見出し画像

こだわりの放棄と人付き合い

 ねこっちです。うつ病の療養中、何もしない時間を過ごすと思うことがあります。

 2023年10月、私は「こだわりの減退」によって精神が安定し、穏やかになることができていた期間がありました。それは、絶望的な思考が次から次へと押し寄せ、自分を傷めつけ、奇声をあげ、暴れ、救急車で運ばれていたような、それまでの自分とはまるで別人のような穏やかさでした。

 この「こだわりの減退」は、様々な側面で私に確かな精神安定をもたらしたのですが、今日はその中でも「人付き合い」の面にフォーカスしてみたいと思います。


不安定の起源

 私は常に絶望的思考と隣り合わせで生きてきました。その起源は、中学時代にさかのぼります。

 中学に入学した私は、非常に繊細で壊れやすいメンタルをもっていました。その壊れやすさというのは、実際、次のような感じです。

THE BLUE HEARTSの『終わらない歌』の一節
「終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため」
をCMで聞いた時、「こんな温かい世界がクソッタレなんて、世界がかわいそうだ~!」と言って泣きじゃくった。

 この文面だけ見ると、一見、幼稚園のころくらいのエピソードかと思いますが、何とこれは小学5年時の3学期に実際にあった話です。

 私は、「弱い」「優しい」「幼い」といった心を極限まで大きくしたような、何とも言えないメンタルをもっていました。

 そのような私が、そのままの心をもった状態で、上限関係の厳しい、先生方も暴言体罰は当たり前だった中学に入ったとしたら・・・。想像に難くないように、心がズタボロになりました。

 このころから幻聴、フラッシュバックと言った症状も多くなりました。また、「嫌なイメージが関係ないものに突然結び付いて離れなくなる」という謎の症状も現れ、実際「たべっこどうぶつ」というお菓子のキリンの顔に嫌いな先生のイメージが結びついたことがあったので、たべっこどうぶつのパッケージを見ることができない時期もありました(今は克服済み)。

 中2のころには、このような状態に慣れたことである程度は精神状態が安定したのですが、中学入学時のショックで、次の2つのことを、その後も引きずるようになってしまいました。

(1)不安定と、突然出て来る絶望的な思考。
(2)心の成長が小6の最後で止まってしまった。

 特に(2)について、私は自分が大きく傷ついた中学1年時以降に出会った物事を「異質なもの」と認知してしまうようになり、小6以前にはなかった概念、例えば「先生が汚い言葉(~しろ、アホ、~するな)を使うこと」や「大人が完璧でないこと」などは未だに信じられません。

 さらに言えば私は発達が遅かったため、小6時点での成熟度が、一般の幼稚園児程度(???)なので、実質、「人としての強さ」や「ものの考え方」は4~5歳児程度だと思われます(もっとも、「人としての強さ」などは多面的なものなので、単純に数値で比較することはできないのかもしれませんが・・・。)。

 私は、心が幼いまま凍結されたような状態で生きているため、実生活において分からないことが多いです。このことは、去年の「心の平穏」の時代も変わらなかったことでした。

不安定な人付き合い

 私は、自分自身が不安定であり、なおかつその不安定の大部分は中学時代から続いているので、今の私を知るには中学時代からさかのぼらなければならず、私はずっと過去を背負って生きているような感じでした

 この点において最も苦労したのは、人付き合いでした。他者の言った言葉や、他者の言動が、私を刺激し、不安定になってしまうことが、これまで何度もありました。私が不安定になった理由を説明するには、過去(中学時代)から説明しなければならず、それはほぼ不可能なことでした。

 他者は「今の人」なのに、私は「過去を背負った人」なので、いつも他者と歩調が合わず、私は誰とも合わないような人でした。

 そのため、主治医、母、大学の先生、訪問看護の看護師の方など、付き合っていく人たちに迷惑を何遍もかけてきました。上記の人たちはみな「今を生きている」のに、私は「過去を生きている」ので、合わなかったのです。

 いつも「これが私の特性です・・・」と、フラッシュバック、幻聴、悪いイメージ、絶望的思考などを説明しながら他者と付き合ってきました。私は、それが嫌でした。

逆転の発想

 そこで、私は「心が幼いのはもう変えようがないことだ」とあきらめるようになりました。

 私は、「弱い」「優しい」「幼い」を極限まで大きくしたような気質をもっており、それが中学時以降凍結している以上、幼いんだったら幼いなりに生きようと思うようになりました。

 これが、「自分に対するこだわりの放棄」です。恐らく、この凍結を解くこともできるのかもしれませんが、これは例えて言うならば、私の人生を預けられるほどの力量をもつ超一流のカウンセラーか誰かにうまく心をほどいてもらわない限り不可能です。

 だったら、凍結を解いて精神年齢を成長させることは諦め、今の状態を前提にして、その上に新しい人生を構築していこうと思ったのです。

 「自分はどうして幼いんだ」「自分はダメなのではないか」と言った考えを放棄したのです。その代わり、「自分が幼いのは仕方ない」「自分がダメなのは仕方ない」と考えを変え、その「仕方ない」の上に「ではどうするか」と考えるようにしました。

 その一つとして、人付き合いにおいて、過去の自分を持ち込むことを放棄しました。他者の言葉で不快に思った時に、それを「過去の自分」で説明することはやめ、「今の自分」が不快だと感じていることを認めるようにしました。そして、それを他者に分かってもらおうと思うことも放棄し、他者とはただ単に、楽しい時間を過ごすようにしました。

 こうして人付き合いの苦労を突破できたのでした。

最後に

 昨年の10月以降は、こうして安定していたわけですが、今年に入って、その均衡がなぜか崩れてしまうようになりました。今思えば、それがうつ病の症状だったわけです。

 昨年の「心の平穏」が崩れてしまったのが、私の力不足ではなく、うつ病によるものであったと分かったことで、少し安心しました。今は引き続き、療養に専念します。

 今日は、noteを書く元気が久々に湧いたので、思ったことを記事に書いてみました。ここまで読んで下さった方に、感謝申し上げたいです。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

   ねこっち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?