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自責してしまう奥には何がかくれているのか?を考える。

こんにちは!哲学に沼るねこ田ねこ子です!
日々起こったことを深く掘り下げて考えることを趣味にしています!(嫌な趣味!)
わたしが深く考えたことのひとつが「自責」自分を責めることについて、です。ついつい自分を責めてしまう場面ってありますよね。
子育て中、対人関係、仕事…自分ってほんとダメだ!自分なんて!自分が悪いんだ!!わたしも長らく自責するくせがついていて、落ち込むことがしばしば・・・・でも、そもそも自分を責めて自分を苦しめているのはどうしてなんだろう?ここからでは何も進まないのでは?と思ったのが今回の気付きです。


人を傷つけてしまったときに、自分を大嫌いになるのは”問題から目を背けている”のかもしれない



以前、自分の軽率さで友人を傷つけてしまったので、心から反省して謝罪する・・・・ということがありました。そして自分のこと大嫌いになる。 (これ!ここがおかしい!!)(この奇妙なすり替えに気付いた!)

自分が悪いことをした→相手に謝罪する(許してもらえるかは相手の感情なので私にはどうすることもできない、誠心誠意謝罪したら同じことを繰り返さないことに努めるしかない) →もう、自分なんて大嫌い…!←ここ!自責にすり替えて問題から目を背けてる!

本来は「自分が他人を傷付けてしまった、じゃあ今後そういうことをしないためにどうすればいいか」を考えるべきなのに「自分なんて大嫌い、最低だ、自分が悪いんだ」って自責にすり替えて問題から目を背けてる
問題は「自分の軽率な行動や言動」であって「自分を好きか嫌いか」ではないんですよね。

自分を嫌いになったところで、自分以外にはなれないのでせめて人に対して真摯に誠意をもって行動する!これにつきる!
謝罪して自責してるだけなら、その謝罪に意味なんてないよなって気付いたエピソードでした。
自分の間違いに向き合うなら自責じゃなくて改善努力しかないんですよね。
自責して立ち止まってるから同じ間違いを繰り返してしまう…。

相手の感情をこちらでコントロールすることはできない、「許してほしい」と懇願しても本来の意味では叶わない。
自分の非を認めて、努力して改善したときに”もしかしたら許してもらえるかもしれない”ってだけで、許す許さないは相手の問題。
許されるためではなく、過ちを繰り返さないための努力をするしかないんですよね。

その言葉を「同じ立場の人」にも言えるか?


わたしが「自責」について考える最初のきっかけになったことがあるんです。
それが、子育て中の自分を自分が許してくれないんですよね。
お母さんたちならみなさん経験があると思うんですが「わたしは他の人と比べてちゃんとできてない」「子どもにとっていい母親じゃない」という自己嫌悪、自分を責めてさらに追い詰める。

わたしが初めてこれを経験したのはまさに「出産直後」でした。
息子は超難産の末に産まれNICUに入り、2週間ほどGCUで入院することになりました。
「ちゃんと産んであげられなかった」「わたしが頑張れなかった」「こんな小さな赤ちゃんに、ひどいことをした」と自分を責めまくり…。
さらに「赤ちゃんにとてとても重要なんです!」と助産師さんに言われている母乳もなかなか出ず毎日毎日泣きながら搾乳して数10ミリしかでない母乳を冷凍して届けるために産後の体で毎日病院に通いました。

あの時は本当に、心の底から自分を責めましたし夫にも義実家にも「健康な子を産めなかった」ことが申し訳なくってずっと泣いていました。
自分の体の疾患も影響があったので、本当に自分のせいだと思ってたんです。

いつものように泣きながらお風呂にはいり耳にこびりつく息子のモニターの音(ピコーンピコーンってやつ、わかる人にはわかる)を空耳で聞きながらふと思い出したんです。

毎日、わたしを同じようにNICUへ通うお母さんやお父さんたちのことを。お互いに病状が違うので、話はしませんし会釈程度ですが、毎日顔を合わせる相手です。
同じような状況のあの人たちも、こんな風に思っているんだろうか。
その時に「いや、あなたのせいじゃないよ~!!!!仕方ないことだよ、病気とか出産は!誰にも責任なんかないよ!!!毎日通って赤ちゃんのことだっこして、できる限りのことやってるよ!!!!!」って本音で思ったんです。

じゃあ、わたしもそうなんじゃないか?
わたしがわたしを責めることは、あのお母さんたちを責めることと同じじゃないか。わたしはそんな人間じゃない。
本音で「誰も悪くない」と思ってる。じゃあ、わたしもわたしに対して責めるのはやめるべきだし、なんの意味もないんじゃないか。

この時にはじめて「自責」することで「現実逃避」している自分に気付きました。(人生ではじめてです。)

それから自分を責めたくなったときは、「同じことを親友が言っていたらなんて声をかけるか」という考えをするようにしています。

自責したくなるんですよね、だって「自分が悪いんだー!!自分のばかやろー!!!なんでこんなダメなやつなんだー!!!」って言ってる間は他の誰も責めずに自分だけを追い詰めて悲しみにくれ苦しみ大事なことを「考えなくてすむ」んですよね。

自分を責めているのは「自分」なのか「別の誰か」なのか


もう一つ、自責について考えるきっかけになったエピソードもご紹介したいと思います。
これまた育児中のできごとなんですが、二人目を出産したばかりのころに軽い産後うつ状態だったんです。
くせのあるむずかしい性格の3歳息子と生まれたばかりの娘、そしてコロナ禍でどこにも逃げ場所がなくどんどん追い詰められていました。

何もかも投げ出したい!うまくいかない!!こんな自分大嫌い!!
わたしはダメな母親だ、ダメな人間だ、消えたい!!もういなくなりたい!!!!と大声で泣きじゃくっていたわたし。
精神的にぐっちゃぐちゃの中、夜中の授乳時にふと見たツイート。
同じようなお母さんが「コロナ禍で誰にも頼れない」「つらい」「子育てむいてない」とつぶやいているのをみて、涙がとまらなくなりました。

みんなつらいよね、そんなことないよ、大丈夫、みんながんばってるよ!!!
・・・・あれ?そうだよね、みんな頑張ってるよね?じゃあなんで「わたしはわたしのことだけ責めるんだろう」っていう考えにたどり着いたんです。
わたしの中に「育児中の母親はこうあるべき」「母親は完璧でいなけれないけない」みたいな考えはほんとにないんですよね。

じゃあ、一体なんでわたしはわたしをこんなにまで責めてるんだろう?
この正体に気付くのはすごく簡単でした。

わたしの中に「小さい母親(実母)」がいるんですよね。
いつだってわたしを悪いところを見つけて、責める。母親はこうあるべき、女とはこうあるべき、他の人みたいにもっとちゃんとしろ、もっとこうしろ、もっともっと、と要求してくる正体は「わたしの母親」だったんです。

わたしは実母と折り合いが悪く・・・・なんて言ったらマイルドな表現になってしまうんですが壮絶なやりとりを経て今は縁を切っている状態です。
面白おかしくかけたらいいんですけど、なかなかヘビーなので笑
ただ、お母さんに植え付けられた「ちゃんとしなさい」「お前はダメな子だ」「他の子はもっとできるのに」という負の芽がずっと心に埋まったままそのまま大きく花開いてわたしを責めてるんですよね。

それに気づいたときにじょきっと切り離しました。
完全にはむずかしいんですけどね、でも「これはわたしの本音じゃない」「わたしが作り出した母が言ってる」「わたし自身のトラウマが作り出している」とその正体に気付いてのがものすごい前進に繋がりました。

だって、自分の本音じゃないんだもーん!
自分が作り出した幻影!!そもそも世の中のダメな母親は自分のことを「ダメな母親だ」なんて気づきもしないだろう!!!

「自責」と「自己嫌悪」はほどほどに

「わたしなんてダメだ」「自分なんて大嫌いだ」っていう自責や自己嫌悪。
もしこれを繰り返しちゃってつらくなってしまったときはふと思い出してほしいです。
「同じ立場の人に対して、同じように思うか?」
「もし親友が同じ立場で悩んでたら、どんな言葉をかけるか?」
「こんなに責めているのは、自分の本音なのか?」
多分、ですけど…人に対して攻撃的な方(誰かを責めがちな方)は自分のことはあんまり責めないんですよね。(権威性を行使する人間は自分の非を認めることはない)
自分を責めがちな方のほとんどは「他人に対して寛容」だと思うんですよね。じゃあ、自分に対しても寛容にとらえてたほうがいいなって思うんです。
自分への接し方も、自分の大切な人(親友)たちへの接し方と同じでいいと思うんですよね。


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