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足るを知る

昨日あたりから、大学で仏教?を専攻した族さんの動画をみておりまして、心に響きましたので、忘れないうちに記しておきます。

心が満足するとは、足を知ること。これは老子の言葉でもあり、仏教での教えでもあるようです。われわれも以前に、天との交信能力のあるウサギ族、宮之島しろ&じゅりさんから伺ったことがございます。そのときは左から右に聞き流しておったのでございますが・・今は心に沁み込んでゆく言葉となりました。

今はやっておる?ミニマリスト断捨離もその考えを受け入れておるのだそうです。

無駄なものが部屋中に溢れておる=心も整理がついておらない 要するに何から手をつけて良いかわからない気持ちが現実となって現れておることなのでしょうな・・

とにかく何かをやらねばと思っておるのであれば、案外部屋の掃除やトイレ掃除あたりから片付けていけば解決方法や、進むべき道がわかるのだと思いますよ。

さて・・足を知るですが・・・以下に非常にわかりやすく記されておりました。

老子先生のお話が奥が深い。よく自分に勝つといいますが、われわれにはその意味が未だかつて落とし込めておりませんでした。しかし・・下記を読みまして、感嘆しきりの猫目石一家でございます。

他人をよく知っている者は、智慧ある人であり、

自分自身についてよく分かっている者は、賢明な人である。

人に勝つ力のある者は力があるかもしれないが、

己に勝つものには及ばないのである。

足るを知り、今に満足できる者は、富める者であり、

勉強し続ける者には志がある。

居るべきところに居り、敢えて道に外れた行いをしなければ長久であり、

肉体は死んだとしても、遺徳が滅びなければ、長寿と同じである。

仏教ウエブ入門講座より

加えて・・

老子の思想は、無為自然という考え方で、

人間の作り出した名誉や財の有無などにこだわることなく、

自分自身が自然のままでいることを勧めています。

仏教ウエブ入門講座より

この無為自然は自分に向き合うことであるのでは?と思いました。われわれも他の生き物と一緒に自然界におります。存在自体が自然であり、自分と向き合うことは自然と向き合うことではないか!と思いました。

芸術とは、自然に向き合うことの一つではないかと思っております。われわれが大芸術家の作品をみたり、聴き込んだりしてなんとなくわかってきたこと。誰かから聞き齧ったことではありませんのや。

曲でも、情景描写から内面描写(自分の内側との対峙)に入っていきますね?→自然と向き合い、自分とも向き合う(猫目石の独善的考えです)

今後もわからないなりに、もっともっと自然を極めていきたいと思います。以前にとある霊能猫族さんから「猫目石さんは自然と向き合ってそれが完璧に理解できたら、次は宇宙ですぞ。(そのときは肉体が破壊される?=亡くなるとき)と耳打ちされたことがあり、なんだかその猫さんのおっしゃる通りになっているやもしれん?と思っておりまする。ただ喜んで良いのは、完璧には理解できてないので、まだまだ生きられると思っておりまする。

まぁ上記はおとぎ話の世界ですが・・

さてさて・・現実のこと。HPは8年ほど前に作りまして、色々と恩恵を被っておりまする。2024年からは新しい方向へと進むため、サブドメインを作り、もう一つのサイト建設+@開き  にとっかかることにしておりまする。

@開きとはデーターのダウンロードができる場所(ウエブショップ)です。>Base  カラーミーなど

オリジナル作品に力をいれることと、アリモノの編曲については初級の方でも満足して弾けるような譜面も出していきたいと考えておりまする。

今日はそのために、参考にしておるサイトのワードプレステーマが何か?検証しておりました。案外簡単に検証することができるんですね!

なんだか内容がバラバラですが、ご容赦を。また書きます。

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