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TVとの付き合い方

私は、一人暮らしをしていた時、TVを持っていなかった。
特に珍しくもないと思っていたが、ふと職場でそんな話題になって、20〜60代まで「ひとりでもTVは必須だ!」との意見で面白かった。私の20代は、仕事に熱中していて、在宅時間≒睡眠時間の生活だったし、TVがなくて困る場面もなかった。

今は娘を育てることが最優先事項となり、家族と郊外の自宅で過ごす時間が増えている。大人だけの時のように休日に気軽に映画館に行けなかったり、娘の娯楽として活用するためにも、我が家にもTVがある。そして、娘と私は、完全にサブスク派だ。便利で性に合っている。
日中、保育園で頑張って集団生活をしている娘は、帰宅後から就寝までのわずかな時間に好きなアニメを見ながら、寝転んだり、おままごとをしたりするのが息抜きらしい。

私とTV

私は、子供の頃からほとんどTV(地上波放送と呼ぶのか?)を見ないので、TV番組や出演者、CM等について語る材料はほとんど持っていない。
父母はスポーツやバラエティ番組を好んで見ていた。私は興味もなく、効果音や声色が好きではなかったので、在宅中はずっとイヤホンで音楽を聞いていた。父が集めていたロックやジャスやヒュージョンのレコードコレクションは飽きなかった。本も自分の都合の良いタイミングで読むことができるので、好きだった。

TVという発明と技術はすごいと思う。
映像で伝え合うという概念には感動する。

生まれてからずっとTVが身近な生活を送っているものの、基本的な放送の中身やコンテンツには惹かれない。惹かれないので、見ない。見ないので、見る習慣がつかない。子供の頃からそうなので、大人になって、今更、生活様式は変わらない。
私は一方的に無差別に流れてくる、コントロールできないTV放送というものに馴染めなかったのかもしれない。

そういえば「世界の車窓から」と動物のドキュメンタリー系は好きだった。でも、わざわざ放送時間を気にしたり、録画したりする発想はなかった。そこまでの熱量がないようだ…。好きと言いつつ申し訳ない。

夫とTV

夫は、私と違って、TVの番組表を眺めたりしている。けれど、あまり見たい番組がないし、視聴時間もないとぼやいている。

しかし、例外がある。ダイオウイカだ。
「深海の神秘」「ダイオウイカの生態に迫る」のような番組があると、積極的に見たがる。見たい番組があると、番組の時間を忘れないようにアラームをかけたりもしている。これらの情報を逃さないように、番組表をチェックしているのではないかと思っている。
イカ・タコ・クラゲ等の美しい写真の本も複数コレクションしている。美しい色や形の貝殻を集めて飾るのも好きだ。
本人はこれらの生物を食さない。私は食料だと思っているが、「あの見た目は絶対に鑑賞用」だそうだ。

娘はCMに怒っている

現在、娘が「TV」と認識しているものは、動画系サブスクのことだ。私の趣味と嗜好によって、我が家はサブスク天国だ。Netflix、Disney、Amazon、どれも子供向け番組も豊富だ。CMが入らないことで、物語が途切れず心地よい。自分で費用を負担することは、情報や時間を選択できることでもある。

夫がたまに見ていた一般のTV放送では、放送本編からCMに切り替わると、著しく音量が大きく感じるし、脈略のない情報がいきなり流れ込む。3歳の娘はこれにイライラして不機嫌になる。

🐹「あー‼︎!また変なの始まった。これヤダ‼︎!もう‼︎!」
🐈‍⬛「一応説明すると、このCMさんがお金を払うから、TVさんが見られるんだよ。」
🐹「じゃあ、ペッパとジョージは、何でCMさんがないの?」
🐈‍⬛「ママがお金払ってるからだよ。」
🐹「あ〜。なるほどなるほど〜。ありがとう〜」

…だそうだ。
わかっているのか、いないのか。

私には、一つだけ好きなCMがある。
「SONY BRAVIA color is magic」スケッチ編のCMだ。まだHDTVの時代なので、15〜20年近く前のものかもしれない。これは唯一、何度も見返している。商品の押売りではなく、世界の美しさの一面を見せてくれるからだろうか。

巻き戻し最高

娘は、好きな場面、より意味を理解したい場面は、何度も巻き戻して、何という言葉を言っているか、前後のお話の意味が何なのか、わかって納得するまで繰り返し見たがる。ツボに入ると、笑い転げていて微笑ましい。最近はpeppa pigの日本語版をほぼ覚えて飽きたそうで、英語版を見たがる。

🐹「ペッパ達は英語をお話しするんでしょ?保育園でもお姉さんお兄さんは英語を習うんだよ!ハロー!ボンジュール!」楽しそうでなによりだ。

私も巻戻し傾向があり、気持ちがよくわかるので、できるだけ彼女が満足するまで再生している。
一方で私は、海外ドラマや映画の英語の口語と字幕、日本語字幕の内容を確かめるのに、iPadで延々とリピートしていることがある。意味やニュアンスを理解する過程は実に心地よい。また、日本語に合わせて表現を変化させているシーンを見つけて「原文を崩さない方がリアルだな」とか「これは日本語訳が素敵だ」等と一人で考え続けるのが面白い。

🐏「この見方、意味わかんない…」
🐈‍⬛「パディントンのpigeontonは、日本語のハトントンの方が秀逸だよ。鳩とハット🎩がかかってる。」
🐹「カッコー♪カッコー♪」
🐏「種類変わってるよ!」

世界の悲しい場面が飛び込んでくる…

ここ数年、ニュースで頻繁に戦時の映像が流れる。山火事や洪水、地震等の天災の映像も。普段は娘の目に入れないように、TVではニュース番組をかけないのだが、うっかり消し忘れてしまったことがあった。

東欧の破壊されたり燃える街並み。傷ついた人々や動物。避難先で悲しさや疲労や絶望を宿す人々の表情。

娘は1歳後半の時、それらを見て、取り乱して泣いてしまった。
🐹「悲しい」「なんで壊れる?」「みんなどうなる?」 「赤ちゃんいたよ?」「何があった?」「ママもこうなる?」

怒り、恐れ、悲しんで、泣き叫んだ。

🐈‍⬛「🐹やママやパパのお家は、今は大丈夫。今日も今日寝た次(明日のこと)も、ごはんを食べて、遊んで、お家で寝れるの。」
🐹「ほんと?」
🐈‍⬛「ほんと。でも、遠いところで、悲しい事が起きてるの。お姉さんになったら、ママと一緒に、何があったかお勉強していい?」
🐹「うん、わかった。でも怖い。」
🐈‍⬛「怖いよね。ママも怖いし悲しいよ。でも、今、🐹もママもパパも、先生もお友達も大丈夫。」
🐹「うん。抱っこして」
🐈‍⬛「おいで」

抱っこして、TVは馴染みのあるアニメに変えて、一緒に絵本を読んだり、おもちゃで遊んでいるうちに、彼女は安定したように見えた。けれど内面まではわからない。

まだ世界は覗かない

世界の現実を否定するつもりはないし、隠し続けるつもりもない。
けれど、今の娘は、映像を見る度に、確実に混乱や恐怖を抱く。
時間や空間の概念を理解できるまでは、出来るだけ世界の戦争や災害の映像から距離を置いて生活していてほしい。それが許される、恵まれた環境にいるのだから。

「親が先回りし過ぎではないか?」とも考える。
しかし、娘と同月齢の頃の私は、ベルリンの壁崩壊やソビエト崩壊の記憶がある。見たことのない抗議運動やデモの様子、集まった普段着の人達を押さえつける軍人や警察官達の様子、大人達が感情を爆発させている様。
その後、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件では、被害時の映像、詳細な再現映像、被害にあった方の発言等が、毎日繰り返し流れていた。

理解が難しい得体の知れない恐怖や混乱。TVの向こうの出来事は、どんな背景があって起きたのか、そして私や家族にどんな影響を及ぼすかわからない。
つかみどころのない不安や恐怖について、子供相手に詳しく解説したり、真剣に話を聞いてくれる大人もいなかった。混乱を処理しきれずに、幼稚園や学校へ行きたくないと言い出したり、日中も夜も考え続けることがやめられなかった。「私が学校に行っている間に、何かが起きて家族を守れなかったらどうしよう!」と本気で考えていたし、切迫した緊張と混乱を抱えていた。心配しすぎなのだともわかっているが、感情も考えも、止め方を知らなかった。
時が経ち、アメリカ同時多発テロ・9.11事件の時には、冷静にニュースや新聞で情報を集め、何が起きたかを調べ考えることができるようになっていた。そのためか、恐れや悲しみに揺さぶられ続けるような不安定な状態にならなかった。
夫にこんな話をしたら「全く考えたことなかった!」と清々しく答えてくれた。彼と私は、好きなものが似ていることもあるが、考え方や感じ方は全く対極にいる。私は、この明るさに毎日救われている。

今は3歳の娘も、数年も経てば世界を知ることを拒否できなくなる。
世界には国や地域・文化・信仰等によって、娘の所属する生活圏と全く異なる現実や価値観が当たり前に存在する。そのことを知って、調べて、考えて、という過程で、身近な大人である私が必要とされるなら、喜んで助けになりたいと思う。

娘も着実に成長していて、時間や季節の概念は育っているし、地球儀に興味が出てきている。けれど、まだ時計は読めないし、日本が何かもどこかもわからない。
宇宙の中の地球、地球の中の地域について、漠然と言葉だけを知っているが、まだそれらが繋がってはいない。これらがつながり、それらに過去・現在・未来があるということを理解できれば、彼女の思考はもっと開けていくだろう。
それまでは、世界の悲しみは、この世界に生まれて数年の子供が背負わなくていい。

今の娘は、マンモスのぬいぐるみがないと眠れないし、恐竜やユニコーンに会いたいと笑っている。
だから、我が家のTVでは、しばらくは世界の悲しみを流さない。
あと少しの間は、恐れや悲しみに支配されない環境で、心身を発達をさせていってほしいと願っている。

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