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ケア日記ー雨戸の音 12月6日

12月の声をきいた最初の日曜の昼下がり、自宅からはじめてオンラインプレゼンをした土庫澄子です 楽屋はわが家で、楽屋ばなしはケアばなし というわけで師走を迎えた母とわたしのドタバタ日記です

10月半ば、オンラインプレゼンの依頼が舞い込みました カネミ油症事件という昭和43年に発覚した食品公害の被害者の方からメールが来たのが発端でした 全国にいらっしゃる被害者の方々をオンラインで結んで会をもつという企画でした 

会のタイトルも日取りも未定で、なにを依頼されたのかわからないまま打ち合わせのZOOM会議に参加してみたら新聞記事になってしまい、その週のうちに新聞記者から取材を受けるはめになりました

長崎新聞で、そのときの新聞記事はこちらです

それから何回か打ち合わせZOOM会議があり、日取りや会のタイトル、プログラム、機材の準備などが進んでいきました

当初20分のプレゼントークをする予定が、いつのまにか30分になり、気づかないうちに緊張が増していたようです 当日の3日ほど前の深夜、自室でネット接続に必要なモデムをぶつけて、接続ができなくなりました 

さあたいへん! 翌朝から連絡のメールが読めません 画面共有してオンライン配信どころか、当日までに接続復旧するかしら? リハーサルまでにネット環境が復旧しなければ、だれかに原稿を代読していただく覚悟を決めました 事前に原稿を送るための手直しをはじめました 当日はじめて読んでいただいてもなんとか読み上げていただけるようにしておかなくてはなりません

そうと決まればあとは開き直ってなりゆきまかせ なるようにしかなりません 急いで着替えてモデム復旧工事の相談に飛び出しました 時間がなさすぎるので、ごリ押しにごり押しで工事の予定を立てていただき、家に飛んで帰って深呼吸 なにがなんだか忙しい! プレゼンの大事な中身の検討どころではなくネット接続のために忙しい! 直前の追い込みの時間になんてことでしょう!!(´;ω;`)

翌朝、玄関のチャイムが鳴りました! 無理やり工事の予定をねじ込んでもらっているので夕方になるかもしれないと聞いていたのですが、修理のひとが朝一番で来てくれました 息せききっていま着いたよと言いたげな笑顔をみて感激しました 「おはようございます」「さあどうぞ、二階にあがってください!」

正座するわたしの前で修理のひとは神妙にモデムをチェックをすると、「電柱工事まではいりませんよ」といって、部品を取り替えておしまい! 「午後からプレゼン準備に戻れます、ありがとうございます!」

ほっとしてお茶をいれ、なにか食べました 自分で作ったはずですがなにを作ったのか覚えていません・・

プルルルル、プルルルル 修理の人から電話が鳴りました

「え? なにか不具合でも? やっぱり電柱工事やるのかしら?」

ドキドキしながら電話に出ると、「あのゥー道具箱のバックを忘れました わたしが座ってたうしろあたりです 部屋にありますか?」「えっ? 道具箱のバッグ?」

モデムの近くにあったかしら? 修理完了と聞いた途端にモデムのことは忘れ去っていました

「ちょっと待っててくださいね」「・・・」「ありました、ありましたよ」「いま出先で気づいて、仕事できなくて・・いまから車まわして取りにうかがいます 玄関先に出しておいてください」「外に? 玄関先の寄せ植えの脇においときますね?」「ああ、はい。それでいいです」

修理の人が戻ってくるあいだ、ふと思いました あのひと、朝一番で来てくれた わたしがどうにも急いでいるとわかって一番先の予定の前に来てくれた そして正座するわたしの緊張が伝わってしまったみたい 部品を取り替えるや否や立ち上がって「それではっ」といってダンダンと階段を下りて、ちょっと笑顔をみせてさっさと帰っていったのだもの

修理のひとにわるいことをした 急がせてわるかった 緊張させてわるかったと反省しきりでした 玄関先の寄せ植えの脇に小綺麗な段ボール箱をおいて、道具バッグを入れ、不二家のぺこちゃんクッキーを二つ添えておきました ほんの気持ち、クリスマスプレゼントです

母は朝からなにごとかと一部始終を見ていました いつもより早めの朝食にはじまり、電柱工事の支度を積んだトラックが横付けに停まったかと思えば、作業服のひとがドドッと上がり込んでバタバタと帰り、終わったと思ったら、玄関先に見知らぬ黒い大きなバッグが入った段ボール箱が登場し、バッグのうえにペコちゃんのお菓子がおいてある、一切合切がまるで理解できなかったようです 

わたしがいっぱいいっぱい、ネットとかモデムとかWi-Fiとか母に説明するヒマはなく、母にわかってもらえる説明ができる自信がなかったのですから仕方がありません 玄関先に突然置かれた段ボール箱とモデムとどう関係あるのか、インターネットなど触ったこともない母に想像できるわけがありません 

「どうしたのアンタ、そんな外にバック置いたらいけないじゃなの もっていかれたらどうするの?」「え? あのねもってってもらうから、これでいいのよ」「お菓子はなんなの?」「ちょっとしたお礼よ」

母の当惑に気づけないまま、その午後から、わたしは自室にこもってたまったメールを捌き、プレゼントークの原稿準備と自分でスライドを操作しながら原稿を読み上げる練習にかかりきりでした

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12月6日 プレゼントーク当日の朝になりました この日も母ができるだけいつも通りに生活できるようにしようと思っていました 母にとっては長年住み慣れた家のなかで自分と関係のない特別なことが起きて、それに合わせてほしいと娘から求められるのは、むずかしいだろうとおもうのです

オンライン会合の時間は午後2時から4時です わたしのプレゼントークは後半3時台の30分間です きっちりと時間割を書いたプログラムを母に渡せばかえって緊張したり、混乱してもいけないとおもい、プログラムは見せませんでした その代わり、プレゼントークがはじまる前の数分のブレイクタイムに、母に念のため声かけをしようと算段していました

朝食のイタリアンロースト珈琲をいつものようにいれ、天然酵母パンをいつもとおなじように焼き、いつもの朝食をスタートしました のはずが、わたしは左手に読み上げ原稿、右手にマグカップ、珈琲をひと口のんでは読み上げながら赤ペンを入れる始末でした これが差し向いの母を緊張させてしまったようです

「今日はこんな風ですみません 午後は自宅からオンラインのプレゼントークがあるので、ランチは早めにしてもらっていいかしら? プレゼンってあのね、講演のことよ」

こくんとうなづいて母はいいました「なんにもいわないほうがいいのよね」 「そう、わるいけど今日はそっとしといてね」「わかったわ わかってるわよ」

早お昼を母と差し向いでたしか食べたとおもいます そして、会合15分前、ネットの接続チェックはOKでした ほっと胸をなでおろしました あとはこのまま不具合がないように祈るばかりです 

午後2時、予定どおり会合がスタートしました 一時間ほどみなさんのお話に聞き入りました どの方も静かで穏やかなのに強さと気迫を感じます やがて、わたしのプレゼンの番になり、数分のブレイクに入りました 自分のノートパソコンから画面共有を確認してだいじょうぶとおもい、いったん席を立つと、母のいる居間の引き戸を開けました

いつもの椅子に腰かける母の背中が目にはいりました 背中に「だいじょうぶ?」と聞くと、「だいじょうぶよ」 「これから講演します 4時すぎには終わる予定なので、もう少しだけお願いしますね」「ああそう」振り向かずに母は背なかでこたえました

わたしは引き戸をそっと引いて、ノートパソコンを置いた部屋に戻りました いよいよ本番です 練習したとおり、スライドを動かしながら原稿を読み上げていきました いいお天気で窓から陽射しが差し込んでいました

しばらくすると、背後でガッタン、ゴトゴト、ゴットンと聞きなれた木の音がします 「ん? 雨戸? 雨戸閉めてるの? まだ3時すぎよ?」母が木の雨戸をガタゴト閉めています どうしよう 窓際に置いたPCの横に大きな雨戸があるのです まさか母は大きな雨戸も閉めるのでしょうか? もし閉めたら大きな音がするわ。。 プレゼントークを中断して母に声をかけるわけにもいかず、ハラハラしながら話を続けました

大きな雨戸を閉めようとする音がしはじめました 万事休す、お手上げです なるようになれといっても、PCの真横で雨戸の大きな音がしては配信の音声はまずいでしょう(´;ω;`)

耳を雨戸の方へダンボのようにしながらスライドを動かし、原稿を読み上げていると、雨戸の音はすっとやみました あとは物音ひとつしませんでした

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予定したプログラムはすべて終了し、配信が終わったのが4時半ころだったでしょうか 事件発覚から52年というカネミ油症事件の会はPC画面のなかで静かな熱気に包まれているようでした プログラムの終盤では、ギターを弾く人が登場して彼が作詞作曲した曲を演奏し、参加者が合唱しました よい曲だとおもっているうちに、すべての予定が終わり、記者の質問を受けたあと、オンラインの接続が切れたのを確認して、母がいるはずの居間へ行きました

引き戸を開け、「おかげさまでいま終わりました」と声をかけると、「あら、早かったのね。もう帰ったの?」かるく振り向きながら母はいいました

「帰ったのって? アタシ向こうの部屋にいたのよずっと」「あら、アンタ公園に行くっていったでしょ? 早く終わって公園に散歩にでも行ったんでしょ? もう帰ったの?」「あ、さっき声かけたとき、これからコウエンしますって言ったのよ」「そうよ」わかっているのかいないのか、母はケロリとしていました

録音のなかで雨戸の音がどのくらいノイズになっているか気にしながら、母の足湯をし、夕食の支度にとりかかりました

差し向いで夕食をとりながら、母に聞いてみました 

「あのね、今日、雨戸閉めるの早すぎない? まだ3時半すぎころだったでしょ? いいお天気でまだ明るかったけど、なにかあったの?」「アンタ、公園行ったんでしょ? いないあいだに雨戸閉めといてあげようと思ったのよ」「はあ?そうですか。。」

プレゼントークという耳慣れない言葉ではきっとわからないと思って母にこれから講演ですといったのです けれども母の頭のなかではぜんぜんちがう方向にいってしまったようです 母がなにをどう勘違いするかまるで想像できないのは母とわたしのケア暮らしではつねのこと、仕方がありません

「公園ねぇ、配信の途中でおやすみの時間があってね、そのあいだに居間に来て声をかけたんだけど、あのときアタシが公園に散歩に出かけると思ったのね」「そうよっ、そう言ったじゃないの」「わかったわかっただいじょうぶよ ねえ、3時半ころだったかしら小さな雨戸を閉めてたでしょ? 音がしてたわ そのあと大きな雨戸は閉めるのやめたでしょ? あれはどうかしたの?」「あ、あれね 大きな雨戸を閉めようと思ったら部屋のなかにアンタの背中が見えたのよ あら中にいるわって閉めるのやめたのよ」「はあ、そうだったのね」 

なるほど、いわれてみれば母のいうとおりかもしれません 母なりにはじめてのこと続きにハラハラ心配し、緊張もしていたのだろうとおもいます ひとりでコマのようにまわり、てんてこ舞いしてる気でいましたが、母は母で冷や汗が出たり引っ込んだりの数日だったようです 

当日の母との段取りはたぶん娘のわたしの完敗でした その日限りの予定につきあってもらうには事をくだいて話さなければ伝わりません でも想像できるかぎりの勘違いを説明して、そうじゃないそうじゃないと説明するとかえって混乱するばかり 防御的な話し方ではほとんど伝わりません 母のケアでは下手に勘違いさせてはいけませんし、かといって下手に新しい耳慣れないことを告げてもいけないのです 

ではどうすればよいのか? 四方八方自由に泳ぎ出していくような母の勘違いに先まわりして物理的に手を打つことは到底できません そうそう物理的といえばひとつだけ物理的防御をしました オンラインイベントのあいだは玄関のチャイムが鳴らないように電源を切ったことです プレゼントークの最中にだれかがやってきてチャイムを鳴らし、母が玄関をあけてしゃべりだし、ちょっとアンタ〇〇さんよとわたしを呼んだりしたらお手上げですからね。。

母は長い人生のあのときこのときをくりかえし反芻しては味わうような円環的な時間を生きています 自宅で安心しきってまるく流れる時間のなかにいる母に知らない言葉で組みあがった新しい予定を受け入れる余地はほぼないのです 直線的な時間の先にある新しい予定に臨機応変に合わせていくのは母にとってはいつもと変わらない平和な暮らしを乱すもの、せっかく静かに暮らしているのに必要もない無理難題をゴリ押しされている感覚に襲われるのでしょう

ふだんとちょっと違うコトを母にどうわかってもらえばよいのか答えはいつも雲のなか 着地点はどこにもありません

三日間精いっぱいやったつもりですが、修理のひとを緊張させ、母を緊張させてしまったちょっぴり苦い三日間でもありました 父に話せばそうかと言ってふふと笑ってくれるでしょうか 母と二人三脚、これからも大小さまざまコトあるごとにひと波乱ふた波乱巻き起こりながらやっていくのです

拙いはなしをここまで読んでいただいてありがとうございました☆

//追記// このときの会合の記事がございます わたしのプレゼントークについても書かれています よろしかったらご覧くださいませ




 



 







 

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