Todeswunsch

今日は些か生きることが困難だ、と思う。
低気圧、ストレス、生理前、自律神経失調症、流行病の後遺症、etc...
色々と困難の原因を見つけるべく頭を巡らせるが、明確な理由を見つけられる事は滅多にない

私の“生きることが困難”は“死にたい”と同義ではない。近からずも遠からずと言ったところだ。
具体的にどういうことかというと、例えば周囲の人間(自身を含む)や愛猫の死を連想してしまったり、動物性のものを食すことに罪悪感を覚えてしまうなど、生命の死について深く考えすぎてしまうのだ。

大概こういう時、有難いことに、私のこのような状況を理解しようと務めてくれる人や慰めてくれる人が現れるのだが、結局のところ私の心の根底には“私の考えなんて誰もわかってくれない”“自分自身でどうにかするしかないのに”と思ってしまう。
故に行きづらい。

死にたくは無いけれど生きることが困難。
こんな思考を親が知ったらどう思うのだろうか、生きることが難しいと嘆く私を見て呆れるだろうか。

このような思考が浮かんでくる時点で、今日もまた生きづらさが蓄積されていくのだ。

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