逃離自己
※和訳:自己からの脱出。
トプ画は中之島美術館の現代アート展で観た作品で、作者は忘れました。
たまにこんなことを考える。
「自分のためにやってくれたこと」と「自分に対してされた仕打ち」
清算した時に、どちらが重いのだろうか、重いべきなのだろうか、重いと思うのだろうか?
根源的に人間は「産んでくれた」ゆえ生きられるのだから、前者が勝つのだろうと私は思う。
しかし往々にして気持ちが追いつかない時もある。
人は人生をかけて悟っていくのか、堕ちていくのか。
追記
元気です。(?定義によってはいつも元気じゃないです、になりかねないですが笑)
今日も梅田でずんだシェイクを飲み、かわいいTシャツとカットソー(300円!)、イヤリングを買いました。
前にも書きましたが美味しいんです。ずんだ茶寮のずんだシェイク。遂にこの度ラージデビューしてしまいました笑
大叔父は大叔母が亡くなった時、一言目に
「まあ死んじまったもんは仕方ないな。残された者たちだけでやってくしかないわ!」
と言いました。若干のサイコ感を覚えましたが、事実は事実ですね。
仕方ないのでぼちぼちやっていきます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?