贋作・続『テケレッツのパァ』 #書き手のための変奏曲
ととさんの小説『テケレッツのパァ』に敬意を表し、にせものの続編を書きました。
本物の話にはきれいなオチがついています。続編は蛇足です。蛇に足があってもいいじゃないかと思ってくれる方は、ととさんの本物の小説のあとに、私の贋作を読んでみてください。
*
気の利いた締めの一文がどうあっても思い浮かばず、凝視していたスマホから、がばとわたしは顔を上げた。
ふうと息を吐き、後ろへ身を反らす。傾けゆく背中を、すんでのところで止めた。
ここはカフェだ。椅子に背もたれはない。
危うく無様にひっくり返るところだった。子持ちの三十路女の下着など誰も興味はないだろうが、まくれ上がったスカートの中身を見知らぬ輩に只で見せるのは口惜しい。
すっかり冷たくなったコーヒーをひと口飲んだ。喉の渇きは癒えない。レモンスカッシュとか、オレンジソーダとか、しゅわっと炭酸の効いたものを頼めばよかったかな。
しかしやつらは高いのだ。いま飲んでいる「本日のブレンドコーヒー」の、倍の値段はちと苦しい。小学生の我が子二人が、ちっこいままいつまでもランドセルを背負ってくれているならいいが、数年もすれば中学生。そのあと高校、大学へと進学する。すなわち学費。貯めねばならぬ。
母のわたしは、せっせと働く。歩合制の営業職。口八丁手八丁はわたしのオハコだ。成績は常にトップクラス。
だからと言ってだね、チミ。大事な取引先との打ち合わせを早々に切り上げ、カフェでエッセイなど書いていていいのかな。最後の一文が決まらないと、苦悶している場合かな。
ちょいと弁明させてください。五年も続けている投稿サイトには、いまや二万人のフォロワーがいるのですよ。二万人。彼らはみな、わたしの痛快エッセイを心待ちにしている。わたしのエッセイを生きる支えにし、三千字を宝とあがめ、その上投げ銭をくれるのだ。
くれるのはまあ、多くて五人。一人百円、合わせてワンコインだけど。
しかしそれだってバカにはならぬ。週に二回の投稿で、ワンコインが月に四千円。週三回の晩酌の酒代は、ここからまかなっているのだ、わたしは。
見よ、母のこの涙ぐましい努力。たまに会社の飲み会で泥酔した挙句終電に揺られ、寝入りばなの夫を電話で起こして駅まで迎えに来てもらうぐらいのことには、神様もどうか目をつぶっていただきたい。
ああ、そう言えば。
ふとわたしは思い出した。二週間ほど前、例のごとくしたたかに酔っていた終電の中で、見目麗しいお嬢さんと死ぬの死なないのと睦言を交わす夢を見たことを。
あの子は実に可愛かったなあ。おまけにわたしのことを、おもしろい美人のお姉さんなんて言ってくれたりして。ふふ。ういやつめ。夢だけどさ。
あの子、自分のことをなんて紹介してたっけ。なにか特殊な職業に就いていたはず。普段あまり聞かないような。
ふと見上げたカフェのガラス越しに、ひとりの女性と目が合った。途端にわたしは叫んだ。
「死神!」
思い出した。はっきりと。死神だと言ったのだ。わたしを迎えに来たと。
そこからどうなったんだっけ。
ガラスの向こうで、死神の彼女がわたしに手を振っている。花もほころぶ愛らしい笑顔。
死神!と叫んだわたしは、カフェからいますぐ出て行かねばならない。客の視線が突き刺さるし、叫んだときにもう立ち上がってしまっている。
このカフェに裏口はあるのか。トイレの窓によじ登り、外へ出られるか。
ガラスの向こうからこちらを見ている彼女にちらちら視線を送りながら、わたしは出入り口を確認した。あいにく入ってきたドアひとつしかないようだ。店を出たらとにかく走るしかない。
資料の詰まった重い鞄を提げて、わたしは足早に歩き出した。カウンターの前を突っ切り、ドアを出てすぐ左に折れる。いざ、走らん。右足を大きく踏み出した目の前に、彼女がいた。
「お久しぶりです」
ああ。
思わず息が漏れた。
そうだった。彼女は逃してくれたのだ。二週間前。あの最終電車の中で。
本当はわたしを迎えに来たのだけど、気が変わって取りやめにした。
「また、お会いする日まで」
確かそう言い、とびきりの笑顔を残して、私の前から消えたのだ。
今度こそわたしを迎えに来たのだろうか。あれは酔い夢だとばかり思っていたのに。彼女は正真正銘の死神で、わたしの死ぬべきときが来たから、こうして白昼堂々と姿を現したか。
「夢じゃないんだよね?」
念のためにわたしは尋ねた。
「ええ」と彼女はにっこり笑った。
「名刺を渡した記憶があるんだけど」
あの夜にあった出来事を、わたしは少しずつ思い出していた。
「はい。頂戴しました」
「次に迎えに来るときは、電話してって言わなかった?」
「おっしゃいました。でもこうしてお目にかかったほうが話が早いので」
開きかけた口をわたしは閉じた。前もってアポイントを入れていただきたいと、クレームを入れたところで仕方がない。相手は死神。
しばし見つめ合っている間に、前回彼女がわたしを逃した理由も思い出した。
ーーおんなじ月を見ていたから。
彼女はそう言ったのだ。
あの夜、電車の窓から淡い月が見えていた。満月が半月に向かう感じが好きなんだよねと、何気なくわたしは呟いた。名前のない月って感じがするから。
なぜか彼女は感じ入った。そしてわたしを開放したのだ。
あの淡い月は丸かった。そこから少しずつ欠けていく月。半月まで名前はない。その次が三日月で、全部欠けたら新月になる。
今夜の月は確か。
「半月ですね」
長い睫毛の下で、黒い目が艶やかに光った。なんと魅惑的な微笑み。
彼女は待っていてくれたのか。名前のない月が、徐々に欠けていく間。満月の次に名前を持つ日が来るまで。
「わたしは死ぬの?」
「もうお亡くなりです」
「えっ!」
嘘やん。
「いつ死んだのさ。どうやって」
「カフェで椅子から倒れたときに。頭の打ちどころが悪く」
「マジで?」
「いま救急車で運ばれています。残念ながらご臨終です」
はあ。
あのとき咄嗟に力を入れた腹筋は役に立たなかったと見える。
死神に臨終だと言われてしまった。もう、じたばたあがいても仕方ないか。
いつのまにか、彼女について歩いていた。街の景色はすっかり消え失せ、暗い中を前へ進む。頭上に浮かぶ半分の月。
「テケレッツのパァ!」
わたしの奇声に、彼女は身じろぎひとつしなかった。
「効きませんよ。そんな大昔の呪文」
「だよね」
はははと空笑いした。そもそも死神を退治する呪文などない。あれは落語の中の話。
「どうぞ」
彼女がわたしに差し出したのは、よく冷えたペットボトルだった。レモンサイダー。どこに隠し持っていたのか。
二週間前の夜を、また思い出す。
あの夜彼女が酔い覚ましにと、水と一緒にくれたのだっけ。あれと同じ炭酸だ。
ぱきりとフタを開け、ぷしゅうと気の抜ける音を聞いて、しゅわしゅわのサイダーを喉に流した。体が一気に潤う。
「ああ、うまい」
自然と声に出た。
半分の月がぼんやり照らす明かりのもと、暗い世界におぼつかない気持ちで立っているこんなときでも、サイダーは変わらず美味しい。
「味覚はまだ残っているのね」
「そうですね、半分だけ。もう半分はあなたの記憶が補っています」
「それも消えるの?」
「そのうちに」
彼女の言葉を聞いた途端、わたしはサイダーを彼女に預けた。鞄の中をごそごそとかきまわす。取り出したスマホを見て、彼女が言った。
「声はもう届きませんよ」
「わかってる」
子どもたちのことは、夫に託した。死神の彼女から臨終を言い渡されたとき、そう決めた。あの人なら二人を懸命に育ててくれる。真夜中に泥酔した妻を車で迎えに来てくれるような、やさしい人だもの。
わたしの命のろうそくは、まだまだ勢いよく燃えている。そう思っていたけれど、致し方ない。これも運命。
なかなか愉快な人生でした。やさしすぎて頼りない夫のことは、わたしが空から見張っていてやる。
投稿サイトのアプリを開いた。カフェで書いたエッセイの、決まらなかった最後の一文。
言葉を覚えているうちにと、手早くわたしは打ち込んだ。
”みんな、またね。楽しい一日になる呪文。テケレッツのパァ”
*
(経緯と感想)
ととさんは以前、ご自身の小説をリライトされたのですが、そのきっかけが私の小説だったそうです。ととさんと私の文学的好みはどうやらとても似通っているらしく、幻想、幻惑、この世ならぬもの、川上弘美、のれんに腕押し、自ら煙に巻かれ、嗚呼!と歓喜に身を捩るのを好む種族。
リライトのあとの解説文で、私の小説をベタベタに褒めてくれました。超いい気分!これはなにか返礼をせねばと、今回続編を書いた次第です。こういうことするの初めてなんですが、すごく楽しかった。自分で一から考えるより楽だし、コラボ感覚で書けるのも愉快。二次創作が人気なの、わかる気がします。
『テケレッツのパァ』を選んだ理由は、私の好きなワードが目白押しだったから。落語、酒、月、終電、強気な女性、可愛い死神、軽妙洒脱なやりとり。ととさんは語彙が豊富で、私の知識を総動員してもそこをカバーしきれなかったのが残念です。知的なユーモアが、コントみたいになっちゃった。そもそもこれ、ととさんへの返礼になっているのかしら。
ほかにも私の勝手な解釈で書き進めた部分が大いにありますが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
マリナ油森(aburamori)さんの企画『書き手のための変奏曲』に参加します。
彼女がこの1ヵ年企画を立ち上げた理由に、肩肘張らない、気軽な気持ちで投稿できるnoteがもっと増えればいいなという思いがあったように記憶していますが、だんだんそんなふうになっていませんか。
いま、池松潤さんのリライト企画がとても盛り上がっているし、誰かに推されてノリで書いたり、試しに小さなシリーズを始めてみたりする人が、私の身近にも増えてきた。
マリナさんはどうも、私より5年ぐらい先を生きている感じがします。近未来からの使者。
池松さんの企画です。ご本人いわく、書かれている恋愛小説はすべてフィクションだそうですが、主人公の男性に「潤」と名付ける人が結構いておもしろい。
私のイラストを推薦していただいたおかげで、ヘッダーに使ってくださる方がたくさんいらっしゃいます。ありがとうございます。
いまのところ『また会える』がいちばん人気なのかな。同じストーリーが書き手によって様々に変化する様子を、私も大いに楽しませてもらっています。
創作って楽しいな。
最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。