我が家に猫さんがやってくるまで
猫さんがやってきたのは1年とちょっと前。
ちょうど息子の8歳の誕生日だった。
我が家の周りは犬や猫を飼っているお宅が多く、朝夕にはたくさんのワンちゃんたちが通りを行き交うような地域。猫が大好きだった娘は、何度も飼いたいと言っていたけど、私の答えはいつも「うちは無理。」だった。
仕事だの、地域活動だの、それに何より3人の子供の子育てて何かと忙しくしていた私は、正直ペットのお世話までとてもできないと思っていたし、それまで動物と一度も暮らしたことがなかったから、そもそもペットとの暮らしがどんなだか、全く想像がつかないでいたのだった。
そんな私が今3匹もの猫と一緒に暮らしているなんて、使い古された表現かもしれないけれど、本当に人生とはわからないものだと思う。
なぜ猫たちが我が家に来ることになったのか。そのきっかけは1つではない。何かいろいろなものがつながって、タイミングが重なって、こうなった。こうして書くと何だか結婚と似ているな。
そのきっかけの一つ。
それは娘だった。娘は意志の強い子で、他人の言うことを聞かない上に気の強い所もあって、私は少々手を焼いていた。
その娘が小さな時からお世話になっている塾があったのだが、そこの先生は猫の保護活動をされていて、おうちにいつも10匹くらいの猫ちゃんがいた。ある日、先生が塾に猫を連れてきた時があった。まだ生まれたてで、家においておけないほど小さかったのだ。娘は一瞬でその猫ちゃんの虜になった。
塾から帰ると、娘は頬を上気させ、猫ちゃんの様子を話した。
「本当にすっごく小さくて、私の手のひらの上でおしっこしたの!」
そして後日、その塾の先生と猫の話をした。
「あの時娘はとても嬉しかったみたいで、、あれからも飼いたい、飼いたいって言うんですよ。」
そう私は言ったものの、この時も本気で猫との暮らしを検討していたわけではない。が、先生の言った言葉に心を動かされてしまうのである。
「そうですか。でも猫を飼ったら娘さんの情緒は安定して、成長するでしょうね。」
ここまで読んでくださった方は「なあ〜んだ。子供の成長のため、、ありがちな理由だね。」と思うかもしれない。
が、私はこの下にある記事でも書いたように、長男(娘の兄)で一筋縄ではいかない育児を経験していた。
この記事には書かなかったが、学校の外でとてもとてもお世話になった先生がいて、それがこの塾の先生だった。先生は私をずっと励まし続け、希望を持たせてくれ、そして息子の良さを最大限引き出して下さった。
つまり私はこの先生に絶大な信頼を寄せていたのである。
だから、この先生が言った「娘の成長」という言葉は私の心にしっかりと刻み込まれてしまった。
そんなわけだから、ご近所のママさんとお話ししていた時、
「娘の成長のために猫を飼うのはいいでしょう、って言われたんだ〜。」
というセリフが口から出て来たのだ。
でもこれも、私としては何気なく言ったセリフだった。しかしその後、話は急展開をみせる。
「あっ、そうなの。うちの実家に今猫が住み着いててね、あげること、できるよ。」
えっ。
思わぬ言葉に私は口を開けた。が、ママさんは続ける。
「子供を産むときにうちに入れてくれって言って鳴いてきたんだよ。それで家に入れてあげて、家の中で子供を産んだの。」
、、、へ、へぇぇ〜。
私は慌てた。猫を飼う話が、急に現実味を帯びてきた。完全に想定外の話。そこで会話を切り上げることもできたと思う。でも、話を続きを促した私は心の底では猫を飼うことを望んでいたのかもしれない。
結局のところそのママさんによると、野良なのに家の中で出産したその母猫は、3匹の子猫とまだ家の中で暮らしているという。ドアや窓が空いていて、外に出ていける状態なのに出ていかないのだそうだ。
それで、ただ今里親さん募集中。
「どう?猫は散歩も必要ないし、飼いやすいよ。」
ママさんはさらっと言った。そのママさんは小さい時から猫や犬と暮らしてきている方。だけど、私はすぐに返事ができなかった。動物との暮らしは私にとっては未知の世界。その上、動物は服やバックとは違う。これは一緒に暮らせないと思っても、もう後戻りはできないのだ。
でも。頭をよぎるのは”娘の成長”というあの言葉。
それにこのタイミングでこんな風に話を頂けるのは”ご縁”じゃないの?
いろいろ考えた末、私は言った。
「9月に大きなイベントの主催をしなきゃいけないから、それが終わってもまだ猫ちゃんが家にいて、誰にも引き取られてなかったら、、考えさせてもらっても、いい?」
その時はまだ6月だった。それまでに猫のことをじっくり考えて、家族とも話そう。それに秋になってもう猫がいなかったら縁がなかったってことだし、まだ猫がいたのなら縁があるっていうことだ。
それで、猫のお話は一旦保留となった。
・・・・・・・・・・
それから3ヶ月。日々はあっという間に過ぎた。
イベントは成功のうちに終了し、その後の事務処理だの反省会だのあれやこれやが一段落した時、私はそのママさんの所にお礼に行った。イベントの中で大きな役を引き受けて下さり、当日もものすごくテキパキと役をこなして下さったからだった。
ここで、再び猫の話である。
今我が家に猫がいるってことは当然なのだけど、ママさんのご実家には、秋になってもまだ猫たちがいた。3匹の子猫のうち2匹はもらわれていき、今は母猫と子猫1匹になっているという。
「猫、元気いっぱいだって!」
その言葉を聞いて、私はようやく覚悟が決まった。
猫を受け入れる覚悟というより、ここまで引っ張って断れない、というのが本当だったかもしれない。
ママさんもご実家のご両親も、私が引き取るかも、、、と言ったから今まで待って下さっていたわけで。それにさっきから度々出てきている”縁”という言葉。私は昔からその言葉が好きだった。だからこれも、『ご縁なんだ』と思った。
というわけで、それから近所のホームセンターに走り、猫のトイレと餌とキャリーケースを購入した。最低限の品物。でも、いざとなったら何を選べばいいか全然分からなくて、ものすごく時間がかかったのを覚えている。
それから親子の猫たちは、はるばる車で2時間半の道のりを揺られて、10月のある日、我が家へとやってきた。まだ若い母猫と4ヶ月になる子猫。
今なら猫たちがどれだけ新しい環境が怖いと感じるかわかるけど、その時は全くの猫初心者だった私たち。
猫が瞬時に隠れ場所を探して逃げ込んだ時、それはそれは驚いた。
本棚の後ろ。低い家具の下。とにかく少しでも隙間を見つけると走り込む。でも何も分かってない私たちは、
「あっ、こらこら、そんなとこ入っちゃダメ〜。」
って安易に近づき、逃げられる、をくりかえした。そしてついに猫たちが逃げ込んだのはピアノの後ろ。
「えっ〜、全然隙間なんてないで?ほんまにそこに入ったん!?」
「でも他のところにはいないで!」
「そこから出てきてないもん!」
「いるってそこに、絶対!」
などと、もうパニックである。
別にそんなことする必要なんてなかったかもしれないのに、その時は、皆でピアノを大騒ぎしながら動かして猫を追い出したりした。
それから家具の後ろにわざと隙間を開けて箱を置き、そこに落ち着いてもらったのだった。
ちなみに最初に里親募集の話を聞いた時から、引き取るなら2匹同時に、と思っていた。親子を引き離すということができないと感じたことと、2匹一緒だと人間側がずっと相手をしなくて済むのではと思ったから。
でもどうしたい?って猫に聞いたわけじゃない。勝手な私の希望。
この猫の気持ちを直接猫から聞けない、ということがその後私の頭からずっと離れない事になる。それが「猫、大脱走事件」に繋がってゆくわけだけど、、、
そもそも私は昔から動物が好きなわけではなかった。学生時代、街で可愛い子猫や子犬グッズなんかを見つけると、同世代の女の子たちは
「かわいっ〜。」
なんて嬌声をあげていたけど、私は可愛いなんて思ったことがなかった。それに”小さいものが可愛いって当たり前じゃない?哺乳類は小さくて丸いものに愛情を抱くようにできている。そうじゃなきゃ赤ちゃんは生き残れないもの。”なんて思ったりもして。もちろんそんな素振りは出しちゃダメと思って生きてきたけど。
ともかく、私にとっては、動物は可愛がるものというよりは共に尊重しあって生きるもの、という方がしっくりくる捉え方だった。
でも尊重しあうには、相手が今どう感じて、何をして欲しいか知る必要がある。でも、猫は日本語で詳しく気持ちを説明してくれない。
猫が来て1年以上が過ぎた。最初の画像にあるようにその間にもう1匹の猫が我が家の家族となった。
ある日の夕方、知り合いの方から連絡があった。近くのマンションの下で4匹の猫が保護されたこと。保健所に送られるまでの猶予は2日間であること。引き取り手を探していること。まだまだベテラン飼い主ではなかったのに、私は『引き取ります!』って連絡を返していた。
そんなことを経ながら今日までに、どれだけ猫のことを考えてきただろう。
いつも猫が幸せであればと思っている。そう思って接しているつもり。でも、猫たちはどうなんだろう?どう感じているんだろう?うちに来て幸せと感じているだろうか、、、?
分からないから考える。どうすればいいのかなって悩む。
うん、これは子育てよりも手強いかもしれない。だって人間の子は意思疎通が猫より簡単だ。
『哺乳類は小さくて丸いものに愛情を抱くようにできている。そうじゃなきゃ赤ちゃんは生き残れないもの。』
なんて思ってた私。
人って変わる。いろんな経験をして、たくさん悩んで変わっていく。
私にたくさんの経験と新しい世界を教えにきてくれた猫さんたち🐈⬛
ありがとう。