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ゆるっとあたたかく母の冬支度

こんにちは。きのう青森で初雪、関西で木枯らし一号。きょうは師走並みらしい。朝から気温低く冬曇り。

一週間くらい家のメンテナンス続き。平屋建て時代から数えて築60年を優にこえる木造二階建て。水回り屋さんに電気屋さん。朝5時に起き、エプロンをつけ、職人さんが来る前に庭やら納屋やらキッチン水回りやら動き回る。普段はいじらないところをキレイにする。早々と暮れの大掃除。気分がいい。職人さんがやってくれば手入れのコツを教わる。これがまたいい。

ちょうど畑の間引きもはじめた。まずはコマツナ。柔らかい根っこごと引き、お汁へ。いつものお味噌汁が魔法にかかったようにほんのり甘くなる。ほうれん草とシュンギクも伸びてきた。畑は愛猫みたいにかわいい。朝早い冬空に体がポッポする。

電気屋さんは土地の人。親戚に地元界隈の郷土史を本にした人がいる。庭の端っこにつくった畑を見て、お茶の時間、畑の話になる。ほんの入り口だけど郷土史になじんだせいか、話がはずむ。

「いやあ、この辺はクヌギ林だったんだよ。薪になるから」「うちはね、あそこの駅からずっと来る道あるだろ? そうそう。昔の農道ね。あそこをずっと行ったところにあった。田んぼと畑があった。子どものころは手伝ったもんだ」「中学は休みがいまより一か月長かったんだ。農家の子が多いクラスが一つあってさ、そのクラスだけ家の手伝いするってんで休みが一か月長かったわけ」

現役80代の問わず語り。一年前なら何を言っているかわからなかっただろう。古道を思い浮かべながら聞いて楽しい。夏のころ、だれかがわが家のあたりは昔、雑木林か畑かどちらかだったと言っていた。クヌギ林と判明した。そのうち、「ふまほん」(むかしを伝える地元マガジン、不定期22日発行)に書きたい。

電気屋さんがカバンを抱えて帰ると、待ちかねたように母がエプロンを作るといい始めた。生地を買いにあす野毛に行きたいという。

野毛はみなとみらいの反対側に広がる古いまち。このごろは”ディープな横浜”というらしい。母にとっては昔馴染みの店が多いところ。

「生地? その辺の箱にいっぱいあったわよ」

ああ。言ってしまった手前、母に知らん顔はできない。「ちょっと待ってねいま忙しいの」は、いまの母に通用しない。なにせ被影響性の亢進だ。すぐ動かないと、感情を抑えられず怒るときがある(念のため、毎度ではない)。逃げ場も出口もない八方塞がりの四苦八苦が続いたあと、自分の時間感覚を母に向けてモノサシにするのはいけないと返上。コレに気づくのに風雪何年かかったろう。なかなか気づけなくてごめんなさい。涙。

職人さん出入りの合間、細切れに唸っていた書きかけの原稿はもはやこれまで。締切は気になるけれど、いったん潔く離れよう。パソコンをパタンと閉じ、生地を家探し。踏み台に乗り、懐中電灯で戸棚の奥を照らした。

「あったー。あるわよ。」

母がだいぶ前に買っておいた生地が三箱くらい出てきた。わたしはまるでダメだが、母は洋裁も和裁もできる。若いころ、どこかで習ったらしい。

そうは言っても、高齢の母が針をもつのは危ない。マチ針や縫い針をあちこちに置き忘れる。怖い。畳に落ちた針がスッと一条光り、ギクリとしたのが何度かある。

以前、訪問看護師さんから「もう歳だしお母さん針はあきらめましょう」といわれている。

看護師さんの言う通りなのだが、はたと思う。たぶん、いまここで看護師さんのあのセリフを言ってはいけないんじゃないか。

母のいまここの感情を訳知りの正論で遮るのはまずいだろう。「わるいけど針我慢してくれない?」いままで飽きなく繰り返しては母を怒らせた言葉をここぞとばかりぐっと飲み込む。堪えて見て見ぬふり。やればできる。

母は自由を獲得。箱から気に入った生地を選び、積み上げた。遠目にも機嫌がいい。いい感じの柄のキルティングもある。キルティングのエプロンは暖かそう。

ついでに、長持ちから長めの手編みベストと手編み風のカーディガンを発見。幼い頃、見たような。見覚えのある長持ちから出てきたのだから、見たことがあるにちがいない。

ベストは母、カーディガンはわたしが着させてもらおう。誰が編んだのかわからない。父方の親戚かもしれない。母方かもしれない。編みもの上手な人がどちらにもいた。毛糸は極太。羽織ってみたらあたたかい。一味ちがう温もりがある。

Amazonでキッチンマットと足元用電気マットが玄関に届いた。

今日は冬支度。だいぶ揃った。横浜の高所。冬場はキュッと頬が冷える。あたたかく、母にはゆるっとケアを工夫しながら過ごしたい。


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