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「ユキは私のセカンドネーム」 #わたしの食のレガーレ

「ユキちゃーん」
「はあい」
呼ばれて行ったテーブルに、シゲさんと職場の仲間が6人、せまいソファにひしめいていた。
「こんばんわあ」と私は遠慮なく端の隙間にお尻を入れる。マイクを持つシゲさんは今夜もヤザワ。ほかの歌を聞いたことがない。

ママが自分のたばこに火をつけながら、ちらっと私に目配せした。私はボトルを見る。ウィスキーの残りが4分の3。シゲさんたちの朝は早い。お開きまで、せいぜいあと20分。いける。
マネージャーが新しいグラスを持ってきてくれた。
「いただきまあす」と断ってボトルを取り上げると、私はグラスへなみなみとウィスキーを注いだ。

昼間はバイトで事務員をやっていた。夕方に上がり、自転車で10分走るとアパートに着く。そのあと暇だった。夜にできるバイトを探した。
26だった。大阪の、梅田のとなりに住んでいた。ワインレストラン、会員制バニークラブ、キャバクラの求人情報を目でなぞったあと、小さなスナックで視線がとまった。
新地(高級)クラブの元チーママが開店して5年、男性マネージャー常勤、パンツスタイルでの接客OK、未経験者歓迎。おまけに時給もよい。
一日考えて電話をかけ、面接で即採用された。テーブルが2つとカウンターしかない、ちいさな店だった。

マネージャーも含めて、ほかのバイトの子はみんなハタチそこそこだった。ママが33、次が26の私だから、いつしか自然と私がチーママのようになった。
ママはお酒が弱かった。かわりに私が湯水のように、常連客の酒を飲んだ。タダで飲めるうえに、お給料までもらえる。天国だった。ママは気前よく、私の時給をどんどん上げた。
「口座」という制度がある。私を指名してくれる客に、開店前に食事に誘われると、それがいわゆる「同伴」で、私の時給はその時点から発生する。客と向かい合い、一緒に飲み食いしているだけで実入りが増えた。昼の事務員を私は辞めた。

常連客の中には、ママの学生時代の同級生が何人かいた。みんな羽振りがよく、職場の部下を大勢連れてきた。若い愛人を伴ってくる、コウさんという人がいた。ある晩コウさんがぽつんとひとりで来て、
「こないだホテルで泣かれてなあ。いままでそんなことなかったのに。かわいそうやけどなあ。どないもできへんしなあ」
細い目をしょぼしょぼさせるコウさんの隣で、ママは笑ってタバコを吸った。私はボトルをぐいぐい空けた。家で安酒に親しんでいる私の舌に、高級酒の味は格別だった。

ゴルフコンペが何度かあった。私はママに借りたクラブを、だだっ広い空の下でブンブンふりまわした。ママの愛人はゴルフがとてもうまかった。腰を痛めてからフォームがおかしくなったと言い、たしかに後ろから見ていてもぎこちない振り方だったが、それでもボールはまっすぐきれいに飛んでいった。ママもいいスコアでまわった。私は気に入って買った黄色い帽子が、幼稚園児のようだとからかわれ、ゴルフの中身は散々だった。
夜はママの店で表彰式と懇親会が開かれた。出前の寿司がふるまわれ、ボトルが何本も空いた。

「ユキちゃん、店をついでくれない?」
ママから突然言われた。私は28になっていた。店の片づけが終わり、一緒に出るところだった。
「ちょっと考えさせてください」
やっとそれだけ言えた。

家に帰って湯船に浸かり、私は考えた。あの店のママになる。私が。夜の世界で生きていく。私が。これからずっと。
土日の休みは、勇気を奮い立たせるためだけに使った。しかし結局ものにならず、ママにメールで情けない断り文句と謝罪を送った。月曜の夜、顔を見合わせたママは私に、「ユキちゃんの気持ちはわかった」と言った。すみません、と謝る私に、
「メールじゃなくて、きちんと口で言ってほしかった」ときっぱり言った。私は再び頭を下げた。下げながらママの覚悟の深さが、そのときになってようやくわかった。

私は店を辞めることにした。口頭で告げると、ママは小さくうなずいた。期限までの間せめてもと、それまでの倍、明るく振る舞い、ボトルを空けた。
ある日の昼、コウさんから電話があった。「ユキちゃんの出勤前に、うまいフグ食いに行こうや」と言う。コウさんは私の口座になってくれていた。言われた店に向かうと、コウさんと若い彼女が笑顔で待ってくれていた。
てっさとてっちりをたらふく食べ、ヒレ酒をおかわりしながら私は言った。
「今日で辞めるんですよお、お店」
「え、そうなん?」
コウさんと彼女はほてった赤い目を見開いて私を見た。
「ながながお世話になりましたー」
三人でもつれあいながら、ママの店まで歩いた。

分厚いドアを開けると、店は満席だった。全員がこちらを見ている。
「ユキちゃん、今日までおつかれさまでした!」
誰かの声がして、クラッカーが立て続けにパンパン鳴った。連れ合いの二人をあわてて確かめた。二人ともにやにや笑っている。
その夜の記憶はない。口座の客、常連さん、バイトの子、ママの愛人、ママ。全員に抱きついた気もするし、ヤザワの1曲も歌ったかもしれない。

ほどなくして、ママは店を畳んだ。感謝のお別れランチ会と称して、ママが借り切った庭園レストランの長いテーブルに、私も新しいワンピースを着て座った。「ユキちゃん、痩せたわね」とママが笑った。それまで見た中でいちばん晴れやかな笑顔だった。


黒ワインさんの企画「#わたしの食のレガーレ」に寄せて。

5月2日だったしめきりが、6日に伸びていたのですべりこみました。

コロナ禍の中、いろんな飲食店が知恵をしぼりながら感染の危機だけではなく同時に訪れている経済危機を乗り切ろうと頑張っています。
僕にも好きなお店がたくさんあります。どれもまた行きたいしまた楽しくマスターと時間を過ごしたいお店ばかりです。でも現実的な話、僕の生活レベルの中ではその全てに経済的な援助はできないし、みなさんの多くも無くなってほしくはないお店がありながらもできることは限られてしまうのではないかと思うのです。

ですので、せめて飲食店は僕らにはかけがえのないものだということを心に留めておいてほしくて、今回のコンテストを開催することにしました。

この募集記事を読んだとき、黒ワインさんのあたたかい心が伝わってきました。

私の弟は長年、店で料理を作っています。弟の妻はキッズカフェを経営。どちらも神戸にあり、店は自粛閉店中、ケータリングや持ち帰りサービスでわずかに凌いでいるところです。

先日、嶋津亮太さんが大阪八尾で経営されている"CafeBarDonna"に、カレーのイラストを描かせていただきました。

日中の持ち帰りメニュー「生きるためのカレー」を、泣き虫店長伊藤さんが毎日仕込んでおられます。伊藤さんの姿が弟に重なります。(どちらも僧侶ヘア)

ご縁がある方に、わずかでも応援がしたい。イラストや似顔絵なら描けます。お代はいただきません。必要な方がいらっしゃれば、ご連絡ください。
(Twitter DM解放中。Gmailともに、アカウントはnekonosara28です)

応援したいお店や、素敵なエピソードをお持ちの方、黒ワインさんの企画に応募してみませんか。すでにたくさんの作品が寄せられています。みんなで愛を届けましょう。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。