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支援と記憶

岡山市内に住んでいる。少しもやまずに降り続く雨は怖かった。用水路から溢れた水が、すぐ目の前の道路に流れ込み、玄関先に三段ある階段のいちばん上まで迫ってきた。
同じ県内の少し離れた市では、コンビニの屋上で助けを待っている人がいると、ニュース速報が伝えている。うちには猫が三匹いて、避難所へ連れて行くのは困難だ。もしも浸水が始まったら、ともかく上へ逃げようと決めた。

一晩中、玄関を見張っていた。ガレージのシャッター越しに水が入ってきた。排水溝が溢れているので、水を流すことができない。トイレはレバーを引かず、シャワーも我慢した。
結局、水は玄関までは入ってこず、翌日の午後にはほとんど引いた。
夕方にトイレを流し、シャワーを浴びて、少し眠ろうかと思ったけれど、つけっ放しになっているテレビから同県や隣県の惨状が次々と目に入ってきて、とても寝るどころではなかった。かと言って支援の手を差し伸べることもできず、ただニュースを食い入るように見ていた。

二日経ち、屋根まで浸水していた町の水が抜かれて、やっとわたしは寄付をすることに思い至った。このnoteのある記事で募金情報を見つけ、いくばくかの支援をし、被災地のネットショップで遅延を前提の買い物をいくつかした。

寄付というのは、その土地に住む人に心を寄せることだと思う。心を寄せた結果、オムツを届けたり、スーパーの募金箱に百円入れたりする。一日も早く日常生活が戻りますように。町が復興し、繁栄しますように。そんな願いが支援につながる。

平成七年に起きた阪神淡路大震災を、わたしは兵庫県で体験した。最寄りの駅が倒壊したが、住まいのマンションは奇跡的に短期の停電だけで済んだ。結婚して家を出ていた弟の住む地域では、一ヶ月間断水した。弟は車で一時間かけて、うちに水を汲みに通った。

東日本大震災も、先日の高槻市での地震も、今回の豪雨も、寄り添う気持ちがある限り支援は続く。人は忘れやすい。忘れられない人の思いが、長い支援を支える。

最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたにいいことありますように。