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ガチャポン戦士とわたし

 にぎやかな繁華街を歩いていると、眩い白色蛍光灯の明かりを道いっぱいに振りまくゲームセンターに必ずと言っていいほど遭遇する。目的地がゲームセンターであることはほぼないのだが、どうしても私の目は道路側に面して連なるガチャガチャたちに引き寄せられてしまう。これはもう私の脳や神経に深く刻み込まれてしまった習慣なのだろう。今更どうすることもできない。目的地に向かって最適なルートをたどっていたはずの私の体は無意識のうちに小さなショーウィンドウに引き寄せられていき、そのラインナップを目だけで素早く追い始める。一つ一つじっくり見ていきたい気持ちはやまやまだが、日が暮れ始めるにつれてよりきらびやかさを増す繁華街の中で、一人ガチャガチャの前でうろうろするのは何とも恥ずかしいのである。帰宅後、机の上に並べた戦利品を見て途方に暮れるのも、もう卒業したいのだがどうしようもない。ガチャガチャを回すのは幼少期から時とともに形作られた私の性質の一つなのだ。

 最初にガチャガチャを回した時のことなどもう記憶にはないが、小学校低学年の頃から私はガチャガチャに夢中だった。特に、アニメ「機動戦士ガンダム」シリーズに登場するロボットたちが大のお気に入りだった。アニメーションの中では人間ほどの等身のロボットたちが2頭身ほどにデフォルメされて(これをスーパーデフォルメという)小さなカプセルに数個のパーツに分解された状態で入っており、それらを組み合わせることで初めてその姿を成すのだ。彼らの名前はガチャポン戦士といった。彼らの各パーツの接合部はどの種類でも大体同じ形でできているので他のものと組み合わせてオリジナルを作ることもできた。これが小学生男子の心を大いにくすぐった。小さな戦士たちのパーツはゴムのような素材でできていたため、長時間小さなカプセルに押し込められていたことによって、変形してしまっているパーツもざらにあった。そんな時はぬるま湯の中で正しい方向に押し戻してやる。直後は変形が抑えられるのだが、時間がたつとやっぱり元のようにぐにゃりと曲がってしまうのがご愛敬であった。面白いのは、当時「機動戦士ガンダム」のアニメなど見たことがなかったことである。私が小学生のころには、すでに「機動戦士ガンダム」シリーズのアニメは青年~中年をターゲットとしており、いわゆるお色気シーンを危惧した両親が許してくれなかったのである。しかし、アニメを見たことがなくとも小さな戦士たちから物語の内容を想像したりすることはできた。幼少期の少年の想像力は無限大であり、それを抑えることは両親にもできなかったようだ。
 数か月に一度、「機動戦士ガンダム」シリーズの膨大な機体の中から数種類がチョイスされ、新しくガチャガチャコーナーに並んだ。そのたびに小遣いを握りしめ(あるいは親にせがんで)、ガチャガチャを回した。もちろん出てくる戦士たちはランダムであるためその結果に一喜一憂した。たまにゲームセンターに連れて行ってもらうと、両親は「軍資金」と言って何百円かを私に握らせてくれた。姉は必ずぐるぐる回るチョコレートを救い上げるクレーンゲームにその「軍資金」を費やしたが、私はそれを横目にガチャガチャのコーナーに走った。お金を入れたからと言ってその見返りが約束されるわけではないクレーンゲームに対して、必ず何かがもらえるガチャガチャは確実で誠実な娯楽に思えた(ガチャガチャのギャンブル性に泣いたのはもっと後になってからである)。小学校を卒業するころにはアニメを見たことはなくても相当数の機体の名前は覚えてしまっていた。

 中学校に上がっても、まだ私はガチャポン戦士の魅力から逃れられずにいた。思春期真っただ中、さすがに級友の前でガチャガチャをやる勇気はなかったが(いや、したかもしれない)、休みの日があると一人でこっそりゲームセンターやおもちゃ屋を渡り歩いてガチャガチャを回した。小学生の頃はガチャガチャに狂う私を両親は何も言わず見守っていたが、さすがにひりひりと白い目線を感じるようになっていた。しかしそれでも私は小さな戦士たちの魅力を振り払うことなど到底できなかった。
 この頃からガチャガチャの値段設定が上がり始めた。小学生の頃はほとんどのガチャガチャが100円であったが、200円、300円を要求する高飛車なガチャガチャが現れ始めたのである。ガチャポン戦士も例にもれず300円に値上がりしたが、そのクオリティは大きく上がった。等身が2.5等身ほどになったためカプセルは大きくなり、単色だった各パーツは細かく色分けされ、なんとパーツの接合部にプラスチックの関節パーツが用いられるようになった。小さなランナーにこれまた小さな部品が収まっており、これらをニッパーで切り離して組み合わせることで可動式の関節パーツが出来上がる。こうなるともうほとんどプラモデルである。小学生の頃の100円ガチャポン戦士は関節がただの円柱形の棒でしかなかったためポージングの幅は小さかったが、この可動式関節パーツの導入によってポージングの幅は大きく広がった。(―余談だが、このくらいの時期に彼らの名前が「ガチャポン戦士」から「ガシャポン戦士」に変わった。バンダイ史に刻まれるべき改悪である。「ガチャ」と「ガシャ」では「回している感」が圧倒的に違う。ささやかな抵抗としてこの文章では「ガチャポン戦士」を使用する。)ただ、月1,000円の小遣いに対して300円は痛かった。小学生の頃は日に2度3度回すことができたのだが、値上がりによってじっくりと回すべきガチャガチャを吟味するようになった。さらに、関節部分を動かすことはできないが、等身はアニメに準じている精巧なガンダムフィギュアがガチャガチャで登場した。なんと400円もした。非常に高級なガチャガチャであったが、何とも言えない罪悪感を胸に純朴な少年はこれも回した。しかし関節を動かしてポージングを決めることのできないフィギュアは少し物足りなかった。やはり思い思いのポーズをとらせて脳内で自由に動かしてみたかったのである(これをブンドドと言う。)。

 高校時代にガチャガチャを回した記憶はあまりない。思えば放課後と土日を部活に費やし、ガチャガチャなどに興じている暇などなかったのかもしれない。また、猛威を振るう自意識にガチャガチャ欲が勝てなかったのかもしれない。部活仲間や後輩の前でガチャガチャなど回せるものか(これまた、いやお前回してたよ、という旧友の言葉が聞こえそうである)。

 大学に入って思春期の自意識から解放された私はガチャガチャを回すことに恥ずかしさを感じることもあまりなくなっていた。先輩の前でも友達の前でも平気で回した。両親はもうあきらめたようである。ガチャガチャの値上がりは続いており、なんと100円だった戦士たちは500円に値上がりしていた!等身はゆうに3等身を超え、一体パーツだった足や腕のパーツは肘や膝にも例の関節パーツが追加され、ポージングの自由度はさらに大きく上がっていた。
 大学生になってバイトを始め、自分が自由に使えるお金が増えた私を一つの事件が襲った。あれは大学二年生の冬であった。誕生日を間近に控えていた私は、自分の誕生日に自分の稼いだお金で誕生日プレゼントを買ってみたくなったのだ。そこで頭に浮かんだのがはたまたガチャポン戦士であった。自分の気が済むまで、ほしいものが出るまでガチャガチャを回し続ける。そんな小学生時代の自分の夢をかなえてやりたくなったのだった。丁度そのころ、自分が一番好きな機体がガシャポン戦士となって登場したのも悪かった。丁度実家に帰るタイミングであったため途中秋葉原で下車して、巨大なヨドバシカメラを決戦の地と定めた。広大なガチャガチャコーナーで目を輝かせる子供たちを横目に5000円をすべて百円玉に換金し、お目当てのガチャガチャを回し始めた。数回回したころはまだ余裕があったが「軍資金」5000円がみるみる吸い込まれていくのを見て焦り始めた。それもそのはず、一回500円の高級ガチャガチャでは10回も回せば5000円が溶けてなくなるのである。高々5種類の中から一つ出すなら5000円もあれば十分だろうと思っていた私の脆弱な計算式は確率の悪戯の前に敗れ去り、あっという間に「軍資金」は底をついた。しかし、ここでやめれば文字通り私の5000円はドブに捨てられたことになる。ほかの有象無象の戦士たちに興味はないのだ。私が欲しいのはただ一つのみなのだ。仕方なく一階まで降り、近くのコンビニで追加の5000円をおろした。お分かりであろうか。こうなってしまってはもう後には引けないのである。再び戦場に舞い戻った私は先ほどと同じガチャガチャ機の前に立った。大きなガチャガチャコーナーでは同じガチャガチャが複数並んでいることはよくあるのだが、私から5000円を吸い上げたガチャガチャ機がどうにも恨めしく、どうしてもそいつから出してやりたかった。また、確率は収束するはずだという淡い期待もあった。しかしガチャガチャ機は容赦なく私から「軍資金」を吸い上げていった。泣きそうである。次第に私の頭に様々な憶測が沸き上がる。「もしかしたらこの箱の中に私の求めるものはないのでは?」「お店の人が補充する際に何らかの偏りが発生したのではないか?」という具合である。もう十数回はここで回している。もうとっくに出ていていいはずなのだ。私はほかのガチャガチャ機に移動することを決意した。しかし結果は同様である。そう都合よく一発で出てはくれないのだ。焦りと動揺で正常な判断力を失った私は三つほどガチャガチャ機を渡り歩き、ついにお目当てのガシャポン戦士を手に入れたころには9500円を失っていた。リュックサックの中は19個もの大きなカプセルでいっぱいになっており、袋口すれすれまで積もりあがったカプセルの体積と背負ったときに確かに感じる質量が余計私をみじめにさせた。実家到着後、カプセルでパンパンのリュックサックが母に見つかって問いただされたが、あまりの虚無感と恥ずかしさで何も言うことができなかった。とにかく、もうギャンブルのたぐいのものは一生やるまいと心に決めたのであった。

 こんな事件があってからも、私はまだガチャガチャの魔力から逃れられずにいる。さすがに何度も回すようなことはしなくなったが、まだ性懲りもなくぶらりとガチャガチャコーナーに入っては彼らを探してしまうのだ。しかし不思議なもので、暇つぶしに回すかという気持ちで回すと案外お目当てのものが一発で出たりするのだ。「物欲センサー」なる言葉が存在するのも頷ける。最近はどうやらガチャガチャブームなようで大きなショッピングモールには必ずガチャガチャコーナーが存在している。ひとたび足を踏み入れると私の背よりも上まで積み重ねられたガチャガチャ機たちが私を見下ろす。一つ一つのパッケージは本当に小さなショーウィンドウのようで、きらきらと光って見える。いつの間にか大人になってしまったがこの小さなショーウィンドウをのぞき込む私の心は少年時代そのままである。




(タイトルはガチャガチャ備忘録のつもりでしたがあまりにもガチャポン戦士たちの話しか出てこなかったので変更しました。)


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