段よりご飯が美味しいことだけ。


そして変化は、4日目に訪れた。


鮮明に覚えている。

いつものように公園に行くと、いつものラジオメンバー。彼らはいつものように、私を応援してくれている。

えらいなぁ。
頑張っとるなあ。
すぐ出来るようになるけん、頑張りんちゃい。

そんな言葉をかけられている時。
私はふと思った。 

なんか…。
慣れてきた…?

別に技術が向上したわけではない。元より運動音痴の私は、ビシバシこけ続けていた。

しかし周囲の目線が、 全然気にならなくなってきた。いつもなら恥ずかしくて死にそうなのに、全く平気なのである。



なんだこれは。

私はどうしちゃったのだろう。

初めて体験する、恥ずかしさへの慣れ。あんなに苦痛だった周囲の視線が、全く気にならなくなってきた。

いやむしろ、もっと見て欲しい。そして私の成長を、奥様独特の観察眼で褒め倒して欲しい。

これはいい。
これならいくらでも練習できる。

私はだんだん調子に乗り始め、ラジオ体操の近くまで自転車を走らせてみる。最初は人里を嫌う妖怪のように、あんなに距離を取っていたのに。



そこには、好きだった幼馴染もいる。事前調査済みだ。

もちろん私は、気付かないフリをする。「ちょっと通りかかったんだ」的な雰囲気で、自転車で横をフラフラ通り過ぎる。

よく考えれば、相当ダサい。そういうことは、もう少し乗りこなせる人がやるべきだ。

ただ当時は一種の陶酔状態だったし、誰よりも輝いていると確信していた。「慣れ」というのは、それほど中毒性の高い成分である。

しかし実際のところ、この経験は今でもかなり役に立っている。何かをやる時に、恥ずかしいと思うことはあまりない。


何か言われるもしれない。
笑われるかもしれない。


こういった恐怖心は、かなり薄い。この自転車練習が、かなり役立っていると断言できる。

ただこの抵抗力は、全ての羞恥心に対してではない。「アイス温めてください」とコンビニでお願いできる、そういう類のメンタルは持ち合わせていない。

そんな恥ずかしさは、人並みに感じる。これはあくまでも、「失敗したら恥ずかしい」という種類の羞恥心を克服したお話である。



そしてその日も、何度も自転車をこぎ続けた。応援されながら、父親に押されながら、練習を続けた。

早くも4日目。
普通ならば、次第に乗れるようになるとお思いだろう。 

しかし私の幼少期の運動神経は、まさに人外。今でこそ人並みだが、圧倒的なポンコツ三等兵だった。

コケてもコケても、コケ続ける。

頭で考えて修正する習慣が、一切なかった。むしろ「1000回コケたら乗れるようになる」という、黒魔術的な発想に突き動かされていた。

しかし。
ここでも私は、また一つ気が付いた。


そんなに…。
こわくない…?

 
あんなにも恐怖だった転倒が、もはや当たり前になってきた。脳が新鮮な恐怖だと、判断しなくなったのだろう。

すると次第に、アグレッシブな漕ぎ方で攻めはじめる。もしかしたら、速度が逆に足りないんじゃないかと。

ここまで来れば、もうゴールは目の前だ。直ぐに乗れるようになるに違いない。

ただ今だからそう思えるが、当時の私は絶賛パニック中。乗れない苛立ちと疲労が重なり、焦りはさらに加速する。

早く乗れるようにならないと、お留守番だ…!1人で吉本新喜劇を見るなんて、まっぴらごめんである。

そんな自問自答の中、私はだんだん慣れを重ねて行った。あらゆる恐怖に慣れ始め、恐怖は殆ど忘れていた。 

そして遂に。

私は自転車に乗れるようになった。誰がどう見ても、立派なチャリンコ少年に進化したのだ…!


コケる痛み。
突如体が傾く恐怖。

周囲からの視線。
出来ないことがバレる不安。

朝の早起き。
汚れた服の不快感。

全部、父が無理やり克服させてくれた。いや正しくは、一緒に慣れるまで付き合ってくれた。

自転車に乗れる。その時の感動は、今でも鮮明に覚えている。

ちなみに初めてのお使いは、シャトレーゼに行った。自転車に乗れるようになった、ご褒美を買いに。

もちろん、自転車をこぎながら。途中で転倒し、シュ―アイスは道路が食べてしまったが。

慣れって最強だよね。


そして慣れるまで付き合ってくれる人がいると、すごく心強いよね。

どんなダイエットも筋トレもお仕事も、必ず慣れる。死ぬほど忙しくてもも、明日はもっと簡単になる。

その成長を繰り返せば、必ず理想の自分に近づける。自分の嫌いな性格や行動も、きっと改善できるだろう。

そんな綺麗ごとをぶちかましつつ、最後に感謝申し上げたい。ここまで読んでくれて、本当に有難う。

おわり。

良かったらシェアしてね。

うっ…サポートを頂いたら即日飲み代に使ってしまう病が…