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医ケア児の親は、働いたらだめですか?/青森県中南地域の市に在住・ちーやさんへのインタビュー

こんにちは、医療的ケア児の親で、フリーライターのおざわです。
医療的ケア児の親御さんにインタビューをし、それぞれの生活や困りごと、各自治体の課題などをお聞きして記事にしています。
(詳細はこちらの記事にまとめています。)

今回お話を聞いたのは、青森県中南地域の某市に在住のちーやさん。現在2歳の息子さんには、シーパップという呼吸器と胃ろうという医療的ケアが必要です。

ちーやさんとのお話の中で一番印象に残ったのは、「医療的ケア児の親は働いたらダメなんですかね?」という言葉です。

預け先がないことや医療的ケア児の親なのに働く、ということに対してかけられる言葉に悩みながらも「自分のキャリアも諦めたくない」と語るちーやさんの想いを聞きました。

元気だった子どもが、突然脳症に

ちーやさんの息子さんには、生まれた時には異常はみられませんでした。お子さんが9ヶ月の時に保育園に預け、ちーやさんは職場復帰をしたそうです。

しかし復帰後、お子さんはコロナウイルスに感染したことから脳症を発症。それを契機に寝たきりの医療的ケア児になりました。検査の結果、遺伝子疾患があることがわかっています。

ちーやさん「進行性の病気なので、次第にできることが少なくなったり、長期で付き添い入院が必要になったり、医療的ケアが増えたり、と、子どもの状態も変わり私たち家族の生活も変わっていきました。個人的に一番変わったのはやはり働き続けるのがすごく難しくなったことです。とにかく預け先がありません。入院したら付き添いが必須なことも、働く親にとっては厳しいです」

一度は預けられることになった保育園だったが…

ちーやさんのお子さんは、脳症を発症する前は保育園に預けることができていました。でも子どもに医療的ケアが必要になってから、そのまま預かることが難しくなってしまったそうです。

ちーやさん「脳症になったときの入院が長期になったので、その間私は再度育休を取得し、付き添い入院をしていました。同時に職場復帰にむけて動いていたのですが、保育園側もその間に受け入れ体制を整えてくれていて、医療的ケアがあってもそのまま預かる、という方向で話をすすめてくれていました。すごくありがたかったです。ところが私の職場復帰ひと月前になり、自治体側から『待った』が入ったんです。子どもを預けるのを、あとひと月待ってくれ、と。話してもどうにもならず、結果的に私は育休を伸ばし、ひと月後に備えることになったのですが、そのひと月の間に息子の状態が変わってしまいました。症状が進んで、人工呼吸器が必要になってしまったんです。当初は経管栄養だけだったので受け入れますと言ってくれていた保育園側からも、呼吸器が必要になったということで、それでは受け入れできない、と言われてしまいました。結局、保育園は退園することに…」

預け先のない地域で、家族の協力と支援をフルに使い働く

ちーやさん「今住んでいるところには、医療的ケア児を受け入れられる保育園はもちろん、児童発達支援もありません。近隣の自治体まで広げれば児童発達支援は見つかりましたが、一度見学に行った時、とある施設に『こんな子を抱えてフルタイムで働けないでしょ』と言われてしまい、心が折れてしまって…もうそこに預けようという気持ちはなくなってしまいました。医療的ケア児を預けて働いちゃダメなんでしょうか?今は症状もだいぶ進行してしまって、もしかしたら大人になれないかもしれない、一緒にいられるのは今だけかもしれない、そんな想いはたしかにあります。でも私、もともと仕事が好きだし、一度やめたら再度就職するのは難しい職種だということもあって、簡単に手放すことはできません。経済的な問題もあります。ずっと仕事する前提で家も建てたし、私が失った収入を誰かが補ってくれるわけでもありませんよね。だからなんとか働き続ける方法を模索して、家族に協力してもらいながら働き続けています」

ちーやさんは預け先がない中、ご家族や訪問看護の支援の手を借りて働き続けているそうです。

「うちの場合は私の母や叔母が元看護師で、医療的ケアができるので、私の仕事中に子どもをみてもらったり入院のときは付き添いを代わってもらったりして、あとは訪問看護の力も借りて、なんとか働くことができています。でも生活のほとんどを自助で過ごしているこの状況では、いつまで持つか、いつ崩れてしまうか…と不安しかありません」

「自分自身のことを諦めたくない」そのために必要なこと

「働きたくても預け先がない」
「預け先がないから自助でなんとかする」

この生活に不安を感じながらも、ちーやさんは前を向きます。

ちーやさん「自分が今していることに、罪悪感を覚えることがあるんです。仕事のことやきょうだいのことを考えると、息子に悪いような気がして、『こんなことしてていいのかな?』ってふと思ってしまうことが何度もあって…でも、ある本を読んだことをきっかけに、自分も大事にしようって少しずつ思えるようになってきました。『ピンヒールで車椅子を押す』という本です。
息子がこういう子だからこそ見つかったやりたいこともあります。きょうだいたちのためにも取りたい資格もあります。母としてやりたいことも、自分自身がやりたいことも、諦めずにいたいです。きょうだいたちも、息子のことをとてもとてもかわいがってくれていて、お世話もしてくれていて、誇りに思っています。みんなが幸せになれるように、なんとか頑張りたいです。そのためにも、こういう地方にももっと預かってくれるところや支援制度が増えたらいいのにな。在宅レスパイトとか、都会にある制度が使えたらもっと可能性が広がるのにな、って地方と都会の差を感じてしまうこともたくさんあるので」

あとがき

医療的ケア児を抱えながらも、今もフルタイムで働き続けているちーやさん。それでも毎日綱渡り感があり、罪悪感も覚えてしまう、と日々悩み苦しみながら踏ん張っていました。

その罪悪感のもとには、「医療的ケア児を抱えて働けないでしょ」という支援者にかけられた一言も関係しているんじゃないかと、自分も医療的ケア児を育てる母として思います。支援者にとっては悪気のない一言でも、当事者にとっては重い一言です。

医療的ケア児支援法によって変わった点はあるものの、まだまだ医療的ケア児の親が働くということへの理解や支援は不十分です。地方と都会の支援格差も、すぐに埋められるものではありません。でもせめて、医療的ケア児の親が働くこと・働きたいと望むことに対しての理解だけは、どこの地域でも広がってほしいなと思います。

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