見出し画像

エッセイvol.23 囲うということ

 幾つかのサブスクやファンクラブなど定額にお金を払っているサービスがある。
 増やさぬようにと思っているのに、増えるばかりで、頭が痛い。
 世の中のエンターテイメントは猫も杓子もこの流儀を推奨しているが、これは結構大きなトラップだと思っている。
 定額でお金を払うと、お金を払った側は、定期的なサービスを受けられるものと思う。
 これが、割に合うか合わないか、という損得勘定を呼び起こす。
 例え、定期的なサービスの提供があったとしても、購入者に、そのサービスを受け取るための、余力がない場合でも、損をしたという負の感情が生まれてしまう。
 昔からその制度が取り入れられていたものに、スポーツジムがある。
 損をしたくない意識から、脚繁く通う人もいれば、通うのが億劫になって、結局退会してしまう人もいると思う。
 私はきっと後者になると思うので、未だスポーツジムに登録したことはないが、ちゃんと意思を強くもって定期的に通ってダイエットに成功する人などは凄いと思う。
 自分の好きでお金を払っていても、仕事や家事で忙しかったりすれば、思うようにサービスが享受出来なくて、ガッカリしたりする。
 定額制サービスではない普通の商品(サービス)は、通常は、購入する際に、対価と商品価値(またはサービス)が見合うかどうかを考えるのに、サブスクなどの定期サービスは、対価に見合うサービスを受け取る前提で契約をする。
 その「対価に見合うかどうか」は、実は一定じゃない。
 契約時は、対価に見合うと思って契約したものの、その時の気分で、高く感じたり安く感じたりする。
 人間の気持ちは一定じゃないからだ。
 サービスを提供する側としたら、収入が定期的に見込めるメリットがある。
 資金繰りを考える時、固定収入の比率が高い方が経営は楽になるだろう。
 しかし同時に、定期的にサービスを提供する義務が生じるし、不定期に必要なタイミングでサービスを受けるより、定額サービスに加入するメリットがあると感じさせる努力も必要になる。
 最初に書いた、大きなトラップとはまさにここにある。
 この不定期購入と定期購入の間における購入者メリットの差分は、定額サービス導入における見えないディスカウントになっているということだ。
 早期予約特典なども同様に、同じ商品なのに、早く購入するだけで、なんらかの特典が付くのが暗黙の了解となっていて、本体の値段は変わらずに付加価値が付属する事で、実質の粗利益を算出するならば、正規価格より、利益率は低くなる。
 これは、本体の代金が変わらないことで、気付きにくくなっているが、実質は値引きと変わらない。
 定額サービスの件で言えば、この固定収入化のメリットと、本体商材の見えにくいディスカウントにおけるデメリットとのバランスを上手く取らないと、いたずらに商品価値を貶めてしまう可能性がある。
 また販売機会とするなれば、競合他社との比較において、優勢であるか否かは、その成否を左右しかねない。
 例えば、牛丼のサブスクに登録したとして、それまでなら、その日の気分や、立地条件などで、たまたま目についた店に入店するところを、サブスクの登録があれば、少し遠い登録店舗を選んで来店するかもしれない。
 それこそが囲い込みだ。
 なかなか、複数のサブスクを購入しようとはしないだろう。
 食べられる量には限界がある。
 そう考えた時、一定規模のチェーン店では、シェアの大きい方がより有利に働く。
 囲い込めるかどうかは、他社比較で勝っているかどうかに大きく左右されるのだ。
 バンドのファンクラブを見ていると、ファンが急速に増えているような時期にあるバンドは、あえて囲い込みをしないことがある。
 これは有料化しないという意味であって、無料でも、ライブ情報やリリース情報などの発信をファンに通知する行う方法は色々とある。
 囲うということは、その外側にいる人には、見えない囲いの内側を見たいと思ったら、壁を越えて(課金して)行かなければならない障壁があるということでもある。
 口コミなどで、認知が広まっていく段階においては、その障壁が邪魔だと考えられるのであろう。
 この段階を見誤ると、勢いが失速する。
 しかし、固定収入化の要望は、所属事務所の意向を汲むと、避けて通れないのかもしれない。
 しかし、ファンクラブを設立していないアーティストもいる。BUNP OF CHICKENや藤井風など、たくさんのファンがいるにも関わらずだ。
 自主制作のアプリケーションの運営費を捻出するだけの体力があったり、自主レーベルを持っていたり、その選択を出来る事自体が、稀有であって、しかも英断だと思われる。
 会費に大金を払っている人と、会員ではない人が、同じアリーナ席であったり、3階スタンド席であったりするならば、不公平感を感じずにいられないが、会費を払っている人がいないのであれば、そこに不公平感は生じない。
 全ては、チケット運のあるなきによる。
 もし、とあるファンが、学生でファンクラブ会費を捻出するのが大変だった場合、アリーナ最前列は叶わぬ願いだとしたら、それは健全な運営だと言えるだろうか?
 一部のアーティストがファンクラブを開設しない真意は、制作に対する自由度や、ファンの間に格差を生まない配慮があるのだと思う。
 しかし、定額制サービスを真っ向から否定するばかりではない。
 一定の金額を支払えば、上限などを気にせずに好きなだけ楽しめるなど、良い面もある。
 個人的に言えば、音楽や映画などの定額サービスのおかげで、随分と楽しく過ごすことが出来ている。
 しかし、そのアーティストへの報酬の少なさが定期的に話題にのぼると、悲しい思いがする。
 結果的に、規模の大きい事業者である企業が利するように社会の仕組みが成り立っている。
 その社会構造にきちんと異を唱えていかないといけないと思う。
 乱暴な言い方をすれば、派遣業が改悪されて、人件費のピンハネをすることが、合法化されて久しい。
 正当な対価を支払うことと、正当な対価を受け取ることには、少なからず関係性があるものだと思っている。
 平等を実現するのはとても難しいことだ。
 その点において、完璧は存在しないかもしれない。
 しかしながら、努力を放棄してはいけないと常々思うのだ。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?