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聖人君子になりたい私

突然ですが、あなたは「聖人君子」という四字熟語はご存知だろうか。簡単に言うと「めっちゃ知識あって、めっちゃ德が高くて、人間として理想的」である。

結論からいえばそんな人はいない。それに近い人ならいるかもしれないが、私は出会ったことない。
人間に感情がある以上は不可能だからである。
ならば私が「聖人君子」に近づきたい。と。

ここで、みなさん。「○○さんは全然怒らないし、超優しいよね」と思ったことはあるだろう。だが、それは違う。優しいから怒らないのではなく相手に期待してない。もしくは他人に興味を持ってないことが多い。
だからその優しさに甘えてはいけないことを注意してほしいところだ。

ここで何を言いたいかと言うと、怒るくらいの気力やエネルギーがあるなら、注意や指摘、叱って欲しいのだ。私は決して怒られるのが嫌なのではなく、言葉を選ばすただ罵詈雑言を浴びせられるのが嫌なのだ。上司と部下の関係性でよく起こりがちなシチュエーションだが、ハラスメントはダメなものはダメ。団塊の世代はそんなの当たり前のようにあったかもしれないが、「パワハラ防止法」が2020年4月から順次施行されていくが、もうすでに法を介してでもしないと、人を捌くことができなくなった時代に突入する今、昔も今も関係なくなってきたと言えよう。

横道それてしまったが、私も人間である以上は感情もあるし、イライラやストレスは往々にして抱える。怒る人からすればただ気力やエネルギーを消費するだけ。怒られる人からすれば、エネルギーを吸い取られる。だから私は怒るのもストレスを抱え込むのもアホらしい白痴なものだと感じたのである。つまりお互いにとって無意味である。

人の德はどこに出るのか。「不特定多数が居る場に於いて、そこに最適な行動がとれるか。」にあると私は考える。例えば、道端にゴミが落ちてたら素通りするのか拾ってゴミ箱に捨てるのか。後者の場合、どこで誰が見てるかわからない場においても、「周りからどう見られてるか」を常に意識した行動がとれてる。後者の人間は男女問わず好きになるタイプである。

私は人間なので、怒りの感情やイライラ、ストレスは捨てられないが、それを人にぶつけようとは思わない。それだけでも人間としての格が上がったようなきがする。あとは私も常に「周りからどう見られてるか」を意識したい。という話でした。〜完〜