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漫画を食べる

アマプラで見たドキュメンタリー番組をきっかけに、自分がXジェンダー(ノンバイナリー)かもしれないと遅まきながら気づいた体験を去年書いた。それに匹敵するぐらいの「そうかもしれない」発見を昨日したので、忘れないうちに書いておこうと思う。忘れっこないけど。

今回のきっかけは涼雨零音さんのスタエフである。漫画のペン入れをしながら何かBGMが欲しいなあと思い、何気なく聴いた番組だった。

零音さんの低音ボイスと落ち着いた喋り方、合間に挟まれるセクシーな笑い声が好きで、作業のお供にぴったりなのだ。特に飲みながらの雑談が気楽に聞けておもしろい。私のペン先から生まれる線も、心なしかやわらかみを帯びていく気がする。


酔いが少し進んだ頃、零音さんがある自説を語り出した。創作をする人の特徴と言ったらいいか。小説や音楽、絵画などを自らの手で作り出す人の多くはコレに当てはまるのではないか。「コレ」の中身について、零音さんは落ち着いた低音ボイスで、しかしかなりの熱意を持って詳しく述べていくのである。

零音さんはこれまでの25年間をずっとクリエイターとして過ごしてきた。ライターとしてのロングセラー本もあれば、映像制作に携わった超有名なアニメ作品もある。4年前からは小説も執筆しており、同人誌のゲストに呼ばれなどしている。マルチクリエイターとして、創作畑を長年歩み続けている人だ。そんな零音さんが語る、創作者にありがちな「コレ」とは何か。

もったいぶるわけではないが、ここで断っておくと、零音さんはそれを暴論だとおっしゃっている。「コレ」の中にはひずみがあることを自覚しているし、聞かされたら怒り出す人や傷ついてしまう人もいるだろうと。

ただ私にとっては零音さんの暴論が自分を知る上での大いなる一助となった。なるほどそうだったのか!と何度も膝を打ち、あまりにも自分に当てはまるので笑いすぎて漫画の線が震えた。零音さんの暴論を聞いたおかげで、私は楽になれたのだ。


上で紹介した零音さんの番組は90分ある。暴論1つに限っても、その中身をここへすべて私が要約できるとは思わない。また、零音さんの持論を私自身の発見のように書きたくもないので、中身を正しく知りたい方は零音さんご本人の低音セクシーボイスでぜひお楽しみいただきたい。

私はただ自分に刺さった箇所からほんの一部のみを引用する。

話の流れとして、零音さんはご自身が「空気の読めない人間」だとおっしゃる。社会で運用されているシステムにはうまく適応できなかった。それは生まれ持った個性であり、自分ではどうすることもできない。その上で。

覚悟を決めるしかないんですよ。空気読めない人は。もうそれしかない。

39:30〜39:34
涼雨零音さんのスタエフ番組"【寝落ち用】酒飲みながら創作と才能と個性の話など"

自分は自分に見えてるものを、世界は自分にはこのように見えるよっていうことをね、何らかの手段で表現していくしかないと思う。そういう星の元に生まれているんですね。

40:05〜40:15
同上

この辺りでもう私の心にはむくむくと湧き上がる何かがあったのだが、次の言葉で完全にとどめを刺された。

いろんなことをやってるからか「そういう才能あっていいですね」って言われることがあるんですよ。才能じゃないんだよ。才能っていう言葉でたぶん美化され過ぎなんですよね。そうじゃなくて適応できないからしょうがないだけなんだよ。

41:23〜41:35
同上


・・・そうやねん・・・!!!


いやもう、ほんとそう。私も「多才ですね」とかたまに言われるけど、才能ちゃいますねん。しょうがないからやってんの。誰からも求められてないのに、小学生の頃から漫画描いたり小説書いたりね。一応学校行ったけど、めっちゃ楽しかった思い出なんて1個もない。事務員20年やってたけど勤め先は10社ぐらい変わったよ。通勤時間は自転車やバイクでできる限り短縮し、全然おもしろくない仕事は給与の対価として完全に割り切ってこなし、残業したくないから精度を上げてミスなく手早く片付け「スーパー事務員」と呼ばれても全然嬉しくなかった。帰宅後に小説書いたり漫画描いたりぬいぐるみ作りに没頭したよね。仕事変わるたびに住む場所も変えて、いちいちリセットしてたよね。

ていうか私さ、

社会に適応できてなかったのね・・・!?!?


いまさら知った衝撃の事実、第2弾。

涼雨零音さんのおかげで開眼しました。ありがとうございます。


これいつかきちんと書こうと思いながら書いてないんだけど、私、自分のことにあまり興味がないんだよね。だから占いの類に行ったこともないし、ネットでよくある「あなたはこんなタイプの人」テストもやらない。人がやった結果を見るほうが楽しい。占いなら占い師に興味が湧く。

内省ということもしない。ちょっとやってみたことあるけど、すぐ飽きるからいつのまにかやらなくなった。「いま自分が感じている怒りを味わいながら、なぜその感情が湧いているのか心の奥をじっと見つめてみましょう」を実行しても、見つめているうちに「あー、チューハイ切れてたなあ」とか「あのキャラに言わせるセリフ思いついた!」とか、思考が勝手に飛んで中断しちゃう。

落ち込むこともあるけどね。長続きしないね。「あーもうダメだー!」って滝の涙を流した翌日、ルンルンで漫画描いてるもんね。この頃よく自分でも子どもっぽいなあと思う。本来なら後輩を何らかの形で育成する立場のベテラン社会人であるべき年齢なのに、ルンルンじゃないよ。

でもね、零音さんのスタエフを漫画のBGMに聞いたおかげで吹っ切れた。私はこれでいいんだ。だってしょうがない。社会のシステムにうまく乗れないんだもん。これはたぶん生まれつきで、治すことはできない。このままいろんな人の助けを借りて、自分の個性を受け入れながら生きていくしかないんだ。ノンバイナリーである自分を受け入れたときと同様に。

零音さんも番組の中で言ってたけど、社会に適応してる人ってすごいなあと思う。私の身近にいる相方は、なんと会社を2社しか経験しておらず、しかも最初の1社で所属していた部署がなくなったために仕方なく転職したのであって、34年間ずっと同じ業界でサラリーを稼ぎ続けている。私からしたら目が飛び出るぐらいの税金を納め、社会にめちゃくちゃ貢献している。私の分まで貢献してくれているんだね。ありがとう相方。


この社会に生きていく上で、私には足りないこと、できないことがたくさんある。貢献につながらなくても、私は私にできることをやる。それしか道がない。

ゆうべ見た映画の中で、ピアニストを目指すと宣言した姉と妹のこんな会話があった。「ピアノで食べていくのは大変だよ?」と妹。すると姉が言った。

「ピアノで食べていくんじゃない。ピアノを食べて生きていくんだよ」

映画「羊と鋼の森」


私は漫画を食べて生きていきます。


最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。