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ゆるっとケア一週間

80代母と二人暮らし。自分の半端なモノサシを母にあてないようにしよう、あてたところでどうしようもないと気づいて一週間。ここまでくるのにざっと5年。気づくのが遅い。

庭の隅で畑の土を作りながらふと浮かんだ。ゆるっとケアで行こう。自分のモノサシを母にあてない。ゆるく暮らそう。それできっと母もわたしも楽になれる。ゆるやかに自由になれる。畑の柔らかい土をいじりながら感じた。

いままで母との際限のないやりとりのなかで眩暈を感じ、気が遠くなることがたびたびあった。ときには日に何度もあった。その一因は、わたしが自分のモノサシをおそらくきっと刃のように母に向けていることなんじゃないか、そう気づいた。たったそれだけ。

自分のモノサシを母に向けないとは、母を受容するとも共感するともちょっとちがう。介護の動画やセミナーの話によく出てくる受容とか共感とかはまだ遠い先。そんな気がする。

いまのわたしにできること。自分のモノサシを母に刃のように向けない。これだけ。たったこれだけで、母もわたしもほんのすこし楽になったと思う。いや、自分のモノサシで母も楽になったと思いたいだけかもしれない。わからない。

わたしだけかもしれないけれど、小さすぎる靴を無理やり履いて血豆でも作っているようになにかに縛られ窮屈で苦しかった日々が少し遠のき、過去になった。

いつどうしてこうなったのか大間違いの娘は日ごと自分のモノサシが疎ましい。一ミリくらいは母もゆるゆるとゆるんで楽になってくれたと思いたい・・。


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