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【短編小説】 おしゃまさんの紫陽花

ちょい遅刻!
でも滑り込みでお目溢しを🙇‍♀️


 紫陽花を折るのに良さそうな折り紙を、職員共用の道具箱から数枚抜き取って、台紙にする厚紙を手に、ラウンジに戻ると、数人の父兄がお迎えに来たようで、残っているのはいつもの延長組の3人のみだった。
 うちの2人は男の子で、これまたいつものように電車のおもちゃで遊び、1人女の子の美海は、塗り絵をしていた。
 園児用の小さな椅子をひとつ退かすと、代わりに職員用の簡易椅子を持ち寄って、美海とあい向かいに座り、藍色と水色の折り紙を鋏で4等分の正方形に切り分けていく。
「何しているの?」
「折り紙だよ」
 美海の前髪が少し長すぎないか、目を悪くしないだろうかと、いつもお迎えの遅いひとり親にあって、手が行き届いていないのではないかと気を揉んでいる。
 今日こそは、帰りしなに声がけしてみよう。
 園の扉を開ける前の疲れ切った表情は美海の身長では見えない。
 ドアを開ける前に一呼吸おいて、振り絞るようにして、笑顔で迎えに来る美海の母親を、ドアの上部にある覗き窓から垣間見た時に、あまり責めてはいけない、そう直感したのだ。
「折らないで切っちゃうの?」
「そう、切っちゃう。小さくしてから折るの。美海も手伝う?」
 美海は、コクンと頷くと、何も言わないうちから、塗り絵のノートと色鉛筆を定位置にしまい、隣の席にやってきた。
 そのしっかりと躾られた振る舞いに、ひとり親で行き届いていないなどと不安視したことを、即座に反省する。
 それと同時に、むしろ、母を気遣う中で、無意識のうちに同年代の子供より成熟してしまって、子供らしさが失われていないかなどと、逆の心配をしてしまう。
 あまり神経質になるのも、良し悪しだ。
 大人が思うよりもずっと子供達は逞しい。
 美海は、折り方を教えると、一心不乱に折っていく。
 子供らしいぷっくりした指なのに、きちんと角を合わせて、丁寧に折り畳んでいく。
 開いた花びらを髪に飾る仕草をしたり、放り投げて、落下する軌道を確かめたりする様子は、あどけなくて可愛らしい。
 世の親が、我が子の可愛らしい瞬間を、大いに見逃しているのが不憫にさえ思う。
 紫陽花の花に見える部分は正しくはガクだけれど、それを説明するのも野暮ったいので、花びらと言ってしまうのが良いものかと僅かに躊躇する。
「こんな風に貼り付けてみて」
 2人で折り重ねた花びらを、色を選びながら、数枚貼り付けておいた葉の横に、丸く貼り付けていく。
「うん上手、上手」
 手についた糊を拭うための、ウェットティッシュを取りに立ち上がると、ドアの向こうに、迎えに来た美海の母親が見えた。
 目があったので、こちらからドアを開けて迎え入れる。
 以前見かけた、憔悴して険しい表情は影を潜めている。
「こんばんは」
「こんばんは、美海ちゃんお迎え来たよ」
 振り返ると美海は、少し慌てた様子で、
「待って、もう少し!」
 と言って、花びらに糊付けをしている。
「いつも遅くまですみません」
「いえ、今壁に飾る、折り紙を手伝ってもらっていたんですよ」
「まあ、綺麗な紫陽花。上手ね、美海が折ったの?」
「うん」
 それとなく前髪に手をやって、
「目に入りそうね。先生のピン留めあげようか?」
 自分の髪に刺していたものをひとつ引き抜いて、それとなく、美海の前髪をおでこの横で留めた。
「ああ、すみません。週末に予約入れてあるのですけど、前回私が切ったら、切り過ぎてしまって怒られちゃって。美容院じゃなきゃ嫌だってきかないものですから」
 気がついていない訳ではなかったのだ。
「まあ、美海ちゃんたら、おしゃまさんね」
「おしゃまさんって何?」
「ええとねえ、可愛いってこと」
「じゃあ、タロウもおしゃまさん?」
 タロウとは、園外への散歩ルートの八百屋にいる、青いオウムのことだ。
「タロウは可愛いけど、おしゃまさんとは違うかなぁ」
 どうも歯切れの悪い説明に、美海が納得する気配はない。
「先生、お忙しいのに恐縮なんですが、折り紙私にも一枚頂いて宜しいですか?」
 美海の母親の申し出に、
「あ、はい、お待ちくださいね」
 道具箱から出してきた折り紙を袋ごと渡すと、その中から、薄いベージュの折り紙を引き抜いて何やら折り始めた。
 形が仕上がると、葉を切り抜いた余りの紙で小さな丸を二枚切り抜き、テーブルの上のマジックで円の中心に黒丸を書き足した。
 折上がった本体に貼り付けて、渦巻きを書き足す。
 あっという間に出来上がったカタツムリに喜んだのはむしろ私の方だった。
「凄い!折り方教えて頂いてもいいですか?」
 折り方は然程難しくもなく、四分の一サイズもつくると、可愛らしい親子のカタツムリになった。
 廊下の掲示板を指差して、
「美海ちゃん、そこに貼り付けようと思ってるけど、持って帰りたかったら、持って帰ってもいいよ?」
 と問うと、
「貼ってくれるの?」
 予想とは違う、おずおずとした眼差しの返事が返ってきた。
 持ち帰るより、作品が掲示されることが喜びなのだなと、小さな瞳に、創作者の喜びを見出して、ほんのり嬉しくなる。
 掲示板の六月の予定表の下に貼り付けると、急にラウンジが華やかになった。
 通園カバンや帽子などを抱え、深々とお辞儀をして帰っていく美海の母親と、母と繋いだ手をブンブンと振って、嬉しそうにする美海を見送ってから、ポケットに入っていた、ハートのシールをカタツムリの側に追加した。
 お昼のニュースの天気予報では、梅雨入りを前に、数日は暑い日が続くと言っていた。
 明日は水遊びついでに、園庭の紫陽花にも水を撒こう。どこかに身を潜めているカタツムリ親子が干からびてしまわないように。
 日報を書き終えて、ようやく今日の業務に終わりが見えて、安堵の溜息をつき、首をポキポキと鳴らす。
 雨の予報でもないのに、園庭から聞こえる鳴き声に触発されて、緑の折り紙でカエルを折った。
 お尻を指で弾くと、まるで池に飛び込むみたいに、水色のゴミ箱にダイブしたカエルを拾いあげて、君も仲間入りねと、紫陽花の下に貼り付けた。

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