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読書メモ:年森瑛『N/A』(文藝春秋)


紹介文引用

選考会で異例の満場一致! 
第127回文學界新人賞受賞作

松井まどか、高校2年生。
うみちゃんと付き合って3か月。
体重計の目盛りはしばらく、40を超えていない。
――「かけがえのない他人」はまだ、見つからない。

優しさと気遣いの定型句に苛立ち、
肉体から言葉を絞り出そうともがく魂を描く、圧巻のデビュー作。

文藝春秋BOOKS HP

選評引用

文藝界新人賞

文學界新人賞・全選考委員激賞!!

ここには誰のおすみつきももらえない、肉体から絞り出した言葉の生々しい手触りがある。――青山七恵

安易なマイノリティ表現への違和感の表明であり、同時にそのような表明の安易さへの批判でもあるという点で、まさにいま求められる文学なのではないか。――東浩紀

本作には紛うことなき現代を生きる人間が、そして現代がぶち当たっている壁が克明に描かれている。——金原ひとみ

世界が傷つくとみなす事項に対する、最初からの「傷ついてなさ」が、ぐっとくるのだ。――長嶋有

満場一致の受賞となり、今後の活躍を楽しみにしている。――中村文則

主人公にとって、また小説にとって、とても重要なもの、安易に言語化できないものたちが、物語の力によって、この小説の中に確かに存在している。――村田沙耶香

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芥川賞選考

山田詠美
「大切に一文を重ねて行っているのが解る。でも、時々出現する御丁寧で大仰な比喩が興を削ぐ。」「それらを一度全部取ってみたら、いっきに洗練されると思う。小説における洗練とは野蛮さに磨きをかけることだ。」

島田雅彦
「月経を忌避し、偏食を続ける高校生まどかは(引用者中略)他人との接触の仕方に悩むあまり、一種のコミュ障に陥り、紋切り型への恐怖を募らせるその迷走ぶりが「乱暴に」描写される。生身の自分に理想的行動ができるアプリをダウンロードしようとするが、どうしても齟齬が生じてしまう実態は、「多様な生き方」の曖昧さを浮き彫りにする。」

小川洋子
「まどかは、実に賢い子だ。」「しかし作者が、彼女の分析を的確に言葉に置き換えてしまっている点が、むしろ弱点のような気がした。」

松浦寿輝
「「摂食障害」(引用者中略)「SNS」「LGBTQ」という現代的トピック三つを並べた、あざとい三題噺のような物語で、題名の付けかたをはじめ、作者の才走りように感心しないでもない。」

吉田修一
「何か新しい人間たちがこの作品の中では生きているという感触もあった。」「ただ、その感触がまだどうしても弱い。」

平野啓一郎
「性自認に於ける“本当の自分”という意識が、そのフレームを食み出して、主体そのものの本質主義にまで拡張される様をアイロニカルに描いている。佳作だった。」

奥泉光
「快作であるが、小説中の鍵語であり、物語の推進力たるべき「かけがえのない他人」がいまひとつ焦点を結ばぬ憾みが残った。」

川上弘美
「(引用者注:「おいしいごはんが食べられますように」と共に)○をつけました。」「ある規格におさめられてしまうことを拒否している語り手、という存在は、多くの小説にあらわれてきましたが、この小説の語り手は、言葉の表層だけではなく、そこに本当に存在している人間としての実感をこめて、何かを拒否しているように感じられたのです。語り手が、作者のたくらみを表現するだけの道具にはとどまらず、自立している。」

堀江敏幸
「語り手に一種の改心をもたらすのは否定的に扱った相手から示される下心なしの反応なのだが、そこへ持っていくための最後をややしつらえすぎたかもしれない。」

芥川賞のすべて・のようなもの


感想雑記(ネタバレ含み〼)

 読後感としては「面白い」と「はぁ」であった。

 まず面白いと思った点について。自分の関心と相まってLGBTQに対する描き方に興味深さを感じた。まどかは親密な関係がよくわからないまま、うみちゃんと付き合っている。一方、うみちゃんはその様子を勝手にTwitterのアカウントで綴り、呟きは同じような境遇の人ーー同性愛者ーーの希望として多くのいいねを集めている。うみちゃんは勝手に同居などを考えて、勝手に「社会が変わるまで頑張る」と呟く。まどかとうみちゃんの間には決定的にズレがある。
 このズレは一般的にはうみちゃんの先走りに見え、若干異様かもしれない。しかし、これは二人の関係性に対する積極さの違いだけではなく、同性愛者の自覚がある者と同性愛者ではない者のズレでもあるように思う。まどかは確かに同性と付き合っているが、それは同性が好きだとかバイセクシャルだからとかではなく、「かけがえのない他人」が同性だったら得られるかも?と賭けたからだ。それはカテゴライズできない、唯一性のあるものだ。確かにそんな関係は尊い。しかし、一方で同性愛者(と思しき)うみちゃんは恐らく、孤独な唯一性からカテゴリを見つけることで救済と、同時に苦しみを得てきたに違いなく、カテゴリとの付き合いはまどかのそれより根深いのではないか。最初に同性愛者である気付くとき、多くの人は孤独であろう。「みんなと違う」「変なのかな」等。そのうちに、自分が「同性愛者」というカテゴリに属すことを知り、仲間がいることを知り、救われる。他方、そのカテゴリに属すということが何を意味するか、そのカテゴリにいるというだけで向けられる憎悪や疎外をも知る。このようにして、カテゴリは否が応でもうみちゃんをつけて回るだろう。そう考えると、うみちゃんの状況は、カテゴリで自分を捉えてほしくないというまどかの一歩先を行くものーーカテゴリで扱われる現実を受容したその先ーーのようにも思えるのだ。

 とはいえ、双方の語り合いの不足による現実味のなさが気になる。別れようとまどかが切り出したときに、一方的にまどかが同性愛のしんどさに負けて別れようと言い出したと解釈してうみちゃんが励ます描写は、流石にリアリティに欠ける気がする。うみちゃんがTwitterの世界で同性愛者の希望カップルとして振る舞うことに快感を覚えてしまった悲しい人なのであれば別だが、いくら同性愛者であったって、まず社会から疎外されたカップルである前に一つの人間同士の関係なのであり、別れようと言われたらまずはもっと別の要因を探すだろう。何か、この描写自体にカテゴリの暴力を感じてしまう。そんな同性愛者どこにいるんですか的な(ページ数の問題もあるか…)。もちろん、うみちゃんの勝手にTwitterで色々語る行為は良くなかったと思うだが。
 でも、この僕のうみちゃんへの擁護は、思春期のまどかへの苛立ちの裏返しのような気もした。唯一であることを求めて、うみちゃんには「少数」でも仲間がいるじゃんと苛立つまどか。僕は思春期らしい思春期を経ていない(受験に費やした)から、ここまで所謂「自分探し」に迷った経験がない。だからこそ、まどかに苛立つのかもしれない。カテゴリの暴力の被害者ぶっているくせに、仲間がいるからってうみちゃんへ怒るのかと。カテゴリの暴力性に対して一人では死んでしまうから、マイノリティは頑張ってカテゴリ内で連帯するのであって、勝手に唯一性を求めて仲間をどんどん削っていって、なぜという気持ちがどうやら僕にはあるらしかった。

 その点、生理、というより血に対する描写は純粋に面白い思った。

 翼沙が鼻血を隠していたと分かったとき、何でそんな馬鹿げた隠ぺいを、と思ったけれど分かった気がした。死ぬわけでもないのに血を出すのは恥ずかしい。それで人から優しくされるのは、もっと恥ずかしい。

p.110

 経血を単純に嫌だと思って止めたまどかに対して、拒食症だとして周りは悩んだりケアしようとしたりするのだが、まどか本人はいたって当然のようにしている。だって嫌だったから。嫌なら止めれば良いじゃん、という。この設定は独特だし、今見返すとまどかの心情をよく表している気がする。自分の思う通りにならないことが嫌だと、内心喚き叫ぶ、両手両足ばたつかせているだけなのに、何だか世の真理めいた冷静さで世界を見ている気がする、そういう思春期という厄介なものが、この物語を貫いているのだな、と今書きながら思う。

 ああ、だから、この話を「マイノリティ表現」とか「LGBTQ」とかと結びつけるのは違うのかもしれない。確かに、摂食とか同性愛とかがこの物語には存在している。しかし、まどかを貫いているのは、単に、非常に普遍的な「思春期特有の自分探し」である。(自分なんてないのにね)と既に思ってしまっている、思春期過ぎた僕には、それが掴めなかったらしい(今気づいた)。

 さて、半分「はぁ」と思った点に足を突っ込んで自己解決してしまっているが、何よりも「はぁ」と思ったのはラストである。これは芥川賞選考委員である堀江敏幸の「語り手に一種の改心をもたらすのは否定的に扱った相手から示される下心なしの反応なのだが、そこへ持っていくための最後をややしつらえすぎたかもしれない」に近い感想だ。さまざまな美味しい具材を、うまく着地させられたのか。自分には判断が難しい。ネットの海にはは「思春期特有の自意識過剰の破裂がラストであってよかった(大意)」という感想が見られた。確かに、この本の本筋を思春期とするのであればラストに似つかわしい。実際、思春期がこの本の本筋だと思った。しかし、摂食障害や同性愛というキャッチーで未ださまざまなコンフリクトを抱えているものをてんこ盛りにしておきながら、うーん、自意識過剰の終焉かぁ、である。
 まぁ、小説のラストほど難しいものはないように思う。芥川賞を以前受賞した『推し、燃ゆ』もラストがしつらえ過ぎた感はあった。

 何だか文句ばかりのようになってしまったが、面白く読み進めた。理解するために読み直した部分もある。複数回の読書に耐えうる作品であることは確かだし、次回作もまた見てみたい。

 

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