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義理母四十九日

早いもので、1/22 猫目石一家の義理母 四十九日と義理父の月命日を終えました。なぜか緊張いたしました。猫目石ばぁさんを産み育ててくれた両親の、大いなるお礼を兼ねて、般若心経をあげ、お供えを吟味したり、お線香を灯したりいたしましたね。猫族の金平も、可愛がってくれた義理母と義理父の写真を見上げて、にゃうにゃうと、般若心経に合いの手を入れておりました。

義理母は音楽の「お」の字もわからないど素人でしたが、子が音楽活動を続けているうちに、聴く耳は多少はできていたようです。義理父も同じく、全くの門外漢でございましたが、わからないなりに勉強をしておりました。

都会の人族のように、教え込まれて音楽をやる環境にはありませんでした。このようなわれわれが、まかり間違って東京で、何十年も継続的に仕事ができましたことは奇跡的です。一人と一匹感謝しておりまする。

加えて、近々66歳にもなろうというのに、お仕事を頼んでくださる人族がおられて、感謝しております。「これも義理両親の思し召しだ」とおっしゃる猫族もおられます。

ばぁさんの両親は気持ちが優しく、困っておる人族猫族がいたら、放っておけないタイプでございました。決して高飛車ではなく、他猫他人と同じ目線に立ち生活しておりましたね。贅沢もほぼしなかったです。そのため、長生きであったのやもしれません。(義理母94歳、義理父90歳まで生きました。)

訃報のハガキを出しましたら、お返事をくださった方もいらっしゃいました。「ご両親に大変お世話になりました」と。地域では尊敬されておったと思いますよ。

最後まで慕われて、惜しまれて亡くなったのは幸せでありますね!われわれもそのような生き方をしなければと、肝に命じておりまする。

義理父は人を助けることに終始し、最終的には自分の仕事(医師 内科医)が生きがいだと言っておりました。保険医ですので、猫目石ばぁさんの実家は決して裕福ではありませんでした。そのため、お金がべらぼうに高い私学には行くことはできませんでしたがしかし、同じ境遇の猫友に恵まれ、長きにわたる家族同然のおつきあいができ、嬉しく思っておりまする。

これも義理両親の方向づけのおかげだと感謝しておりまする。

最近はことあるごとに義理両親に「感謝しかない」とつぶやいておるわれわれでございます。また義理両親を見送ることができたことは幸せであったと強く思う日々が続いておりまする。

間違っておるやもしれませんが、金平共々両親より長く生きながらえて、無事見送ることができたのは、親孝行の一つではないかと思っております。

猫目石の義理父の先祖はお寺さんであったこともございます。また義理母の父(早くに亡くなった)は、滋賀県彦根市で彦根仏壇の職人として、伝統工芸の仕事に携わっておりました。このご縁で、京都のお寺のお仕事をしたりと、仏教にはご縁の深い一族であることを思い知りました。

このご縁でわれわれは座禅やマインドフルネスを知ったのかもしれません。マインドフルネスは禅の導入版だと聞いたこともあります。お釈迦さまは、一部のお偉い方だけではなく、一般大衆の心を救うことを目的としておられたようです。当時はマインドフルネスという言葉はなかったと思いますが、似たような思想で、一般大衆を導いていかれたのでしょうな。

noteの過去記事は非公開にしておりますが、未熟ゆえのこともあり、今後は新たにまた記事を書き綴っていきます。ご縁のある方だけに伝われば良いと思っておりまする。今後ともよろしく。


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