jazzな自分
jazzというものを私は大人になってから初めて聞いた。
それまで、一ミリも興味はなかった。「俺たちのサウンド」というjazzへのイメージが、クラシックよりも敷居の高い音楽へとさせていた。
仕事の関係で、jazzと接する機会があり、
目の前で、演奏を見たとき衝撃だった。
音の密度がすごい。流れ行く時間を飽和する勢いで音たちが埋まっていって。膨大な情報が耳から入ってきて、私を包む。私は思わず目をつぶる。
すると、ピアノ、ウッドベース、ドラムが、ずっーとこの音楽を支えてる。のが、わかってくる。
そこに登場トランペットはヒーローだ。
アベンジャーズばりに、サックス、トロンボーン、クラリネットなどなど、次々にヒーローが現れる。
そうこうしてると、支えてくれいたはずの、ピアノが、遊びだし、、誰もが主人公になれる。
音と音が、ぶつかって、誘惑して、反発して、だけど融和していく。jazz。
あんまりのコンビネーションに、体は動き、その中に入れたら、どんなに素敵だろうと思った。
私が敷居の高さを感じていた「俺たちのサウンド」は、間違っていた。
「俺のサウンド」をリスペクトし合ってまとめていく音楽なのだ。個性を認めあい、出しきったら、自然とまとまってく。(しかし、彼らに流れる一定の文化があることは否定しない)
私も個性を大事にしよう。それと同じくらい。周りの個性をリスペクトしよう。 jazzy人生歩んでみよう。
おしまい。
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