【映画感想】『ヒトラーのための虐殺会議』

あらすじ

 1942年、ナチス政権下のドイツ・ヴァンゼー湖畔で行われたヴァンゼー会議を映像化した作品。ナチスドイツの要職15名が集まり、「ユダヤ人問題の最終的解決」(=ユダヤ人の計画的抹殺)について討議する姿が描かれる。(2022年公開、監督:マッティ・ゲショネック)


評価

★★★☆☆ 3.6点

予告編


感想

BGMなし、凝ったカメラワークなし、大仰な芝居なし。頭から終わりまで淡々と会議を映し出して終わるという非常に硬派でコンセプチュアルな作品。

ヴァンゼー会議はその文書記録と議事録が戦争で失われなかったことから後世にその内容が伝えられている会議であり、本作はこの議事録をもとに制作されているとのキャプションが示されること、そして、実際の会議も90分ほどで終わったとのことから、本作は実際の会議内容をかなり忠実に演じたものとなっているのだと思われる。そのため、意見の対立が生じ、会議が紛糾することはあっても、そこに作劇的にドラマチックな盛り上がりはなく、なんとなく落とし所を見つけながら粛々と会議は進行していく。

また、このようなコンセプトであることと、もともとがドイツの国内向けテレビ映画であることから、様々な用語や政治情勢についての注釈が全く無いため、突然全く知らない会社の会議を間近で傍聴することになったような奇妙な感覚を味わうこととなる。


そういったわけで、高校世界史レベルの知識の人間からすると、服装も髪型も同じような15人のおじさん達がいきなり込み入った話をし始める形で作品が始まるので、最初はなんとか頑張って内容を追いながらひたすら話を聞くこととなる。

誰も彼も政府や省庁のトップたちとあって、それぞれがポジショントークを交えながら会議が進み、なんとなく主催の国家保安部長官が自身の持っていきたい方向に議論を強引に進めていっているという会議の全容が見えてくる。それぞれの高官たちにもそれぞれの立場があるようだし、中には政府の方針のために法律を軽視することに異を唱える者や、軍人や役人のメンタルヘルスについて気にかける者もいる。それぞれが自分の職責を全うしようとしており、どうも根っからの悪人はいないように見える。

ただ、そういった彼らの立場や人となりが見えてくるほどに、彼らには共通してユダヤ人に対する人権意識が全く無いという恐ろしい事実が、それはつまり、現代の我々とは全く相容れないおぞましい”常識”が彼らの中に存在しているということがまざまざと浮かび上がってくるのである。

ユダヤ人を強制収容することにも、虐殺することにも、彼らは全く躊躇することはない。ユダヤ人の大量移送や組織的殺害が会議の流れからスルスルッと決定してしまうので、一瞬聞き逃しそうになってしまうほどである。参加者の彼らに強烈な民族的嫌悪感は感じられず、「ユダヤ人は駆除されるべきだよね」というのは当然の前提として全くの低体温に会議は進行していく。収容所のキャパシティを気にしたり、強制労働者としてどうユダヤ人を運用していけば効率がよいか頭をひねったりと、嫌にシステマティックにユダヤ人のことを捉えており、その効率的な思考が現代人からするとグロテスクだ。

ドイツ政府の高官たちをそれぞれの職責を全うする、その時代におけるある種”真っ当な”人たちとして、感情的な描写を削ぎ落として彼らをドライに描けば描くほど、当時のナチスドイツの異常性が浮き彫りになってくるのである。


 会議と会議前後の短い歓談、途中の休憩時間の歓談のみで構成され、本当にドラマチックなことは何一つ起こらないし、徹頭徹尾、舞台もヴァンゼー湖畔の邸宅のみという本作。かなり頑張って観なければ置いていかれるし、多少体力がある時ではないと観るのはキツい作品であると思われる。

ただ、よく分からないところからスタートした会議が、最終的にそこまで世界史に詳しくない人でも知っているあのアウシュビッツ強制収容所に繋がっていく体験は唯一無二のものである。個人的には本作を鑑賞後、ある程度知っていたけれども詳しくは分かっていなかったホロコーストについて、色々と調べてみる機会を持つことができた。本作はこういった学びのきっかけとなる作品であると思う。

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