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「妊娠中から疾患がわかることもある。判明した時点から支援の手を」/兵庫県明石市在住・まきさんのインタビュー

こんにちは、医療的ケア児の親で、フリーライターのおざわです。
医療的ケア児の親御さんにインタビューをし、それぞれの生活や困りごと、各自治体の課題などをお聞きして記事にしていく企画を始めました。
(詳細はこちらの記事にまとめています。)

今回お話をお聞きしたのは、兵庫県明石市に住むまきさん(Xハンドルネーム:まきママさん)です。

まきさんは、子どもが生まれる前に赤ちゃんに疾患があることがわかったそうです。「病気がわかった時からの支援が欲しかった」と当時を振り返ってくれました。

一番支援が欲しかったのは、子どもの病気がわかった時だった。

まきさんのお子さんは現在10ヶ月。

心疾患と口唇口蓋裂があり、心疾患については、お腹にいる時にわかりました。

まきさん「疾患がわかったのは、23週目の時でした。たまたまスクリーニングをしてくれる病院だったので、それで。普通に生まれてくると思ってたので、ショックはショックでしたが、、でも、育てていくためには色々調べてやっていかないといけないと思って、とりあえず、母子手帳をもらった時に対応してくれた保健師さんのところに行ったんです。とっても親身になって話を聞いてくれましたが、支援があるとか、そういう話は全然なくて。『この子が生まれたらどうなるの?』とか、『生まれたらどういう支援があるの?』とか、そういう不安が解消されなくて、とても心細かったです。明石市は子育てに優しい街、という認識でしたが、障害児や疾患児への支援は足りてないんじゃないかな、と思うこともあります。知りたい情報を聞きに行ったらたらい回しにされてしまったこともありました。『ここじゃわからないから福祉課で聞いてください』と言われて福祉課に聞きに行ったら、『ここじゃわからないから』と元の場所に戻されたりする。結局、子どもが生まれる前は公的機関で話がわかる人にはつながれませんでした。」

「たまたま運が良かったから」で得られる情報

知りたい情報を得られないままに出産。赤ちゃんは2ヶ月NICUで過ごしましたが、そこで知り合ったママからの情報がとても貴重だったようです。

まきさん「たまたま入院中に知り合ったママに、小児慢性特定疾病という制度を教えてもらったんです。その時、医療費はかかってませんでしたが、ミルク代とリネン代に毎日900円くらい自己負担が発生していました。1日900円でも毎日にすると結構な負担ですよね。でも、そんなもんか、仕方ない、と思っていたらそのママが『小児慢性使うとミルク代半額になるよ』と教えてくれて。びっくりしてソーシャルワーカーに聞きに行ったら『そうですよ』と。もっと早く教えて欲しかった!と思いましたね。こういう支援があるってところまで、自分で情報収集して、聞きに行かないと教えてもらえないんだ、って、驚きました。」

「情報という面では、主人の母が看護師で、支援情報とかを親身になって探してくれてるから助かっている面もあります。特別児童扶養手当も、お義母さんが見つけてくれて、『ダメもとでも申請してみたら?』と言われて通りました。先輩ママに教えてもらった小児慢性もそうですが、『たまたま知り合ったから』とか『たまたまお義母さんが医療従事者で、調べてくれたから』とか、そういう『偶然』の要素が強すぎませんか?うちはそれがあって運が良かったと思ってますが、運で支援にたどり着くんじゃなくて、みんながたどり着けるようにしてほしいです。」

「働きたいけど働けない」は、想像以上に辛かった。

妊娠中に疾患がわかったからこそ早めに動いたにも関わらず、公的機関に相談するだけでは支援に辿り着けず、情報は周りの人にもらってきたというまきさん。

「生まれていなくても、疾患がわかった時から支援の手を」という願いと共に、「働くための支援」も求めていました。

まきさん「子どもは生まれてから2ヶ月は病院で過ごし、退院してからは在宅酸素という医療的ケアが必要でした。もともと、生まれて半年くらいしたら保育園に預けて働こうと思っていたのですが、疾患もあり、医療的ケアもあり、だと、どう預けたらいいの?って。ただでさえ、出かける必要がある場所にだって、酸素ボンベ担いで行くのは大変でしたから。疾患持ちで、感染症とかが怖いのもあって、なかなか積極的に保育園探すとか、そういうのができてないのもあるんですが、『働けない』というのは、予想してた以上に、辛かったです。もともと接客業で、話すのが好きだったこともあって、ずっと家にいて、子どもと二人、ていうのが、孤独で…ストレスになってしまいました。疾患児や、医療的ケア児がいても、働きやすい仕組みを作ってほしいです。」

「わかりやすく、過ごしやすくなる社会に」と声を届けたい。届けないと変わらないなら。

ご自身が困った経験から、今まきさんは、明石市議の方にも連絡を取るなど、医療的ケア児の生活やほしい支援について声を届けようとしています。

まきさん「もっとみんなにとってわかりやすく、過ごしやすくなる社会になってほしいです。病院とかで他のママに会うと、みんな『どうしたらいいのかわからない』って言うんですよね。私もまだそうで、わからないこといっぱいあって、お義母さんとか周りの人に助けてもらえてかろうじてって感じですし。だから、こうなったらここに行く、とか、こうなったらこれが受けられる、とか、もっとわかりやすくなってほしい。病気の子も過ごしやすい社会になってほしいです。そのために声を上げないと変わらないっていうのはわかってきたので、自分の経験でよければどんどん話して、伝えていきたいです。」

あとがき

まきさんのお話で印象的だったのが、お子さんを見た他の人に「かわいそう」と言われた時のエピソードでした。酸素をつけている赤ちゃんを見て、何度か「かわいそう」と言われたことがあるそうです。まきさんはその度に心の中で「かわいそうって何や!一生懸命生きてるのに!」と思いつつ、笑顔で「一生懸命生きてます〜」と返していたそうです。

その言い方がまた可愛らしい関西弁で、そんなふうに愛嬌を交え、かつ伝えたいことを伝えられるところに、パワフルさを感じました。

気づいたことや思ったことを口に出せる、伝えられる、というのは、実はみんなができることではないと思います。お子さんがまだ10ヶ月で、これから先も手術を控えていて、きっとまだ生活も落ち着かない中で、「声を上げよう」とされているまきさん。とても頼もしく、かっこよくて、身の引き締まる思いになったインタビューでした。

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