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この世は愛で満ちている

まずはお礼を。
虹の橋を渡ったミカサに、たくさんの言葉の花をいただきました。
本当にありがとうございます。

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マリナ油森さんの募集企画、「第2回"#呑みながら書きました"」に参加するのを楽しみにしていたその日の朝に旅立ってしまい、とても酔えないと言いつつ弔い酒を呑みながら一気に書いた文章に、noteとTwitter、メールを通じてとても多くのコメントを寄せていただきました。

あの晩、お酒が入った状態でないと、ミカサの訃報をあんなふうに伝えることはできなかったと思います。
たとえば2日後に「実は」と前置きして、取り繕った文章でお知らせすることはできたでしょう。みなさんからのコメントに作り笑顔でお返事し、翌日からそんなことは忘れた素ぶりで猫マンガをUPしていたかもしれません。

私は命が関わるとなぜか慎重になるたちで、あさゆうの成長をマンガにするときも、避妊手術まで終わってからと決めていました。
命の保証がない弱々しい赤ちゃん猫のことをマンガにして、もし途中で死んでしまったら読者にも申し訳ないと思ったからです。

よくTwitterで若い女性が「妊娠3ヶ月です!」なんてツイートしているのを見ると、すごく勇気があるなと畏怖すら感じていました。まだ安定期にも入っていない段階で、そんなお知らせを公にしちゃって大丈夫なのかと余計な心配をしたものです。

だからミカサのことを、保護したその日にイラストで公表するのは、私にとってかなり思い切った行動でした。
それこそ死の淵をさまよっている状態の猫のことを、SNSという場所で発表してしまってもいいものか。今夜死んだらどうするのか。

悩んだ末にUPしたのは、みんなの応援が欲しかったからです。
「元気玉」というものを、私もミカサに与えてもらいたかった。「弱っているミカサのために元気玉をください」と言いたかったからです。
それで起きる奇跡を信じたかった。

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実際ミカサは持ち直しました。
体重はほとんど増えないままだったけど、ごはんは食べるし、輸液のおかげで目は輝いていました。
うたた寝している私の毛布の、胸の上までいつのまにか登ってきていて、起きたときすぐ目の前に香箱を作っているミカサと目が合い、その体力に驚いたこともありました。

ミカサの顔のケガのことをくわしく書いたことは一度もなかった。書けないほどひどかったのです。骨が見えている状態で、「これが脚なら切断しています」とむーちょさんにも言われていました。きれいに肉がつく見込みが薄く、ついても完全に元には戻らない。どんな顔になるかわかりませんでした。

それでもむーちょさんの懸命な処置の成果が日を追うごとにあらわれて、骨の見えていた部分がずいぶん狭くなってきた。これなら再生した皮膚を寄せて縫えば、ある程度復元するのではないかというところまできていました。縫合に長けた名医を紹介するとまで言ってもらっていたのです。

あとは体重が増えればOK。貧血もそれで治る。めざせ2キロ。がんばってもっと太ろうねと毎日声をかけていました。高カロリーのウェットフードを一日摂取量の2倍近くも食べることがあって、それなのに体重が増えないのが不思議でした。おなかにいた回虫も出て、すっきりしたはずなのに。

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やはり何か、腎臓か、どこかが弱っていたのだと思います。
貧血なのに血を抜いてウィルス検査をすることもできず、猫白血病だったら先住猫に移るので、ミカサは2階の部屋に完全隔離していました。
つけっぱなしの暖房の中、昼間はケージフリーにし、数時間おきに様子を見て、30分ほど一緒に過ごしていました。
開け放したカーテンから差し込む日差しの角度に合わせて、こたつ布団の上、座椅子、猫ベッドの中と、見るたびに移動しているのがとても微笑ましかった。

いつも朝がいちばん元気で、ごはんをねだってふらつく脚で私のあとをついてくるのに、その日は朝から食欲がありませんでした。それでも毎朝フードに混ぜている、すりつぶした抗生物質の薬が入ったその部分だけはきちんと食べた。
自らケージに入り、ベッドに丸くなっているミカサを、昼になってむーちょさんのところへ連れていきました。白血病かどうかを唾液で調べるためです。白血病でさえなかったら、みんなのいる1階のリビングに引っ越しさせようと思っていたからです。
ミカサは人が好きだったから。うちの先住猫にもケージ越しにぐるぐる鳴いていたから。

20分後に検査キットに出た結果は陰性でした。それでも私たちがあまり喜べなかったのは、ミカサの体温が下がってきているとわかったからでした。

帰宅した夜、ミカサをリビングに連れてきました。
ケージを組み、ヒーターを入れたベッドにミカサを寝かせ、暖めた部屋でみんな一緒に過ごしました。
自分から食べないので、私が毛布にミカサをくるみ、シリンジで流動食をやりました。半分こぼしたけど、半分食べた。十分な量とは言えないけど、輸液もしたし大丈夫だろう。食欲が戻るまでの勝負だ。明日に備え、気合いを入れて、リビングに相方を残し、私は2階の寝室に引き上げました。
そのとき振り返った先で、猫ベッドの縁に少し頭をもたせるようにして休んでいる後ろ姿が、生きているミカサを私が見た最後でした。

あのときは、ミカサはまだ生きると思っていた。
でも失ったいま思い返してみると、ミカサはぎりぎりの状態で息をしていたんだとわかります。
背骨が浮き出て、顔の片頬に穴が空いている、そんなよれよれの猫が3週間生き延びた。
それはひとえに、やっぱりみなさんがくださった、元気玉のおかげだと思うのです。
ミカサちゃん、がんばってね。応援してるよ。元気玉だよ、えいっ!って投げてくれた。みなさんのやさしいお気持ちがあったから、ミカサは3週間も寿命を延ばしてくれたんだと思います。

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だから、ミカサのことを保護したその日にお知らせしたことは、本当によかった。
酔って書いた私の文章の内容に驚き、一緒に涙を流してくれた人がたくさんいました。
「そんなことを呑みながら書くなんて不謹慎だ」という苦言はひとつもありませんでした。140字いっぱい使った長いコメントをくれた人が大勢いました。

ミカサはたぶんどこかの家で飼われていたのでしょう。
人が大好きだったから、そんなにたくさんの人から手を振ってもらえて、空の上できっと喜んで喉をぐるぐる鳴らしているでしょう。
虹の橋に待つペットがいる人から、「うちの子が案内します」「一緒に遊んでね」と言葉をかけていただいたので、ミカサには仲間がたくさんいます。そう思うだけで心があたたかくなります。

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この世は愛に満ちている。
こんなことがあるたびに、心からそう思います。

一匹の小さな猫を愛してくれて、みなさん本当にありがとう。
ミカサのために、言葉の花をありがとう。

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