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ふじみ商店会アーケード近くのみなさまへー畠山重忠公6月壁芝居後日譚

畠山重忠は1205年(元久2年)6月22日、地元二俣川の地で繰り広げられた北条軍との合戦で、烈々と討ち死にしました。6月は旧暦の6月ですが、とにかく6月は重忠公の月というわけで、6月に万騎が原のふじみ商店会アーケードで武蔵武士畠山重忠の生涯を絵と文でたどる壁芝居をやりました。

アーケードで開いているお店はたった一軒。世にいうシャッター通りです。重忠遺烈碑のすぐ近くにあります。アーケードの店舗跡数軒のシャッターをお借りして、壁新聞ならぬ壁芝居をやらせていただきました。山あり谷ありは省略、おかげさまで好評でした。

後日譚をひとつだけ書かせてください。2,3日前のこと、6月壁芝居の設営の頃から撤収までほとんど連日、アーケードに来てくださった奇特な人がいました。二俣川合戦のときの重忠と同じ42歳、Mさん。

Mさんが設営の日にひょっこりアーケードに現れたのも不思議は不思議。2、3日前にわが家の玄関ベルをピンポーンと鳴らしてひょっこりやってきたのも不思議でした。すぐ前の日曜日の大河ドラマで重忠と義時が一騎打ちから殴り合うという前代未聞の二俣川合戦を見せられたのですから、気持ちが収まらなくなり、どうしているかな?と顔を見たくなったのもわかる気がします。

ふじみ商店会アーケードからわが家までは歩いて6,7分。ちょっとした散歩にはいい距離です。玄関先でやぶ蚊にさされながらよもやま話も辛いので、まあどうぞと居間に案内しました。テーブルにPCが陣取ったまま散らかってましてすみません。

壁芝居の展示場はアーケードのシャッターです。屋根はちゃんとありますから雨の心配はありませんが、風は吹き抜けます。屋根のある屋外に24時間展示したわけです。

養生テープでしっかり止めたつもりでも如何せんシャッターに展示すると、シャッターは平面でなく波波になっていますから、養生テープで止められる面積が思ったよりも少ない。夜通し風が吹くわ、雨や曇りの日は空気が湿気を含んで展示物が重くなるわで、養生してもしても、展示の色紙や画用紙がゆがんだり、はがれたり、ひどいのは落ちたりで、メンテナンスに一苦労も二苦労もありました。

ある晩、風が強いので、わたしも夜遅くまでアーケードで展示物を貼り直しました。懐中電灯を片手に作業しながら、もしかしたらはがれた色紙や画用紙を直してくれた人があるのかもと感じていました。

よもやま話に花を咲かせながら、Mさんは遠慮しいしい話してくれました。

あのアーケード、ほかのところより風吹くんですよね? それで近所のひとたちがあそこを通りかかると壁芝居の落ちたのとか、剥がれたのとか、ずれたのとか、ずっと直してくれていたんですよ。

はあぁそうだったのですか。通りかかった人はだれもわたしにそういう話をしませんでした。わたしは開催中、毎日午後2時から4時のあいだに顔を出していましたが、気づきませんでした。万騎が原の住民って、こういう人々なんですね。わたしもこのまちで生まれ育ちましたので、少しわかる気がします。

壁芝居をやろうかとぼんやり企画していた頃、心配事をあれこれ並べて迷っているわたしに区役所の人が言いました。

24時間の屋外展示、それはご心配もあるでしょうけれど、まちの人を信じましょう。わたしがいうのもなんですけれど、性善説で行きましょう。ね? ぜひやってほしい。まちのみなさんがいいと言ってくれればよいのです。

性善説という言葉をまさか区役所の人から聞くとは思いませんでした。実をいえばわたしも内閣府だ消費者庁だと役所勤めをしていたときは、密かに性善説で仕事をしていました。脱線しますが、わたしが性善説で働いたのは、出来立てほやほやの消費者庁にかかってきた一本の外線電話でそうしてほしいと親身になって話した人がいたからです。

あなたたち公務員が国民を信じなくてどうする? あなたたちが我々を信じてくれなければだれもお互いに人を信じられなくなるじゃないか? あなたたちの方から我々を信じる態度をとってほしい。電話料金を払っても聞いてほしいのだよ。

時間外の夕方だったでしょうか。その人は通話時間も気にせず、見知らぬわたしに向かって真摯に懇々と話したのです。

性善説という一言に相通じるなにかを感じて、わたしは万騎が原で重忠壁芝居をやってみることに決めたのでした。国も万騎が原もおなじでした。おなじ声を聴いたのです。

性善説とは、これだったのか・・。Mさんの話を聞いて、Mさんの目を見て、合点が行きました。区役所の人もまちの人びとをよく知るからこそ、あえて性善説と言ってくれたのでしょう。Mさんに悟られないよう、わたしはちょっぴり泣きました。

6月壁芝居が終わってああ疲れたと言いながら3か月も経って、わたしはアーケードの壁芝居の前を通る人々のほんとうの姿をやっと知りました。風が吹き、雨が降れば心配してわたしがいない時間に通ってくださった方々があったことを知りました。心からありがとうございました。

わたしは東京で暮らして勉強したり、働いたりした年月のあと、数年前に万騎が原に帰ってきたリターン組です。たぶん20年以上、30年近くでしょうか、まちのことを知りません。それでもわたしが重忠イヤーに作った無謀な壁芝居を、まちの方々は風の吹き曝しや雨の湿気から黙って守ってくださったのです。

いまは万騎が原の別の場所、ケアプラザで秋バージョンの重忠壁芝居を展示しています。秋の展示もまちの人々に支えられて実現しました。こちらでも養生テープでああだこうだとみなさまが支えてくださっています。

大河ドラマ鎌倉殿のせいだけではない、万騎が原で重忠公が愛されていることの証でしょうか。終焉の地二俣川で長い歴史を経て受け継がれた重忠公への思いを感じずにはいられない今日この頃です。

感謝のnoteを書かせていただきました。ありがとうございました☆🐎

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