仙台に住む医療的ケア児とその家族に、情報と生き方の選択肢を。
待ちに待った我が子の誕生から数日後、私は予期せず“医療的ケア児の親”となりました。それから早5年。
振り返ってみるとこの5年間、常に渇望していたのは、「情報」と「選択肢」でした。
巷には育児に関する本や公的にサポートする制度はたくさんあります。なのに、医療的ケア児や病児・障害児に関する情報に出会うことは本当に難しく、Googleの検索結果を数十ページ最後まで洗って、欲しい情報がやっとひとつ見つかるかどうか。
周りに同じように医療的ケア児を育てている家族もいなくて、相談する相手も見つからず、困りごとは自分で解決するしかなかったので、とても孤独でした。
でも、子供が成長するにつれて、少しずつ色んな人と関わる機会ができて、気づいたんです。
情報は、ないわけではない。とっても辿りつきにくいだけ。
とっても辿りつきにくいから、やっと巡り会えた情報が全てだと思い込んでしまうけれど、実はもっと選択肢はある。
同じように医療的ケア児を育てている家族は、確実に存在しているし、仲間を欲してる人も多い。
これを知るのに、5年かかりました。
私にとっては、孤独に闘ったとても長く苦しい5年間でした。
だからこそ、思ったことがあります。
これから医療的ケア児や障害児を育てる親御さんには、もっと早く、この状況に気づいて欲しい。
一人で戦わなくてもいいんだってことを、伝えたい。
そこで私はフリーランスとして、それを伝える活動をしていくことを決意しました。
「仙台市に住む医療的ケア児とそのご家族のために、情報冊子とWEBサイトを作る」
まずはここからスタートします。
目指すのは、“医療的ケア児とそのご家族に、すべての選択肢が開示されている状態”です。
医療的ケア児の情報発信をするサイトはすでにいくつか存在する中で、今更なぜつくるのか、なぜ「仙台市」に特化したものにするのか。その理由を話すにはまず、この街で私が医療的ケア児を育ててきた中でぶち当たった壁について話さなくてはいけません。
(作成背景はいいから何を作るか具体的に知りたい!という方はこちらまで飛んでください)
待望の我が子には、病気と障害があった。
私には、5歳の息子がおります。
かわいいかわいい大好きな息子は、病気と、障害を持って生まれてきました。
妊婦健診で異常を指摘される
二度の流産の末に授かった息子。お腹の中にいるときはずっと不安でいっぱいで、「ちゃんと心臓動いてるかな」と、検診のたびにものすごい緊張感で診察台に乗ったことを今でもよく覚えています。
お腹の中で、赤ちゃんの心臓は途絶えることなく動いてくれていましたが、妊婦健診で腎臓に異常が見られたこと、後期になるにつれて育ちが突然ゆっくりになってしまったことから、かかりつけだった個人院から、こども病院の産科へ転院し、入院して出産を待つことになりました。
たしか36週くらいだったと思います。
産後すぐに病気が疑われ、GCUに入院
入院後はゆっくりでも着実に育ってくれて、エコーでの推定2500gを超えた頃、予定日ぴったりに、息子は生まれてきました。
我が子を抱くことができて、嬉しさで胸がいっぱいで、その時の私は、ただただ、これからの未来に起きる楽しいことしか、考えていませんでした。
「どんな子に育ってくれるかな」
「一緒にどこに行こうかな」
「小さいうちから色んなところに連れて行ってあげたいな」
「でも、元気に育ってくれればなんだっていい!」
しかしその期待は、産科からの退院までに、見事に打ち砕かれることになります。
息子は産後すぐから、ミルクをあまり飲んでくれず、くわえて嘔吐も頻回でした。
吸い付きの反射はありましたが、乳首をくわえることがうまくいかず、母乳も、哺乳瓶も、なかなか吸ってくれません。コップで飲ませるようにしてミルクを与えるのですが、それも全量を飲む前に疲れてしまったように飲むのをやめてしまいます。
しかも、せっかく飲んだ分もすぐに吐いてしまうので、体重が増えるどころか減る一方。
「これでは一緒に退院できないかもしれないね」と先生に言われたことが、不安の入り口でした。
通常、産後5日で母子ともに退院できますが、それが目前にせまった時、新生児科の先生は「赤ちゃんだけは今退院せずに、GCUに入院するのがいいと思います」と私と夫に告げました。
「赤ちゃんはよく吐くものですが、それにしてもこの子は吐きすぎます。何かの病気かもしれません。それ以外にもいくつか気になることがあるので、入院して検査しつつ、しっかり体重が増えるまでは、胃まで管を入れ、それを通して栄養をとってもらうのがいいかなと考えています。」
先生は私たちにそう説明しました。
「病気の疑い」や「現時点での異常」が複数書かれた紙を見せながら。
見慣れない医学用語が並ぶ紙。
それでも、書いてあることすべてがネガティブな情報だということだけは素人にもわかります。
それを置いて先生が病室を出た直後、涙があふれて止まらなくなりました。夫と二人で泣き、それでも冷静に、「この子のために何ができるのか考えよう」と誓ったあの日。
そこから、私たちの「病児育児」が始まりました。
「医療的ケア児」となった息子
私が退院したその日に、息子はGCUへ入院しました。
すぐに鼻から胃まで届く管(NGチューブ)を入れられ、母乳やミルクは点滴をする機械でゆっくりと入れる方法で栄養摂取をするように。
管でつながれた我が子を見るのは苦しかったけど、この子は生きるために頑張ってるんだ、と言い聞かせて精神状態を維持していました。
毎日面会に行き、搾乳した母乳を届け、顔を見て安心し、少しだけお世話をして、早く一緒におうちに帰りたい、と思いながら過ごす日々。
それがひと月続いた頃、退院が決まりました。
嘔吐は治らず、改善の兆しもなく、NGチューブでせっかくミルクを胃に入れても吐いてしまうので体重は増えないままでしたが、
経腸栄養という方法で、腸まで届くチューブ(EDチューブ)を入れる経管栄養に変更し、栄養を確実に摂取する目処がたったからです。
こうして生きるために「医療機器」が必要な子供を「医療的ケア児」と呼ぶことを初めて知ったのもこの頃だったかもしれません。
医療的ケア児を抱え始まった在宅生活でぶつかったのは、圧倒的な情報不足と社会のバリア
こうして「医療的ケア児」として退院した息子との、自宅での生活がスタートしました。
やっと、ずっと一緒にいられる。
もう後ろ髪を引かれる思いで「バイバイ、また来るね」って息子とお別れしなくてもいいんだ。
退院したときはものすごく嬉しかったです。
でも、私たちを待っていたのは、想像以上に大変な生活でした。
まとまった睡眠が取れない生活に心身が病んでいく
息子が付けていたEDチューブは、前述のように、腸まで届く管です。入れた栄養は、直接腸に届きます。
腸は通常、胃に入った食べ物がゆっくり流れてくるようになっているため、管を通して入れる栄養剤も、同じくらいゆっくり入れなければなりません。そのため、100ccのミルクを、ポンプという機械を使って1時間かけて注入していました。
それが普通の新生児と同じく、3時間間隔で繰り返されます。
さらに、口から飲むことを忘れさせないように、との医師からの指導で、注入中は哺乳瓶で経口からもミルクを与え、嘔吐を防止するため横にしておけず、その間はずっと抱っこ(縦抱き)していなくてはいけませんでした。
終わったら搾乳と消毒、そして通常の家事もします。
それを3時間おきに繰り返すとどんな生活になるか。
1時間め:授乳、注入(ずっと抱っこ)
2時間め:注入用具の洗浄・消毒、搾乳、洗濯など雑事
3時間め:仮眠、食事、休息など
このサイクルを終日繰り返します。
当然まとまった睡眠は得られません。
夜は夫婦ふたり、交代しながら少しでも眠るようにしましたが、私はあまり搾乳の間隔が空くと胸が張って痛くなってしまったり、夫は昼間仕事なのでそこまで長い時間任せられなかったり、ということがあったので、やはりまとまって眠れるのはどんなに長くても3時間程度。
嘔吐も多かった息子の着替えや寝具の取り替え、洗濯も頻繁に行なっていましたし、眠っていても嘔吐があれば飛び起きて片付けをしなくてはいけません。常に気を張っていて、吐き過ぎる息子の体調の心配もあって心身ともに相当疲労していました。
寝られないこと、出かけられないこと、家族以外に話し相手がいないこと。
医療的ケア児のことなんて周りの誰も知らないから、誰ともこの大変さが共有できないこと。
体も心も疲れている上に、圧倒的に孤独で、それでも頑張るしかないと、気力だけで踏ん張っていました。
本当に、ただただ、気力だけ。
間違いなく、一番大変だったのはこの退院直後、在宅生活がスタートしたばかりの時です。
落ち着いた頃に知る、医療福祉サービスの数々
息子の成長と共にすこしずつミルクの間隔を空けてよくなり、また1歳の時に嘔吐を改善するための手術を行い、同時に胃ろうを作ったことで、だんだん生活は落ち着いてきて、夜も眠れるようになってきました。
そのあたりに、リアルではなかなか出会えない仲間を求めて、Twitterを始めます。そこで知ったのは、病児障害児を育てるみなさんが医療福祉サービスを活用していること。
「今日は訪看さんに見てもらってる間に〇〇した」
「ヘルパーさんが入浴介助してくれた」
「相談員さんが〇〇を紹介してくれた」
訪看?ヘルパー?相談員?
わからない単語だらけですが、何だかそれを使ってるみなさんはとても助かっている様子でした。
これって何だろう?聞いたことないし、首都圏とか都会にしかないもの?どこで聞いたらわかるんだろう?
何もわかりません。
役所に聞いてみたこともありますが、私自身が曖昧にしかわかっていないので質問も曖昧になり、はっきりと回答を得られないことも多かったです。
すべてが明らかになったのは、相談支援事業所と出会ってからです。
その頃は母子通園の児童発達支援センターに通い始めて、障害児ママと出会い、「口コミ」で情報を得られるようになっていました。そこで相談支援員という存在を知り、役所に事業所を紹介してもらい、今の相談支援員さんと出会います。
彼女は優秀な上に気のきく人で、何もわからない私に、早速いくつかの医療・福祉サービスを提案してくれました。
具体的には、訪問看護ステーションとヘルパー事業所の紹介です。
訪問看護は、主にリハビリをしてくれるところ。その頃はすでにコロナ禍で、通院リハが制限されていたので、リハの機会が激減していたところだったので助かりました。
ヘルパー事業所には入浴介助をお願いできることになり、腰痛持ちだった私はそれでだいぶ負担が軽減されたのです。
きっとこれらのサービスを自分で探そうとしたらもっともっと時間がかかっていたと思うけど、相談支援事業所との契約からひと月も経たないうちにすべてが始まり、とってもありがたくて、なんて素晴らしいんだろうと思いました。
自分が困っていることに対して、身内で解決する以外の方法を提案してくれる。社会資源を教えてくれる。
そして思いました。このサービスを、あの一番大変な時に知っていたら…
「もっと早く知っていたら」そう思うことの連続
「この情報ともっと早く出会いたかった。」
この5年間、何度同じことを思ったでしょうか。
もっと早く訪問看護というサービスを知っていたら、退院したばかりの時、もう少し楽だったかもしれないのに。
もっと早く発達相談を知っていたら、もっと早く療育を始められたのに。
もっと早く小児慢性や手当について知っていたら、金銭的な不安が少しなくなっていたのに。
ほかにもたくさん、たくさんあります。
それが、とてもとても、悔しかった。
知ってる人と知らない人のあまりの差が、悔しかった。
情報を探す旅は、RPGに似てる
障害児育児は、RPGに似ています。
RPGって、主人公が色んなところに行って、色んな人に話を聞いて、ところどころにあるミッションを成功させないとストーリーが進まないんですよね。
ある村人が重要な情報を握っていて、その人を探し当てないと進まない、とか。
隠しダンジョンがあって、そこの宝箱にはいいアイテムがあって、ストーリーが一気に進みやすくなる、ていうこともあります。
私がこれまでやってきたことはまさにそれです。
違うのは、最初に説明がないことと、地図が与えられていないこと。
さすが現実。ゲームよりハードモードになっています。
RPGは、最初だけはしっかり説明をしてくれるし、ヒロインや仲間が案内役をしてくれます。それを糸口にして進めていくのですが、障害児育児にはその役がいません。糸口すらも、自分で探すんです。
もっというと、糸口の「存在」も最初はわかりません。
目につく育児支援、というのはすべて、健常児のためのものでした。
当時頼りになった相談相手は保健師さんしかいませんでしたが、障害や医療的ケアがある子供のことは、相談しても「次の受診の時に先生に相談しましょう」しか言ってもらえません。
おそらく、障害児の母数が少ないために、新生児全戸訪問している保健師さんであっても接した経験は少ないのでしょう。
だから、障害児のための情報とか、支援とか、そんなものがあるってことすら、知りませんでした。
これだけインターネットやGoogle検索が発達しても、存在を知らなければ検索すらしません。大変なことも、困ったことも、全部自分でやるしかないと思っていたんです。
でも実際はそうではなかった。
私が知らなかっただけで、助けてくれる人はいた。
それを知った時から、私たちの生活は変わりました。
育児の負担が軽くなったのはもちろん、何より変わったのは、意識です。
「自分たちだけで頑張るもの」から「周りに助けてもらいながらするもの」になりました。
息子が4歳になる頃、ようやく、私はRPG攻略の糸口を見つけることができたのです。
この「糸口」を最速で見つけられる社会にしたい
おそらく、ほとんどの人が初めて向き合うことになる、障害児や医療的ケア児の育児。
でも、マイノリティがゆえに、情報が少なかったり、目につくところに置かれていなかったり、とても出会いにくい状況なのだと思います。
まさに私がそうだったように、情報と出会えなかったから、自分と家族だけで頑張るしかない、という家族が、今も存在するんじゃないでしょうか。
悲しいことに、行政などしっかりした機関に相談したとしても、その人がたまたま詳しい人だった、という幸運に見舞われない限り、間違った情報を教えられたり、たらい回しにされて結局得たい答えは得られない、ということもあります。
自分がそんな経験をして、こう思うようになりました。
私と同じように「情報不足」に泣く親を増やしたくない
必要な時に必要な支援に巡り会えるようにしたい
息子が出会わせてくれた、社会の課題と向き合いたい
障害児育児からRPGや運ゲーの要素をなくしたい
支えになる素晴らしい支援者さんたちの存在を知ってほしい
そのために、行動を起こしたい。
どんなに悔やんでも私の過去をやり直すことはできないから、未来につなぎたい。
でも、私は医療や福祉の資格を何も持っていません。
直接的な支援はできません。
そんな私でもできることはないだろうか、と考えてたどり着いた答えが、“情報提供”です。
仙台市に住む医療的ケア児や障害児のための、情報提供ツールを作りたい。
息子を育ててきたこの5年間、色んな人に出会い、話を聞き、なんとかして情報を集めようとしてきたこの経験と、その結果得た情報をまとめれば、誰かの役に立つんじゃないか、と考えました。
テーマは「過去の私を救う」です。
過去の私が、こんな情報ほしかった、と思うこと。
その情報に、早期に出会えるように、1ヶ所にまとめておきたい。
自分でさまざまなところに出かけたり、電話をして、緊張しながら問い合わせをして、労力をつかって、時にはたらい回しにされたり、嫌な思いをして、集めなくてもいいようにしたい。
私がそうだったように、今もそうやって苦しんでいる親御さんがいるんじゃないか。こんな状況を引き継いでいきたくない。
具体的には、まずこんなことから始めたいと思っています。
①退院時に支援情報を知ることができるようなガイドブック作り
②情報サイトの作成
①退院時に支援情報を知ることができるようなガイドブックをつくる
まずは一番大変な退院後の在宅生活のスタートまでに、しっかり支援情報を伝えたい。すべての医療的ケア児に、抜け漏れなく情報を伝えるタイミングとしても、退院時は最適なのではと考え、退院支援ツールとして使える冊子を作成したいと思っています。
聞いたところによると、こども病院の医療的ケア児の退院時カンファレンスは実施100%ではないそうです。
私もそうでしたが、支援について何も聞かされないまま退院するご家族がいるんです。
切れ目のない支援。
一人も取り残すことなく、退院時にそれがスタートできるようなガイドブックをつくりたい。
MSW(病院ソーシャルワーカー)とともに、いつ、どんな支援が受けられるのか、どんな手続きが必要なのか、退院時にある程度のロードマップができている状態をつくることが目標です。
②情報サイトをつくる
くわえて、仙台市の支援情報や事例をまとめたサイトを作ります。
全国的な情報サイトはすでにいくつか存在しますが、福祉サービスや自治体の支援体制・考え方の違いから、それが自分の住む自治体にも当てはまるとは限らないということもあります。
せめて同じ市に住む人だけでも、「うちの自治体ではどうなんだろう?」という疑問が生まれないよう、鮮度の高い情報を提供したい。なので、汎用性の高さよりも地域特化を選びました。
ということでまずは仙台市、私が住む市に特化したものにします。
その後他地域に展開できたらいいなと思いますが、それはまだ先の話です。
まずは私の経験が活かせる場で、困っている人を救いたい、という想いを持ち、活動します。
小さな人間の、小さな一歩。だけどたった一人にでも届くように。
私は幸いにして、素晴らしい相談支援員さんに出会えましたし、その結果、医療的ケア児でも預かってくれる保育園が見つかりました。
残念なことに、望めば誰でも同じ結果が得られるわけではありません。医療的ケア児の親が働くということの難しさは、私自身が預け先探しをしてみて、痛感しました。
だからこそ私がやるんだ、という使命感に似た感情が芽生えたんです。
情報が手に入らず悔しい思いをたくさんしてきました。
もっと早く出会えていたら、違う結果になってたのに、という情報も、中にはありました。
他の子が自分たちよりも早く支援にたどり着いているのをみて、うらやましく思うこともたくさんたくさんありました。
どうして私はもっと早く情報を得られなかったんだろう、努力が足りなかったのかな、ごめんね、と息子に申し訳なく思うこともありました。
そんな思いをしてきた私が、子供を預けるところが決まり、働くことができるようになった。
だったらその時間を、今も苦しんでるはずの、医療的ケア児とその家族の生活を、よりよくするために使いたい。
そのために私ができることは、情報がいつでもすべて開示されている状態をつくること。
それを実現するための構想を練っていたちょうどその時、NPO法人フローレンス仙台支社の方たちと出会い、同じ想いを持っていることを知りました。
そこからどう実現できるかと話し合いを重ね、ありがたいことに、私がフローレンスからの業務委託として取り組めることになりました。お互いの想いを形にできる環境が整いまして、これから本格的に動いていきます。
これからこちらのアカウントを通じて、実現までの道のりを報告していこうと思っておりますので、応援していただけたらとても嬉しいです。
仙台市に住む医療的ケア児とそのご家族のために、情報提供ツールを作る!
医療的ケア児とそのご家族に、すべての選択肢が開示されている状態を作る!
やるぞぉーー!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?