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アオバトの想い

井の頭自然文化園に行きました。
わたしがおもに通うのは、分園の日本産淡水魚や水辺に住む鳥たちがいる水生物園の方です。

平日の開園してすぐの園内は人影もまばら、と言いますか、ほとんどわたし一人しか“観客”はおらずひっそりとしていました。

七井橋の方の入り口から入ってゆっくりと歩いて行くとほどなく、一羽の黄緑色をした美しい鳩の女の子と出会いました。
フェンスで覆われた小さな鳥小屋に、彼女はひとり横を向いて静かに枝に掴まっておいででした。

わたしはその温かく柔らかな羽の可愛らしい姿をしばらくうっとりと眺めておりましたが、なんだか彼女の横顔が愁(うれい)を帯びているようにも見えました。

そこでわたしはフェンス越しではありましたが、静かな声でそっと彼女に声をかけてみたのです。
『アオバトさん、間違っていたらすみません。何か心配ごとでもおありでしょうか?あなたの表情がとても哀しそうにみえたものですから。』と言いました。

すると彼女はとても小さくその姿に似合った優しい声で答えてくれたのです。

『・・・はい・・・そうです・・・やはり、そんなふうに見えましたか?実を申しますと、海へ行きたいのです。
海へ行きたくてたまらないのですが、ここから出る事もできず、ただ哀しみに暮れているのです。』と彼女は本当に切なそうに言いました。

わたしはまた、『すみませんが差しつかえなければ、その海へ行きたいという理由を聞かせていただけませんか?』と尋ねてみました。

アオバトの女の子は少し首を傾けて、やはりその瞳は哀しそうではありましたが、ふふっと笑いました。
その笑顔には物を知らぬ小学一年生の子どもに算数などを優しく教えてくださる先生のような温かさがありました。

それから彼女は、『岩場に行って海の水が飲みたいのです。アオバトというのは、果実もたくさん食べますが、海水も飲む鳩なのです。飼育員さんは海水の代わりにわたし達にミネラルの多く含む塩土(えんど)をくれます。
でもね、塩土じゃないのです。

やはり海の水が好きなのです。なにより仲間達と岩場の潮溜り(しおだまり)で波にさらわれないように競い合ったり、歌を唄ったり、大きな鳥に襲われないように見張り役を交代し合ったり、海の岩場は海水を飲むだけではなくて、アオバトにとっては“スリリングで楽しい”ところでもあるのです。』と言い終わると、彼女は薄青色のくちばしのつけ根を少し下げ、美しい黒い瞳を潤ませてしまいました。

『アオバトさん、教えてくださってありがとうございます。わたしも岩場の潮溜りは好きです。
潮溜りに取り残された魚の稚魚や色鮮やかで小さなウミウシ、カニ、アメフラシなんかを観察してスケッチしたり・・・楽しいですね、わたしも海へ行きたくなりました。』とわたしはそこまで言うと、彼女を本当に海へ連れて行ってあげたくなりました。

そこで一瞬、この鳥小屋を開け放ってアオバトの女の子を逃してしまおうかと言う思いも浮かびました。
しかしそんな事は到底できるはずもなく、彼女にしてあげられる事はないかと思い直しました。

『アオバトさん、哀しい想いに囚われるのはもうやめにしましょう。どうか想像してみてください。仲間達と岩場で楽しく海水を飲み合うところを。皆んなで代わりばんこに見張りをして、波をわざとかぶって皆んなを笑わせたり、ふざけ合ったり。そう、楽しくアオバトの歌を唄いましょう!』と、
わたしはさも楽しげに大袈裟に指揮者が指揮棒を振るような格好をしてみせました。

そして最後にこう付け加えました。
『頭の中は自由です。想像の中でなら海へでもどこへでも行くことができるのです。あの楽しかった岩場の事を思い出してみてください。どうか心を解放してあげて!』
そう言ってから、わたしはそっと立ち去そろうと歩き出して、また彼女の方を振り返りました。

アオバトの女の子は黄緑色の柔らかな翼を一度ぶるっと震わせ、美しい黒い瞳を閉じ、薄青色のくちばしのつけ根を少し上げて優しく可愛らしい微笑(えみ)を浮かべているのが見えました。

おしまい





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