RAY「白川さやか卒業公演-ひかり-」演出についての私的解釈

初めに書いておくが、これは"私的解釈"を積み重ねたメモであり、この公演の"正解"ではない。
これを見て、自分はこう受け取った、というだけの話である。

筆者はRAY以外のアイドルのことをほぼ伝聞でしか知らないが、
その伝統的な文化として、「踏み込む」のは「無粋」である、という空気を感じている。(勘違いなのかもしれないが)

そのため、具体的に言及すること、それを書き残すことすらさえも
「野暮」である、あるいは「残酷」である、「目障りだ」というむきもあるかと思う。

筆者自身も、今も言語化していいものかどうか、公開していいものかどうか、という思いに苛まれてはいるが、しかし、
その日、新宿BLAZEで、どのような「ひかり」が見せられたのかー
それは多層的かつコンセプチュアル、「アイドル」というフォーマットを最大限に活用したものであり、
主要な音楽メディアに取り上げられることもなく、知る人ぞ知るコンテンツとして
「分かっている人」「幸運にもそれに辿り着けた一部の人」だけのものとしておくには、余りにも惜しいものであった。

なればこそ「書く」ことそのものへの賛否があるのを承知の上で、
当日の観客、そして配信を見た視聴者、それぞれにある解釈の、
そのほんの一つの例を、どうしても記録に残しておきたいのである。

ここまでを読んで、不快に思われた方については、
どうかこの先は読み進めず、ブラウザを閉じてほしい。

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2本の補助線を引きたい。本公演に先立ち行われたRAYの1stワンマン「birth」と、”行われなかった”幻の1stワンマン「アイドル」である。

2019年5月1日、令和元年初日にお披露目されたRAYは、
コンセプトとして、「圧倒的ソロ性」と「『アイドル x ????』による異分野融合」を掲げ、シューゲイザーを中心としてオルタナティブ、emo、メロディックパンク、激情ハードコア、IDM等、様々な音楽を取り込みながら活動している。

そんなRAYを結成一年経たずしてコロナ禍が襲い、
2020年5月11日に開催予定だった1周年記念1stワンマン「アイドル」(WWWX)は、
8月24日へ延期され、それでも状況の改善が見られず、ついに中止に追い込まれた。
https://r-a-y.world/1st_oneman

そしてその代替として開催されたのが、新たに配信に最適化され、
無観客で行われた1stワンマン「birth」である。

接写のリハーサル映像と本番映像を同期・リアルタイムスイッチングした「Fading Lights」、演者がもはや元の形を止めないほどに加工された「Blue Monday」など、想定される予算規模を考えると、そのこだわりと映像効果の出来は凄まじく、配信でできることの限界に挑戦したもので、コロナ禍の配信ライブのメルクマールとして高く評価された。が、一方で多分に採算度外視の香りがするもので、事実、資金回収に苦労した旨がグループ運営より明かされていた。

だがしかし、この「birth」は、”コンセプチュアルなワンマンライブとなる。”と予告されていた「アイドル」と比べ、
(噂に聴く)この運営独特の「コンセプチュアルさ」「難解さ」は影を潜めていた。

その後、緊急事態宣言明けから他に先駆けいち早く再起動したRAYは、
渋谷WWWワンマン、梅田クアトロワンマン、名古屋クアトロワンマンという実質的な東名阪ツアーの成功を含めて、順調な活動を重ねていった。

今度こそ順風満帆に進むかと思われたそんな矢先、メンバーの1人、白川さやかが学業との両立が困難となり、卒業を発表。

事実上の2ndワンマン、有観客としては"1st"ワンマンとなる2021年3月21日「ひかり」(新宿BLAZE)がその卒業公演となった。

Twitterでは、RAYのグループアカウントより、白川がファンとともにクラウドファンディングで作った絵本「ひかり」
を予め見るように呼びかけられるなど、「コンセプチュアル」の匂いがプンプンしており、
RAY、および・・・・・・・・・(ドッツ)のコンセプト担当である古村氏の影を感じながら当日を迎えることになった。

期待と悲しみと興奮と寂しさが綯い交ぜになった、複雑で言い様もない感情を抱えながらその場に立ち会った者達に
披露された本公演「ひかり」は、白川の絵本「ひかり」の朗読とライブを交互に見せながら、
世界がひかりを取り戻していく過程をライトの多寡や色合い、重なり、点滅、濃淡といった照明演出で表現。
また、配信には「birth」と同じ配信チームを起用し、照明効果のよくわかるあおりのショットを多用。

ステージが高い新宿BLAZEを使い、フロア前にカメラを用意して、配信でメンバー+天井が映るあおりショットを連発するのは、
「波長」「粒子」「温度」「色彩」「アイドル」「ひかり」の照明演出を見せる意図があったと思われた。

さらに本公演「ひかり」を通じ、間接的に「アイドル」を回収する…という芸当も見せることで、その「コンセプチュアル」さを充分に発揮。

ステージングについては、この公演に合わせたかのようなタイミングで出来上がったイヤモニを満を持して使用。
デビュー以来求められてきた”大きなフリで連続性を持って踊り続けながらも、数多く用意されたソロパートを歌いこなす”という
高い要求にメンバーも懸命の努力で応え、ここに至り遂に安定・完成の域に達し、
パフォーマンス面においても、演出面においても、4人グループとしてのRAYの集大成となるものであった。

以上を踏まえた上で(既に観た方は改めて映像で)本公演を観てみると、より深く楽しめる(ように思う)。
ここまでで推薦文として十分な気がするし、もちろんここから先の受け取り方は観た人の自由なのだが、
筆者自身の演出構成についての解釈を、セットリストを追う形でもう少し書いておきたい。




開演時に映し出されたのは、4人のRAYではなく、白川がファンとともに作り上げた絵本「ひかり」。


白川ナレ
〜そして温度はひとりでたびにでることになりました〜


M1「世界の終わりは君とふたりで」

多くの”ひかり”が失われ、白のライトだけが微かに4人を照らし出す中、
本公演の主役・白川さやかが歌い出す。
曲後半の歌い出しは、その白川さやかを"姉"として"師"として、あるいは”母”として、
優しく厳しく育ててきた月日。
2人の関係性を押し出す形、本公演を象徴するような形で幕を開ける。

白と黒の照明しかない事を逆用したダンスナンバーM2「サイン」、照明色の少なさが逆にMVの東北の光景を想起させるM3「尊しあなたのすべてを」、さらにM4「Meteor」など、どちらかというと寒々しい世界観の曲が続く。


白川ナレ
〜色彩がとりもどされました〜


その言葉とともに始まるのは、M5「no title」。
まだ数は少ないものの、緑、青、赤と照明に煌びやかな色彩が加わる。
”前向きな諦念”を意味するタイトルのM6「レジグナチオン」では、
白川卒業を惜しむかのような歌詞を4人が歌い、M7「Blue Monday」へと続く。


白川ナレ
〜粒子がときはなたれました〜


”粒子”を現す激しいライトの点滅とともに
・・・・・・・・・から歌い継がれるアンセム、M8「サテライト」。
配信では、ライトの点滅がまるで花のように画面に映る様を見て取ることができる。

そしてM9「Fading Lights」では神々しく、M10「愛はどこいったの?」では嘆きを表現しながら
ライトは点滅を続ける。

M11「星に願いを」では、サビ部分の情動を激しい点滅で表現、
夜の世界を表現する青白いひかりに包まれながらのポエトリーを披露。


白川ナレ
〜その女の子はむかってきました〜


絵本を1ページ残し、朗読の途中で、不意打ちのように始まった浮遊感のあるイントロ。
聞き覚えのある、見覚えのあるフリ。M12「スライド」である。
4人が歩きながら順番に静止していき、移り変わりを表現する特徴的な振り付けなどで、
ようやく封印された"旧版"の「スライド」である事に気が付かれた方も多いのではないだろうか。

今まではてんでバラバラについていたひかりは、
ここでまるでRAYとともに踊るように、1人の演者のように、音と同期し始める。

そしてその調和を確かめるように喜ぶように祝うように始まるのはM13「スライド」。
ただしこちらはRAY用にアレンジされた"新版"の「スライド」であった。旧版→新版と連続することで、
より甘くドリーミーになった音や振りが強調され、青系で統一された優しいひかりが4人を包む。

現場では、数々の思い出のある名曲「スライド」を旧・新連続で繰り出すという差配に、この4人で重ねた日々を思い、思わず崩れ落ちた方、顔を上げられなくなった方が多くいらっしゃったようだ。

そして新旧スライドの余韻を残しつつのM14「シルエット」。


白川ナレ
〜せかいは明るくなりました。それとどうじに”4にんとそのまんなかのひかり”はよわくなりきえてしまいました。〜


ここで絵本「ひかり」の朗読は終わり、4人のRAYが登場する。
そしてあおりで映された彼女たちの頭上には「4にんとそのまんなかのひかり」を
暗示するような5つのライトがフレームインし、彼女たちを照らす。

白川の絵本「ひかり」、そして「ダイヤモンドリリー」のクラウドファンディングについてのMCを挟み、
「波長」「粒子」「温度」「色彩」が揃ったところに現れるのは
自身のMVを背景に現れるキラキラソロ「アイドル」白川さやか。
M15「ダイヤモンドリリー」。

ここで白川の「キラキラのソロアイドルになりたい!」「MVを作りたい!」という願いを、
本人の卒業公演において叶えると同時に、
幻の1stワンマン「アイドル」の伏線回収をも鮮やかに成し遂げている。
(下記ポスター参照)
https://r-a-y.world/1st_oneman

「ひかり」が取り戻された、言わば「アイドル」パートでは、
M16「オールニードイズラブ」、M17「GENERATION」、M18「17」などといった、ひかりに満ちた(RAYの楽曲の中では)アイドルらしい曲を、
白川のみがダイヤモンドリリー衣装を着たままでパフォーマンス。
その姿はまるで、グループが掲げる”圧倒的ソロ性”のコンセプトを、年長の3人に先駆けいち早く体現するかのようだった。

白川による挨拶、記念撮影のあと、本編最後に白川によるタイトルコールで披露されたのは、本公演の2日前(!)に突然発表された新曲、
M19「わたし夜に泳ぐの」。

この曲は発表タイミングといい、ライブアイドルにとっての「夜を泳ぐ」という言葉の意味といい、
白川の卒業へ添えられたものであるのはもちろんとして、明らかに他のメンバー(特に白川と月日)との関係性を踏まえて作られたものだ。
それを証拠に、この曲は月日による「ひとりにしないで 揺蕩う波間に」という呼び掛けで始まっており、その後の1回目の「ああ恋人よ」が白川パート、2回目の「ああ恋人よ」が月日パートという構成となっている。

この曲の中で歌われる「そばにいてね」「離れないでね」という願いが、もはや叶えられないものである事を知っている、(演者を含めた)すべての人に現実を突きつける形で本編は終了する。

アンコールに応えて出てきたRAYが、4人体制の最後の曲として歌うのは、2年前に初のオリジナル曲として披露され、代表曲でもあるEn1「バタフライエフェクト」。

白川「明日へ変わってゆく 小さな羽ばたきに」
月日「波を打つものすべて、とりとめない日の祈りのよう。」

涙声の二人が言葉を繋ぎ、本編はクライマックスを迎える。
「以上わたしたちRAYでした、ありがとうございました!」

そしてエンドロールが流れ、4人のRAYが終了したことを示す。

その瞬間、スクリーンは暗転し、一言だけのナレーションが鳴り響いた。


「ひかり 白川さやか」


何が始まるのだろう、と戸惑うフロアの前に、
暗闇のなか、演者が再びステージに姿を現す。1人、2人、3人。4人目は来ない。
ここでRAYは既に月日・甲斐・内山の3人だけの体制になっており、
白川が既にステージを下りた事を、残酷なほど鮮やかに観衆に提示する。

ー4にんのようせいはせかいをてらすひかりとなったのです。ー

そのことを、提示してくるのである。

そうして始まるダブルアンコール、En2「世界の終わりは君とふたりで」。本公演1曲目の再演である。

瞬間、衝撃的な赤と白のライトに包まれた3人が腕を組む姿が浮かび上がり、
”ひかり”のない世界で始まったオープニングでの4人の「世界の終わりは君とふたりで」とは打って変わった、”ひかり”に満ちた世界で、3人が踊る。

そして白川が歌っていた最初のパートを引き継ぐ形で、本公演のもう1人の主役・月日が歌い出す。

そこでスクリーンに映し出されるのは、マスクをし、地味な黒Tシャツ姿でリズムを取り
最前列下手でRAYを見守る、1人のファンとしての白川の姿だった。


本公演は、絵本ひかりと「ひかり」、白川と月日、アイドルとファン、(旧)スライドと(新)スライド、
幻の1stワンマン「アイドル」の演出と本公演の演出、「世界の終わりは君とふたりで」と「わたし夜に泳ぐの」、
”ひかり”のない「4人のセカオワ」と”ひかり”の世界の「3人のセカオワ」、
冒頭とエンドロール後に合わせて2回入る「ひかり 白川さやか」というナレーションなどなど、
様々なものが、まるで照明に照らされた"ひかり"と"影"のように対になっている。ここまではコントラストの付け方、エモーショナルの引き出し方の手法なのだが、
仕舞には「アイドルとしての白川さやか」と「個人としての白川さやか」までが、分離し、対になっている。

技術的な側面に目を向けると、ムービーカメラのうち1〜2台程度が会場後方に設置され、演者と観客を見下ろす視点を提供しているのだが、このカメラの映像はほとんどの曲においてあまり使われない。
そして残りのカメラはと言うと、すべてフロア最前列に配置されており、常に演者と照明(ひかり)を見上げている。
そしてこの最前列カメラ間のスイッチングで、ほとんどの場面をクリアするような構成になっている。

この仕掛けにより、(RAYやメンバーのSNSでも仄めかされているように)会場で見るよりも配信で見た方が照明全体を見ることができ、演出意図を理解しやすい構成となっている。

さらに言うと、「圧倒的ソロ性」というグループコンセプトについても、白川さやかの「ソロアイドル」としてのステージングや、彼女の絵本「ひかり」の内容を盛り込んだコンセプトワンマンの成功を通じ、
「個人として・グループとしての表現の達成」の一つの形を見せ、あらためて示すようになっている。

RAYチームという運営は、アイドルというフォーマットを利用し、限られた予算の中で、
配信・照明・映像・音響を操り、様々な伏線、文脈、コンセプトをてんこ盛りに接続しながら、
よくもこれだけ無理なく破綻せずに、緻密にそしてシンプルに編み上げたものだと、感嘆を通り越して呆れてさえしまう。

ー4にんにあいたいときはひかりにてをふってみてください。きっとこたえてくれるでしょうー


「一生このままこの3人と一緒に過ごしたいと何度も思いました」
当日のMCで述べられた、本人のその”叶えられなかった願い”の通り、
「アイドルとしての白川さやか」は、RAYを卒業し、RAYを照らすひかりとなった。
そして3人(4人)のRAYは、その活動を続ける限り、いつまでも共にあり、
ステージの上でひかりに照らされ、夜を泳ぎ続ける。

そして「個人としての白川さやか」は、その天真爛漫な性格でRAYの「ひかり」・「太陽」のような存在であった白川さやかは、
二つ結びにマスク、そして(なぜか)メンバーに気安くぶっこめる、(なぜか)未発表グッズのTシャツを一足早く身に着けている、RAYの「一番近い熱心なファン」として、卒業ライブの翌日から高校に通う「普通の女の子」として、
彼女の人生におけるまっさらなページに、新しい絵本「ひかり」を書き綴っていく。



その瞬間、スクリーンは暗転し、一言だけのナレーションが鳴り響いた。

「ひかり 白川さやか」


アイドルとは波長である。
アイドルとは温度である。
アイドルとは粒子である。
アイドルとは色彩である。


アイドルとはRAY(ひかり)である。

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