きょうだい児で、長男教家庭の女児で、新興宗教二世だった小さな私へ①
①と銘打ってみたものの、続きを書くかは分からない。
最近実家と色々あって、やっと子どもの頃の私が成仏した気がするから、人生でなるべく触れないように生きてきたことを書いてみたいと思った。
初めて書くには鳩尾に響くテーマではあるが。
兄はADHDとアスペルガーのハイブリッド。
公務員の父はいわゆる昔気質の長男教。
専業主婦の母は父の言いなりで、尚且つ熱心な某新興宗教の信者。
これだけで私の根っこにある歪みが伝わればと思う。
一つ一つならそこら辺でもたまに聞く。
でもこれが重なると、じわじわと幼い人間性が蝕まれていく。
本当はそれぞれ別の問題として考えるべきであることは理解している。
ただ実際は、それぞれの問題が関わり合って幼心に憎悪が倍増していったのだ。
虐待されて育ったのか?と問われると、Yesという答えは出てこない。
少なくとも愛されてはいた。形は歪ではあるけれど。
先に言っておくと、父が定年退職したくらいで今も家族それぞれの肩書きは変わらない。
ただ私は成人と共に宗教を離れ、実家を離れ、今は自分の家庭を持って自由に生きているし、母とは現在ある程度和解していることを申し添えておく。
和解したのは私が寿命の半分弱を生きた頃だけど。
発達障害の子どもやきょうだいを持ち、きちんと向き合っている方々は心から素晴らしいと思う。
ただここは、私の幼少期の素直な感情を吐き出したい。
不快に思う方はここで引き返すことを推奨する。
兄は診断がつくレベルの中では軽度で、きっと早くに療育が出来れば多少はマシだったと思う。
母はそれを望んでいたけれど、昔気質の父が頑なにそれをさせず、可愛い長男をとことん甘やかした。
母はせめて私をちゃんとさせようとした。
兄を躾けることは許されなかったから、私は徹底的に厳しく躾けられた。
小学校に上がる前から、一通りの家事を手伝わされた。
もちろん子供のうちに色々お手伝いをさせる事自体は良いと思う。
でも兄がテレビを観て、ゲームをしてる横で、真冬もお湯の出ない古い団地で、自分だけが毎日手を真っ赤にしながら家族の食器を洗わされる妹の心境を想像してほしい。
子供ながらに不公平だと訴えても、「お兄ちゃんは男の子だから、家具の組み立てとか力仕事やってもらうから」と取り合っては貰えなかった。
それなら私だってそっちをやりたいし、そもそもそんなイベントは年に一回も無い。
小学校5年生から、家事は母と2交代の完全当番制になった。
繰り返すが、母は専業主婦だ。
そして当番に組み込まれるのは当然の如く、きょうだいで私だけだ。
その生活は、受験生の時も免除されることはなかった。
これは同じ宗教でも、家庭である程度自由度は異なるから一概には言えないけれど、我が家は学校の友達と学校以外で関わる事が一切駄目だった。
テレビは低俗な民放など見させてもらえず、愛だの恋だの歌うJ-POPを聴くなんてもってのほかだ。
義務教育以外は俗世間から離れ、無菌状態でいることが求められた。
学校から帰れば宿題をして友達と遊びに出かけ、流行りの音楽を聴き、誕生日やクリスマス、お正月のお年玉など季節のイベントを心待ちにしている同級生が心底羨ましかった。
学校の成績が良い事よりも、宗教の中で熱心でいい子でいることが求められた。
幸か不幸か、我が家は父が無宗教だった。
だから父に可愛がられている兄は、自動的に宗教の束縛からも免除された。
兄はオール1ののび太みたいな通知表に、たまに2があると父に褒められた。
私はいくら通知表を5で埋めても、褒められることはなかった。
兄は自由だった。
その陰で、私だけが母の宗教に縛られ、父の寵愛から外れ、甘やかされた我が儘放題の兄のサンドバッグだった。
せめて宗教の中での良い子を演じれば、母には愛してもらえた。
子供だった私の生きる方法は、それしかなかった。
兄は全てに於いて自分の思い通りにならないと、癇癪を起こした。
だから家族でのレジャーや外食は、基本兄の希望が叶えられた。
さすがの両親も、たまには私の希望を聞いてくれようとすることがあった。
その時は決まって、目的地に着いてすぐに兄が怪我をしたり体調を崩したりして、とんぼ返りだった。
3つ違いの兄が中学に上がると、学校行事の振替や開校記念日で、休みがずれる日がある。
母を独り占めできる数少ない日だったが、兄は3年間、そういった日を全て休んだ。
私の希望が、丸一日叶えられた記憶は無い。
小さい頃、「二人で分けて食べなさい」と、かっぱえびせんを一袋与えられたことがある。
兄は袋を開け、私に1本渡した。
半分こだと主張しても、「1本貰えるのと1本も貰えないのどっちがいい?」と言われ、力で勝てない小さい私は泣きながらその1本をフニャフニャになるまでしゃぶっていた。
親にそれを言いつけても、「お兄ちゃんはちょっと難しい子だから分かってあげて」と言われるだけだった。
私は、かっぱえびせんをお腹いっぱい食べたくて、早く大人になりたかった。
それでも、「お兄ちゃんを敬いなさい」と教えられていた。
私は、まず尊敬できるような兄が欲しかった。
SNSの発展と共に、きょうだいが発達障害、いわゆる「きょうだい児」の人の話を目にする機会は増えた。
ただ殆どが、家族はどうやって支えるか、何をしてあげるといいかという、苦労話がありながらもポジティブなものが目立つ。
私が我慢してきたから、兄は私に対して負の感情は無い。自分で言うのもアレだが、むしろ可愛い妹くらいに思っている。
でも申し訳ないけれど、私は今までも兄を慕ったことは無いし、これからも尊敬することは無い。
今まで兄の犠牲になってきて、これからも兄の犠牲になる気はさらさら無い。