見出し画像

抱擁


今日のエッセイは、最近書いた「抱擁」という詩のお話をさせてください。言葉におこせない気持ちのことを詩にしているので、詩について改めて話すことはあまりしないのですが、今日は話してみようと思います。

「抱擁」は愛する人に向けて、わたしの今もっている愛のことを記憶みたいに残しておこうと、手渡すためのラブレターのように書こうと決めて書いた詩です。

わたしから愛する人へ贈るための詩ですが、あなたにとって大切な誰かを想いながら読んでくださったら嬉しいです。やさしいあなたは、きっと同じような愛をもっているはずだから。

例えば、「愛している」という言葉だけでは足りない気持ちがあります。おそらく今ある言葉の中で、一言で最大限の愛を伝えるのに用いる言葉ですが、そのなかに含みきれない感情や記憶があります。

それはきっと「あなたにわたしがおいしいと思ったものを食べさせたいと思ったんだ」とか、「今日の夕焼けが綺麗だからあなたに見せようと思って」と言って写真を撮ることとか、そんな当たり前に過ごしている中で思うちいさなこと。

そのひとつを挙げるとしたら、ショートケーキのいちばん上、おいしいところをあなたにあげること。それは「愛している」と言うよりも、わたしにとっては深い愛のような気がしています。

今ある言葉では伝えられないこと、好きだとかラブだとか、愛してるとか想っているとか、それだけでは伝えられないことをどう伝えたらいいんだろう。そんなことをよく考えます。もちろん、言葉を伝えることは大前提としてあって。

そうしてわたしは、あなたに手渡したいと思った美しい言葉たちを宝箱に入れるように大切にしまって、美しいドレスを紡ぐように詩を書いている。

忘れてしまえば存在しなかったかもしれない思い出のことを実在させるように、わたしの視線から見たあなたのことを、その記憶のことを遺すようにシャッターを切っている。

そのどれもが愛であって、それがもしあなたのことを抱擁するように包み込んでくれたのなら、腕の中で安心する寝顔を見て眠ることができたなら、それがわたしの終末でもいい。そのくらいに思ったっていいんだと思います、大切な人を想うときはいつだってその覚悟をもっていて。

誰かがそんなんダサいよとか、恥ずかしいなんて言ってきたって知らん顔でいい。一生のうち、あなたが手渡せる愛をそんな奴らのために減らす必要はないから。愛していることを伝えるためなら、その愛が押し付けではなく、お互いが目を見つめて伝え合うものなら、きっと恥ずかしいことなんて何一つない。

そして、わたしとパートナーは性別的に男女であって、世間的に言えば“普通”の関係ですが、お互いがどんな性別であっても共に過ごしていると思っています。きっと性別なんて誰もがグラデーションのように溶け合ってできたものでしょう。

同性だとか異性だとか関係なく、誰かが大切な人に、愛する人に渡す美しい愛のこと、そんな愛が当たり前としてあればいい。ただそれだけでいい。

今日もどこかの誰かが大切な人に渡す愛を、くだらない理由で嘲ることも当たり前の権利を奪うことも、そんなものぜんぶ無くなったらいい。

少なくともここに生きているわたしは、そんな風に思っています。愛する人に向けて、生きているうちに伝えられる愛はすべて伝えていきます。

何かのきっかけで破れてしまう部分があったとして、かけつぐように美しい姿に戻してあげたらいい。もし割れてしまうくらい大きな出来事があったとして、金継ぎをするように新しい美しさを得たらいい。

愛する人と共に生きるということは、そんなことだと思っています。少なくとも、今わたしのもっている言葉で表現するなら。これから先、何十年と経って死ぬ間際にたくさんの記憶を、手渡し手渡された愛のことを思い出せたらそんな幸せはないと。

それまでにわたしはどんな愛をあなたに手渡せるでしょうか、「愛している」という言葉以上に今もっている愛を伝えられる言葉を見つけられたのなら、それをまた伝え合いましょう。

二人でそんな話をして、今日も眠りにつきます。

読んでくださっているあなたにとっての愛とは、どんなものでしょうか。とても気になります。

よかったらどこかで聞かせてください。
あ、でもそれが二人だけの秘密だったら、どうかそのまま宝箱にしまっておいてくださいね。お二人のもつ愛はそういった形の愛なんだとそっと受け取ります。

長々と読んでくださってありがとうございました。
ではまた、ここで。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?