眼の治療のはじまり
前回の記事 にありますように、先月から眼科通いをはじめました。今月からはいよいよ点眼薬(エイベリス)を処方されまして、1日に一度のみ、点眼しております猫目石ばぁさんです。
ちなみに前回も書きましたように、ばぁさんは緑内障ではなく、予防として点眼薬を使っております。眼圧が高いと緑内障になりうる確率が高いとか?
また60代であることも関係しているんですね。これが80代にもなっておれば、余命少ないということで、積極的治療はしないかもしれませんね。でも亡き義理母は、90代でもずっと施設でキサラタンという緑内障では代表的な目薬を入れておりました。
亡き義理母は目には自信をもっておりましたし、親族には緑内障の者は一人もおりませんでしたので、油断しておったのでございましょうね?義理母は、老眼鏡以外はメガネは作ったことなし。ずっと1.5の視力を保っておりましたのにね〜
だから人生猫生わからないんです。強度近視の義理父が緑内障になってもおかしくないのに、そうではなかったから不思議です。
この義理母、70代の後半くらいでしたか?この頃から大きめに視野が欠けていたのだと思いまする。一度某猫ホテルの喫茶室で、コーヒーにシュガーを入れてくれようとしたところ、シュガーをざーっとこぼしたんですね。普通ならこぼすわけないのに・・・この頃きっと、コーヒーカップの一部が見えてなかったんだと思います。
また車での移動、暗めの車内で「目が見えない」とあちこちにぶつかっていたことがありました。その時たまたま同乗しておった猫目石ばぁさん
「これはおかしいぞ。ただごとじゃないぞ。」と思ったそうですぞ。
で〜〜 猫目石ばぁさんは「一度診てもらったほうがいいのでは?」と忠告したそうです。その時義理母は「目には自信がある。一族郎党目の悪いものはいない血統だ!!!」とつっぱねておりました。亡き義理父も無理に眼科に連れていくことはしませんでしたが、どういうきっかけだったか、亡き義理父の同級生の紹介で大阪の眼科に行き、「緑内障」と診断されたのですね。レーザーの手術も受けましたが、すでに遅かったんでしょうね。(ここまでくるのに長期間かかっているそうです。)
片目を失明いたしました。で、左目も徐々に悪くなり、90代初期には鍵穴から外をのぞいているくらいしか見えなくなってしまいましたね。施設入所後は食べ物を口に運ぶことすらできなくなり(こぼすので)食事介助をしてもらっておりました。
こんな感じで、しかも転んだことが原因となり寝たきり、トイレもいけない、食べ物も自力では食べられないような状態では、素人が介護をできるわけはありません。(いっとき猫目石一家も介護に通いましたが、地獄状態でございました。)
猫目石ばぁさん、義理母の状態をみておりますので、素直に猫先生の診断に従っているわけですね。いろいろな猫先生がおられますが、それぞれの考えがありますので、治療方法も違うようです。ばぁさんくらいの状態では点眼治療をせず、様子見の先生もおられるとのこと。
しかし、それで手遅れになった族さんのお話もあります。
われわれのお世話になっておる猫先生は後で知ったところ、大変な名医で専門的な書籍もたくさん出しておられるとか?(指導的立場にあるのでしょうね。)しかしそれをご自身で公表されません。そーいう猫先生なので、ずっとお世話になりたいな、と思った次第だそうですよ。
先月の記事にも書きましたように、マインドフルネス瞑想での通達が現実となったのやもしれません。
また血圧や眼圧、血糖値の安定にはマインドフルネスが良き効果を与えてくれるそうなので(人族医師のお話です)われわれ、心して時間を作ってやる必要があると感じました。
ピアノの練習をしていて思うこと。これがマインドフルネスそのものではないか??と。集中していると身体が楽になっていくのです。そういう意味でも練習を一定時間とることは、技術的レベルの維持に加え、心身の安定にもつながるとは、良いことづくめでございますね。
マインドフルピアノ歳時記の次回は「会議は踊る」という映画音楽に決定しておりますが、次の次あたりから、既成の練習曲を編曲いたしまして、メディテーションにふさわしい楽曲として発表します。
練習曲はつまらなく、退屈だ。いやなのにやらなければいけない、ではなく、内側を意識できるような新曲として仕上げることを計画いたしました。
猫目石が思うところの、マインドフルな楽曲として。弾いて心身ともに楽になっていけるもの。テクニック的にそんなに難しくないものをと・・考え中でございますよ。
いろいろな経験を経まして・・ますます現実はつながっているといいましょうか?過去も現在も未来もひとつにつながっておることに感動しております。数字だと0の世界ですね。
良きことと悪きこととは背中合わせなどと、人族の諺にはあるようですが、その通りですね。
何事も固執せず、受け流せるだけの力を得るためにも、瞑想はわれわれには大きな力を与えてくれております。心配は不要なんですね。
長々とお読みいただきありがとうございました。
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