【悲報】死んでも楽になれません

「どうしたら幸せになれるんだろう」
これは長い間問い続けて来た私のテーマ。

なぜ私がこのテーマに取り組んだのは
とても単純で、
ずっと苦しかったから
それだけ。

世間一般でいう
立派な人間、成功した大人になリたくて、
ならなきゃいけない気がして、
道を外さないように、
無理やり自分を世間に合わせようとしていたけど、
頑張れば頑張るほどどんどん状況は悪化していった。

行き着くところまで行きついて、
もうこれ以上無理だという時が来て初めて、
これじゃダメだと気づく。

そこから、
わたしは一回死んだんだと思って、
どうしたら幸せになれるのかを
必死で探し続けて来た。

あれからずいぶん年月が経って、
まだまだゴールにたどり着いたわけではないけど、
それでもわかったことも増えて来た。

そんなわかったことの中から
今日は
「人は何のために生きるのか」

「死」の役割
についてシェアしたいと思う。

(本当は、情報を受け取った時、
それが信じるに値するのか、それとも偽物なのか
の見分け方もお話したいけど、
それはまたの機会に。)

人は何のために生きるのか。

それは、一言で言えば
「幸せになるため」
だ。

私たち日本人にとっては、
仏教で言われる
「解脱」の境地に至る
ということだというと、
なんとなくイメージできるかもしれないけど。

どんなことが起きても悩まなくなって、
いつでも、どこでも最高に幸せで、
人と、社会と、世界と、宇宙と・・・
あらゆるものと調和して生きる状態。

それが、わたしたち全員が目指す共通のゴール。

それがわたしの目指すゴールで、
生きている目的なのだけど、
ここで重要になるのが、
じゃぁ「わたし」って何だろう
ということ。

「わたし」も「あなた」も

身体ではなくて、

心でもなくて、

脳でもなくて、

その中にいつも変わらずに流れているエネルギーらしい。

たとえば、
今わたしの指がキーボードを打っているのは、
わたしの脳がそう命令しているからだけど、
わたしが今「生きている」のは、
わたしの脳が命令しているからではない。
わたしを生かしているもの、
それが、本当の「わたし」だという。

その「わたし」は、
「幸せになる」という目的達成に向かって生きている。
でもその目的というのは、
とても一度の人生で達成できるようなものではなくて、

何度も何度も、
何十回も、何百回も
生まれかわって、
ちょっとずつゴールに向かって進んでいる。

そして、どんなに時間がかかっても、
必ずいつかはゴールを迎える時が来る。
そうすれば、
私たちはもうこの世界に生まれてくることがなくなる。
この世界を卒業するのだ。

人が死ぬというのは、
物質的な身体が使えなくなるということ。
「わたし」が死ぬことはあり得ない。
死んだらまた生まれ変わって、
前回の続きから始めることになる。

ちょっと話はそれるけど、
人が生きること、死ぬことがそういうことだから、
どんなに苦しくても、
自殺は問題解決の手段にならない。

その苦しみは乗り越えなければならない課題なのだから、
死んでもまた同じ課題に直面する。

どうしたら楽になれるんだろう
と答えを求めて、何としても乗り越えるしかない。
そういう意味では、
自殺もその人が出した一つの楽になる方法と言えるかもしれないけど、
でもそれは正しい乗り越え方じゃないから、
本当に乗り越えられるまで、何度でもその困難は現れる。
逃げることなんかできないのだ。

どんなに時間がかかっていいし、
ゆっくりでいいけど、頑張るしかない。
時間はたっぷり、それは本当に、たっっぷりから、
焦らず。

余談ついでにもう一つ、
死ぬほど苦しい思いをするのは、
本当は、飛躍の大チャンスなのだということ。
苦しくないわけではないけど、
なんとなくうまくやり過ごせている
そんな時にはできない
大変革を起こせる時。

ピンチはチャンス
なんていうと月並みだけど、
本当にそうで。
そう思って楽しむくらいの気持ちを持てたらすごい。

この世に生きていなかったら
そんな風に苦しむこともできなかった。
ある経験を苦しいと思って、
その苦しさを使って、もっと幸せ体質な自分になって
ゴールに近づくために
わざわざこの世界に降りて来てるんだから。


脱線がすごく長くなってしまったけど、
本題に戻ります。

幸せになることがゴールで、そのための修行が人生だとしたら、
何で死ぬ必要があるんだろう。
過去生の記憶も消されちゃって、
どんなに学んだってまた最初からやり直しじゃないか。
一つの人生をめちゃくちゃ長くして、
一回の人生で最後までやらないのはなんでなんだろう。
わたしはそんな疑問を持った。

その答えは、きっとこうだ。

一度死んで生まれ変わることで、
生きる場所も、時代も、
性別も、容姿も、家族も、あらゆるものを新しくできるのだ。
記憶を消して生まれてくるのも、そのためだ。
日本に生まれて、日本語で喋って、
日本の文化で生きているわたしが、
その記憶を持って全く別の場所や時代に生まれ変わったら、
それは記憶が邪魔して苦労するはずだ。

生きることと死ぬこと
今回のシェアでした。


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