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万騎が原 郷土史を学ぶ会の初回がありました。

畠山重忠壁芝居をつくったのが縁で、地元本宿の方が界隈の郷土史を綴った本があると知りました。昭和63年発行の私家版。

冒頭、著者の福井光治さんは、「こよなく愛する本宿、そして二俣川の古い姿を知ってる限り書いた」といいます。開発の波で失われゆく本宿・二俣川の昔の面影を残しておきたい。当時80歳を過ぎた福井さんの思いが詰まっています。頁をめくるうちに、1人で読むには勿体ないと郷土史を学ぶ会を企画。その第一回でした。

宣伝らしい宣伝もせずじまい。4、5人くらいかなと思いきや、集まったのはわたしを入れて12人。その昔、二俣川の合戦で散った畠山重忠と一族郎党を葬ったと伝わる鶴ヶ峰薬王寺の住職が特別ゲスト。ダメもとで薬王寺にお電話をしたら、瓢箪から駒。はるばる鶴ヶ峰からブルーの愛車を駆って参加くださいました。

参加者はバラエティ豊か。数十年前に界隈の旧家に嫁いでこられた方、ちょっと離れた隣町の歴史好き、昭和の開発でまちにやってきて半世紀こえという方に、縁あって数十年暮らす方。杖ももたず一人で参加された90歳のおばあちゃまも。発言は力強く矍鑠たるものでした。ついでにわが母も末席に。

大河ドラマ鎌倉殿のおかげで、話し出すとどうしても重忠話になる人もいれば、もう重忠はいいよ、地元のほかの話をしたいという人もちらほら。

せっかく薬王寺の住職が来られているのですからと、重忠よもやま話に落ちていきました。合戦こぼれ話は本宿界隈にも言い伝えが残り、福井さんの本にも雄たけびの松、かちどきの松という伝説が出てきます。

下川神社の境内に重忠勢の武士がのぼって矢を射たと伝わる松があった。この松は戦後、枯死した。本宿の何某がノコギリで伐ると、幹の内部にあった鏃でノコギリの歯がこぼれたとか。

数万騎といわれる北条軍に対してわずか134騎で戦ったという重忠勢の強さを伝えんとする話のようです。言い伝えにも鬼気迫る重忠勢の気迫が籠っている。そんなこんなですっかり定刻を過ぎて学ぶ会の初回を終了。

鎌倉殿で重忠が滅んだ二俣川合戦を放送したときの紀行では、鶴ヶ峰の薬王寺と万騎が原がそろって登場しました。鶴ヶ峰でも万騎が原でもテレビの前でドキドキしながら紀行をみた人が多かったらしい。わたしもまごうことなくその一人。普段あまり行き来のない二つの地がドラマのおかげでつながりました♪

地元の旧家の方が書かれた本宿二俣川愛惜の書を読もうという会が重忠こぼれ話に終始したものの、静かなまちに眠る歴史が向こうから歩いてくるような楽しい時間でした。参加者のみなさんには感謝です。月一のペースで開催したいと考えています。次回12月の会では、本宿の暮れの話も入れたい。お時間ありましたら、またぜひ遊びにいらしてください。新しい方も随時お待ちしています。そうそう、万騎が原地域ケアプラザでは重忠壁芝居もまだ展示しています☆

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