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電子書籍化されましたー本日予約スタート 11月1日配信です

こんにちは土庫澄子です 製造物責任法(PL法)について書きおろしたわたしの本の第2版が電子書籍になりました 刊行から丸2年、びっくりです

朝おきてスマホみてまずびっくり 紀伊國屋書店のTwitterです  刊行から2年後の新刊はくすぐったいです

紀伊國屋書店さんは初版の頃からおすすめのリストにピックアップしてくださってうれしい限り 新宿の本店に行くとおすすめのリストを見ては店内を探検していました 無名のわたしの本を見つけだしてくださったのは不思議です この場を借りてありがとうございます

夕方、AmazonのTwitterを発見しました 5%OFFでKindle化です またびっくり

もともとこの本は最初から最後までお話が流れていくタイプの本ではありません どこまで読んでいただいてもケースがつぎつぎでてくるケースブックです 初版も2版もおなじです ケースの整理は初版なり、2版なりの工夫をこらしています 

なので手に取っていただいた方は気になるところやいま必要なところを拾い読みしてほしい 気分転換にはところどころ栞のように挟んだコラムを1個でも読んでもらえればいいとおもって書いてます

もし電子書籍にできるなら(←実は初版を刊行した当初から電子書籍化を夢想していました)いくつかのブロックに分けて部分ごとに独立して配信していただければ実用的、気軽に使いやすいと思っていました ムリを承知で編集者に相談したとき、残念そうな顔をされましたが。。(笑)

それから4年が経ち、家で父を看ながら第2版の原稿作業をしました 机とキッチンと父のベッドをぐるぐる行き来する毎日でした ブロック化して配信したい! 夢想は第2版を出すときにはますます大きくなりました 第2版には新しく書き下ろした第3部消費者事故調査おわりにがあります 

第3部では事故の要因を分析するケーススタディ、おわりにでは砂時計のたとえを書いています

第2版の書き下ろし20ページは、独立した原稿になっています ここだけワンコインで配信してほしい! と毎日おもっていました もしここだけに関心をもつ方がいたとします あとは読まなくていいとおっしゃるその方に書き下ろし分をぜひ読んでほしいのです そういう方に3200円を払っていただくのはあんまり高すぎるとひとり悶々としていました

そんな著者の悩みと葛藤はともかく第2版は刊行されました 子どものいないわたしには自分の本は自分の子どものようなものです 

第2版は二番目の子どもが生まれたように嬉しかったのはいうまでもありません 初版と第2版はわたしの長女と次女なのです バースデーは6号のホールケーキでお祝いです

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おまけに父が亡くなってすぐの刊行でしたから、実のところなにを思いめぐらせていたのかあまり定かでありません 表紙は父が好きだったヨコハマの海をイメージし、自宅ケア暮らしの相棒だった介護ベッドのイラストをつけています どれも父へのオマージュです

脱線しました 今日は電子書籍化2連発のTwitterをみて、第2版の書き下ろし部分を独立配信したかった夢想を思い出しました なんだか残念ですワンコインでいいのに。。。

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電子書籍化も、4号か6号のホールケーキでお祝いしたいくらい嬉しいのですが、もうひとつ書いておきたいことがあります 

いま気になるのはPL法の立法思想です わたしのPL本は、初版・第2版ともに長い序説があり、立法の経緯やその考え方に立ち入って書いているつもりです とくに初版のときには序説にしてはちょっと長いのでは?とか、序説はいらないのでは?といわれました

哲学書の序説って見たことありますか? 長い長いどこまでも議論する序説はめずらしくありません デカルトの方法序説は有名ですね ヘーゲルの精神現象学の序文も長いです カントの序文は大好きです 哲学の素敵な香りがしました 序説の長さでは不肖土庫も哲学者の仲間入りができるかもしれません(笑)

ところが、去年の夏、カネミ油症の被害者や支援者の方たちと出会い、話を聞くうちに、PL本の序説はあれでは足りない、もっと先まで考えて書かなくてはと思うようになったのです

カネミ油症事件はスモン事件などと並んでPL法を立法する重要なきっかけのひとつとなりました カネミ油症やスモン事件をたくさん議論してPL法は立法されました ところが当のカネミ油症はどうやら置きざりにされたままになっているらしいのです 

司法的な手続きを尽くしたといえたとしてもなにか大切なことが欠けたまま納得のいく解決の枠組みができていない、それどころかカネミ油症事件が高い社会的な関心を呼んだ当時には知られていなかった次の世代、さらにその次の世代の被害が生じて、次世代被害の研究や制度的な手当はお寒いかぎり、手つかずに等しいというのです 一体どうしたのでしょう?

話せば終わりそうもないお話を聞き、資料を読むうちに、PL法は裁判規範であり、裁判外で紛争解決をする社会規範であり、安全確保の行為規範であり、3種類の規範性をもつ生ける法だというこれまでのわたしの書き方では足りない、カネミ油症のようにPL法の立法前から現在まで半世紀を超える被害の足元にはたどりつけないと感じるようになりました

PL法がどのように適用運用されるべきかの前提となる立法趣旨では足りない もっと広く立法思想まで言わなくてはいけないのではないかと思うようになったわけです

PL法の立法思想とは、PL法の立法が社会にあたえる意味といえばいいでしょうか PL法の立法思想をたぐっていけば、カネミ油症のように高度成長期の負の遺産といわれる大きな問題でもどこかに今後の解決の糸口がみつかるのではないかとおもうようになったのです

PL法は民事法で、民対民の関係を規律します ところがあまり知られていないのですが、立法に向けた議論が政府部内で本格的にキックオフした当時から、国民生活審議会ではPL法は消費者の被害を救済して安全を確保する消費者行政の中心にすえる制度と位置づけていました この位置づけに対して学者の先生から私法と公法を混同している、理論的におかしいという批判があったようです それでも実際のところPL立法は民事ルールでありながら消費者行政を進めるエンジンの役割を担うものと構想され、立法のプロセスが進みました 

PL法の立法プロジェクトはP L法の隘路で伝えにくいのです 大学ではたぶん教えてくれないでしょう でもわたしは役所で明け暮れPL法の仕事といいますか、相談たらい回しの最終地点の仕事をしてPL法がエンジンであることの意味を思い知ったのです

この隘路にこそPL法の最大の魅力、この法律の懐(フトコロ)があるとおもっています 混乱しましたか? 先日、某記者の方にも遠慮せず縷々お話ししてみましたがうまく伝わったでしょうか

またしても脱線気味です 戻りましょう ということはどういうことでしょう? 禅問答みたいになってきました?

ということは、つまりこうではないかとおもいます 平成6年にPL法が制定されるよりずっと以前、昭和43年に発覚したカネミ油症の被害にとってもPL法は救済スキームのあるべき姿を指し示す社会的な意味をもつのではないか? それがPL法の立法思想ではないか?とおもいます

いままでのわたしは、本や原稿、かつて授業をしたことがある大学の教壇で、脱線はありましてもさすがに立法前にさかのぼって社会的な影響を及ぼす立法思想に触れたことはありませんでした 正直にいえばいまいっている立法思想のイメージをもっていませんでした 法学を学んだ者の習性といいますか立法の前後で(正確にはPL法が適用される基準となる施行日の前後で)救済の境界となるラインを引いていたとおもいます この悪気のないライン引きこそきちんと勉強した証かもしれません

ところが、カネミ油症に関わる方々にお会いし、胸に迫る話を聞くうちに境界線のラインは自壊し、崩れ、流れ去っていきました 立法という法学ではありふれた言葉と、思想というこれまた哲学ではありふれた言葉がつながると、いままで見えなかった新しい風景が見えてきます この風景に立つと、PL法の社会的な包容力とでもいいたくなるなにかが地平線のように広がり、人を大切に生かす温かい空気が息づいているとおもうようになったわけです

ですので、どうか海のブルーの表紙の第2版に紙でも電子媒体でもいいですから関心をもってくださるみなさま、この本に書いたことにはいずれPL法の立法思想がプラスされるとおもっていただけたらとても嬉しいです 

長いことなぜか研究のパートナーに恵まれず(←わたしが変人のせいかもしれません)、たったひとりでPL法と格闘していたわたしが、こんなコトをこんな風につらつら書いてその場で発信できるとは初版当時、夢にも思いませんでした 次女を生んでよかったです 勁草書房さん紀伊國屋書店さんAmazonさんnoteさんに感謝しています

たった6条のPL法はいまもわたしにとってどこまでも教えようとする師匠のようです がんばって背中によじ上ると向こうに新しい視界が開ける父親のようでもあります  

書くことで広がる 書くことで見えてくる 書くことで温かさを知ることもある 孤独にふさがりながらたったひとりで書くって素晴らしいです!

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ここまで読んでいただきありがとうございました☆



  



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