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旅行記 / 九州北部 福岡・佐賀・長崎の鉄道と街々を堪能 [前篇] (2021/06)

九州北部の鉄道を乗りつくしてやるぞ、という意気込みで。


2年前に九州をぐるっと一周した時に使った「旅名人の九州満喫きっぷ」が今回の旅のお供。JRの特急には乗れないとはいえ、その他の私鉄線にも乗り放題というのがとても魅力的です。

なるべく一筆書きになるようにぐるぐる乗りつぶし。路線図を見れば分かるかと思いますが、九州北部にも相当複雑に路線網が張り巡らされています。普段なら次はどの路線のどこ行きに乗って…を覚えている自分でも、今回については(特に前半は!)覚えきれなかったです。


備忘録も兼ねて書いている旅行記ですが、行ってから書くまでの時間差が徐々になくなってきて記憶も鮮明なままで、書きたいこと・載せたい写真が増えています。前編と後編に分けて長々と書きますがご了承ください…。

何に乗って、どこへ行ったか [前篇]

● 主なJR路線:筑豊本線、後藤寺線、日田彦山線、香椎線、篠栗線
● 主な私鉄路線:平成筑豊鉄道、西日本鉄道、甘木鉄道、福岡市地下鉄
● 主に行った場所:海の中道、金印公園
● バランス:[観光] ・・・・★[鉄道]

◆Day 0◆ 夜行バスで九州上陸

朝一から移動したいので、まずは夜行バスで小倉まで。関西から西へ向かう夜行バスに乗るのは初めてでわくわくでした。

…夜行バスではなかなかよく眠れません。寝てるか寝てないか、夢うつつの状態のまま午前3時半頃に停まった美東SAで目が覚めました。建物に入ってみるとSAスタンプが置いてあったので記念に一枚。まるで駅みたいですね。


小倉駅には5時前に到着しました。夏至前で夜明けが早かったです。あまり眠れていないため寝ぼけながら行動開始。このあと、寝不足が徐々に響いてくるのでした…。

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よく見ると駅に500系新幹線が停泊していました。おはようございます。

◆Day 1◆ 始発の若戸渡船で戸畑から若松へ

寝ている間に九州に上陸したので九州に来た実感が特にありませんでした。ちょっと惜しいことをしたかなと思いつつ小倉から戸畑まで列車に乗って、戸畑から早速歩きます。

目の前に赤くてデカい若戸大橋が見えてきました。若松と戸畑を結んでいるので「若戸」です。さすがに歩行者はこの橋を渡れないため、その下を航行する若戸渡船で対岸の若松に渡ることにします。

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たった3分で若松に到着しました。運賃も大人一人でたったの100円。船での移動も面白いですね。

もちろん船からは若戸大橋を下から眺めることができます!

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若松港の方が港町風情がありました。早朝なので人通りも車通りもほとんどなく、静かなひとときを過ごせました。

出発前に地図を見ていた時には、若松駅まで遠いかなと思っていましたが、実際歩いてみると10分ほどで到着。近くには若松操車場跡があり、機関車が置いてありました。転車台跡らしきところは広場になっていました。


若松に停まっていたのは「DENCHA」の愛称がある蓄電池電車、BEC819系でした。架線のない非電化区間でも走れる電車です。ちなみに車内は写真のような様子で前回紹介した水戸岡鋭治氏のデザインです。座席の背もたれが高いため、座りながらだと若干景色が見づらいのがちょっと残念。

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若松~折尾の区間は筑豊本線の一部ですが、折尾から先まで直通する列車は少ないです。半ば独立路線であり「若松線」と呼ばれています。海側は工業地帯で、大きな建物が並んでいました。15分ほどで折尾に到着です。

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鹿児島本線と交差する折尾で乗り換えて先に進みました。筑豊本線の折尾~桂川の区間は篠栗線と合わせて「福北ゆたか線」と呼ばれています。

余談ですが、私は同じ路線の単純往復をあまり好みません。今回は若松線を単純往復しないために若松まで船で移動したのでした!よくやる手です。

後藤寺線と平成筑豊鉄道と日田彦山線に乗る

初日の早朝からバリバリの乗り鉄をすることとなった今回、見出しに挙げた3路線をいかに効率よく乗りつぶすか?という点で計画するのにかなり苦労しました。なお日田彦山線はBRT転換の決まった不通区間もあるため、全線制覇にはこだわらないことにしました。代行バスではちょっと面白くない。

せっかくなので、ここからは実際に乗った順番を逐一記しておこうかと思います。地図や路線図も検索して、一緒に見ていただくと分かりやすいかも?

折尾→(筑豊本線)→新飯塚→(後藤寺線)→田川後藤寺

直方までは昨年乗っているので、直方から先が初めての区間です。川沿いで眺めがそこそこ良い区間でした。

そして新飯塚で後藤寺線に乗り換えました。車窓に田園風景が広がります。乗っている車両もすれ違う車両も国鉄型、まだまだ健在です。

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筑前庄内あたりから突然山の方へ入ったかと思えば、真横に巨大なセメント工場がある船尾を出るとすぐ標高を下げて街の方へ。次の街へひと山越えたという感じです。

終点の田川後藤寺は古いターミナル駅みたいな雰囲気でした。非電化なので架線がゴチャついてなくて良いですね。

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田川後藤寺→(平筑)→金田→(平筑)→直方→(平筑)→行橋

ここから第三セクター路線である平成筑豊鉄道へ。「平筑」はその略です。早速驚いたのが、MrMax(ミスターマックス;ディスカウントショップ)が駅名に入っていたことです!この他にも眼科の名前が付いている駅もあり、ネーミングライツだと理解しました。

金田で乗り換えて直方まで一度戻ります。駅横の東筑軒にて遅めの朝ご飯を食べて折り返し。乗り鉄の時は食べるのを忘れがちです。パワーチャージをしてから行橋(ゆくはし)まで1時間半ほど乗り通しました。

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田川伊田で乗客がそこそこ降り、線路も単線となりました。この辺りで強い眠気に襲われました。朝5時の行動開始から6時間経っています。しんど…。

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駅名に早々と「令和」を取り入れた令和コスタ行橋を出たら一気に市街地に入りました。終点の行橋に到着です。

▽行橋→(日豊本線)→城野→(日田彦山線)→田川後藤寺新飯塚

行橋から城野へ行き、日田彦山線に乗って田川後藤寺方面にまた戻っていくルート。城野のホームには嵩高部分と低い部分があり、日田彦山線の列車は低い方に停車しないとドアの高さと合わない様子でした。

田川後藤寺では3編成並んだ姿を写真に収めることができました。いつまで走り続けるんやろ…?そして方向幕をよく見てみると、行先ごとに地の色が違っています。後のDay 2で出てくるキハ40の写真にもご注目。

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石灰石がよく採れるのか、削られた山や大きな工場が点在していました。

香椎線からバスに乗り継いで志賀島に上陸

新飯塚から福北ゆたか線の続きに乗って長者原(ちょうじゃばる)へ。香椎線に乗り換えます。福北ゆたか線は途中、大和路線みたいな雰囲気でした。

長者原では福北ゆたか線と香椎線が立体交差しています。宇美方面の乗客が多そうでしたが、降りてきた乗客も多く結局車内は空いていました。

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宇美駅は1面1線の小さな駅でした。ここから宇美八幡宮が近いようですが、今回は時間がないので行かず。というか行くまで知りませんでした。

宇美で折り返して、香椎線のもう一端である西戸崎(さいとざき)に向かいました。またしても強い眠気に襲われ、意識が途切れながらも必死に景色を眺めるという状態に。傍から見たら体調不良者のようだったと思います…。せっかく乗りに来てるんで、完全に寝てしまうともったいないと思うんですよね。


香椎で海の中道方面、西戸崎行きに乗り換えました。海の中道ということで間近に海が見えるかと期待していましたがあまりよく見えず。それでも線路脇まで砂浜が迫っていたのには驚きです。

西戸崎に着いたらデカい文字がお出迎え。謎の存在感。「にしとざき」ではありませんよ。

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海の中道海浜公園は臨時休園で仕方ないので、バスに乗って志賀島へ行ってみることにしました。志賀島といえば昔習ったあの「金印」ですよね!

海の中道から志賀島までは見事な陸続きで面白かったです。バスから見える景色の両脇が砂浜と海で、新鮮でした。

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志賀島の入口から金印公園までは1.5km程度、もちろん歩きます。住宅地を抜けて「金印海道」に沿っていきました。ただ、歩道という歩道はないため歩くには少し危なかったです。そもそも歩いて行く場所ではない?

公園に到着してから階段で展望台まで上ると、金印のレプリカが鎮座していました。晴れてたらもっと綺麗に見えたかも。こんな所から金印が出土したというのが不思議ですね。

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展望台からは海がよく見えます!

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帰り際に志賀海神社にもお参りして満足しました。梅雨のど真ん中ながら、歩いている間にはほとんど雨が降らず運が良かったと思います。再びバスと香椎線に乗って博多方面へ。

晩ご飯にもつ鍋を食べたかったのですが、営業時間短縮の影響で入れませんでした。明日絶対にリベンジしたいと思いつつ眠りに就きました。

◆Day 2◆ 狭軌の西鉄貝塚線を往復する

「旅名人の九州満喫きっぷ」ではもちろん地下鉄にも乗ることができます。この日はまず地下鉄箱崎線に乗ってから西鉄貝塚線に乗りに行きました。

箱崎線内はガラガラで、貝塚駅で地上に出ました。貝塚線でも香椎あたりでほとんど乗客が降りてしまい、終点の西鉄新宮まで乗っていたのは自分だけでした。写真を西鉄新宮駅の外から一枚。

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西鉄の路線はほとんど全てが標準軌、つまりレールの間隔が広いのですが、この貝塚線だけ狭軌となっていてJRと同じ幅となっています。以前から気になっていた路線だったので乗りに来られて良かったです。

ここは盲腸線(終端で他の路線と接続しない路線)のため折り返しで博多へ戻りました。地上に出るとドン曇りで、蒸し暑くて今にも降りそうな雰囲気でした。


そして念願のもつ鍋にありつけました!付け合わせの明太子と郷土料理の「おきゅうと」も美味しかったです。足りないかな?とも思っていましたが〆のちゃんぽん麺も合わせると充分なボリュームでした。

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満腹になっていざ出発。

筑豊本線の閑散区間と甘木鉄道に乗る

この日の次の目的路線は「原田線」です。筑豊本線の一部ではありますが、他の区間とは独立した運転系統で原田線(はるだせん)という愛称が付いています。運転本数が少なく、狙わないと長時間待ちぼうけを食らうことに。

博多から福北ゆたか線で、関西にいるとどうしても「かつらがわ」と読んでしまいたくなる桂川(けいせん)に到着。ちなみにこのタイミングで篠栗線(桂川~吉塚)にも完乗となりました。

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なお「原田」の方向幕の地の色は緑でした。

沿線の所々にアジサイが見られて綺麗でしたが、窓ガラスが汚くて見えにくかったのがちょっと残念です。窓開けてもよかったかな。

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山を越えて原田に到着。前日の城野と同様に、ここでも原田線のホームが他よりも一段下がっていました。

さて、原田から基山まで2駅進むと次の乗り換え路線が現れます。甘木鉄道甘木線です!基山~甘木の第三セクター路線となっています。

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最近第三セクター路線でよく見る車両がやって来ました。一面に田園風景が広がったと思えば街中の高架区間に突然入るなど、様々な車窓風景を楽しみながら終点の甘木まで乗り通しました。

そして甘木駅前には下の写真のような碑が!

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「日本発祥の地 卑弥呼の里」とは大きく出ましたね。邪馬台国の所在地については諸説ありますが、こうした潔い宣言主張は好きです。

西鉄乗りつぶし!

甘木鉄道の甘木駅から徒歩5分にある西鉄の甘木駅へ。甘木線は普段の半分しかない60分間隔の運転になっていて、危ないところでした。事前に調べていた列車は無事運転されました。

「甘観タクシー」のようなローカルな看板、良いですね。

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メイン路線の天神大牟田線でも運転本数が削減されていました。天神大牟田線と合流する宮の陣からは天神方面の急行がないため、久留米まで一旦出てから特急に乗り換えるようアナウンスがありました。折り返し乗車を公式に認める扱いに驚きです。

私は久留米からそのまま大牟田方面へ。久留米の隣駅である花畑にて特急に乗り換えました。

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そして来たのがまさかの5000形!普段は平日のラッシュ時にしか特急に充当されていないそうで、この臨時ダイヤ下での特別な運用のよう。もう廃車も始まっている形式の最後の勇姿ということでしょうか。

ちなみに京阪も緊急事態宣言期間中の臨時ダイヤで、普段は特急に入らない7両編成の形式が特急で運転されていますね。…どうでもいい話でした。

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田園地帯の真ん中で、新快速もびっくりの爆走っぷりを見せてくれました。直線が続くのでスピードも出しやすそうです。単線区間に現れる一線スルー構造は見事でした(「一線スルー」…調べてみてください)。


大牟田からは折り返し特急で天神へ。爆走区間での縦揺れが酷くてビビっていました。揺れすぎ?脱線しない?と他の乗客の皆さんとも顔を見合わせる始末。結局何事もなく良かったですが、ちょっと心臓に悪かった

下大利駅付近は高架化工事の最中。比較的長い区間を高架化するようです。そうこうしているうちに終点の天神駅に到着しました。太宰府線にはだいぶ前に乗ったことがあるので、これで西鉄全線乗りつぶしを達成!めでたし。

夕陽の筑肥線から夜の唐津歩き

地下鉄空港線で福岡空港まで乗って、折り返しの快速で唐津へ。姪浜からJR筑肥線に直通する列車です。空港線内は各駅に停まります。

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今回の旅行ではこれで福岡県に別れを告げるのですが、地下鉄は七隈線だけまだ乗り残している状態となりました。またの機会に乗ってみたいですね。

筑肥線に入り、下山門を過ぎると海が見え始めました。さらに筑前深江から海が真横に!雲の隙間からギリギリ夕陽を見ることができました。ちょうど良いタイミング。

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筑肥線は辺鄙な場所を走ると勝手に思っていましたが、少なくとも筑前前原まではそうでもなかったです。唐津城が右手に見えてきて終点の唐津に到着しました。

このままだと唐津~西唐津の唐津線末端区間には乗れないので、乗り継ぎで西唐津を目指しました。黄色の気動車で車内はちょっと暗め。

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西唐津駅の先には広い車両基地があり、そこへ回送する際のついでに乗客を乗せているようにも思えます。

車両基地にはいろいろな車両が停まっていました。入替作業を見ているだけでも飽きなさそうですね。

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西唐津から唐津に戻ってしばしの散策。唐津城は光っていました。城下町ということで町名や街路の形状などにその名残がよく現れていました。友人と東海道五十三次を歩くなかで得た知識が役に立ちます。

近くのアーケードでは妖しいイルミネーションが。すでにお店はことごとく閉まっていましたが…。

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写真中央にチラッと見える通り、提灯が飾られています。どうやら町ごとにオリジナルのマークの提灯があるようでした。こういうの、ちょっと面白いですね。そのままお宿に戻ってこの日はおしまい。


これで今回の前半2日間が終わりました。次は後半、3日目の朝からスタートします。さらに西進して平戸・長崎方面へ!

後篇につづく…。

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