日本共産党の紺屋の白袴さに驚く日々〜除名騒動とパワハラ・セクハラ騒動〜
日本共産党の除名騒動が連続して報道されていて驚いている。
それまでもパワハラ騒動だったりセクハラ騒動だったりが話題になっていて、一体何が起こっているんだと感じざるを得ないし、共産党が世間に支持を広げられない理由がそこに凝縮されていると思い当たった。
結論から言うと、自分たちが社会に広げようとしている理念について、それに沿ったことが自分ではできていない、つまり、紺屋の白袴、医者の不養生さ感が、世間には見破られているのではないか。さも崇高な理念の伝道者のように振る舞いつつ、自分たちはその例外にあるように振る舞う態度が、このところの騒動から透けて見えてくるようだ。
小池氏の田村氏への威圧的言動から紐解く
言うまでもなく、封建主義を打倒する立場である共産党は、内部に封建主義の臭いを漂わせてはいけない。それなのに、あろうことか田村智子氏から発せられた言い間違いの指摘を小池晃氏は威圧的な言動で、しかも公衆の面前で抑圧したのだった。
平等でオープンな社会を目指す党の党内は、彼らが忌むべき偽りの「社会主義」たるソ連や中共の前衛党のようにガチガチの序列があって、しかも上から圧力をかけて異論を封殺することも容易かったのだ。
あれだけ綱領に過去の誤った「社会主義」を再現しないようにさまざま書いているのにも関わらず、一回のパワハラ言動で印象はおじゃんだ。
結局、こんなことを公衆の面前でも平気で行えるということは、普段から染み付いた行動なんだろうと思われても仕方がない。
綱領を読んでみたという記事を過去に書いているので、ご興味のある方は御覧ください。
除名騒動は結局封建主義ムーブから?
一例を挙げて全てに敷衍するのは誤りかもしれないが、これが実際の内部の事情だと仮定すると、今回の除名騒動もなんとなく腑に落ちる。
党首公選がどうとか以前の問題だ。
内部で声を挙げても無視されるか不利益を被るから、結局外部の力を借りざるを得ないということだ。
封建主義ムーブが蔓延している内部では、上の意向に沿った意見しか聞かないし、そういった意見は封殺されるか黙殺される。風通しが極端に悪いのだろう。(共産党はそんなことないと言っているようだが……)
これを共産党は、内部のことは内部で解決するという規約への違反だとして、除名に踏み切った形だ。
公式な見解はともかくとして、内部通報制度が存在するが機能していない企業で見られる構図と今回の騒動はよく似ている。
告発者や告発の情報が、告発された役職者に筒抜けだったという日本郵便の事例が記憶に新しい。内部通報担当が情報を漏らしていたのだ。
こんなことでは、内部通報制度を使う社員もいなくなるし、何より自浄作用も失われる。社員は外部に助けを求めるようになる。
それに加えて、公式な場での意見表明ができないだけではなく、それをなだめたりガス抜きをしたりする気遣いも党内にはないのではないかとも想像してしまう。
こうしたおおごとになってしまうのは、ちょっとした不満の積み重ねが原因だと思う。意見が認められない状況があったとしても、上の人のちょっとした一言やコミュニケーションでなだめたり、羽目を外しても怒られないようなオフレコの議論の場があったりすれば、なにか違った結果になったのではないかと思う。
ヒューマニティを尊重するように社会に訴える党にヒューマニティは果たしてあるのだろうか。
草加市議のセクハラ・パワハラ騒動
こちらは報道は大きくされていないが、前からくすぶっていた問題が最近表に出てきた感じの話題だ。
ある共産党の市議がセクハラをした。党はそれを公にせず、対応も遅れたらしい。セクハラした市議は結局辞職したが、党の対応のまずさを批判した共産党の市議3人も、離党(党側は除籍)し、草加市の会派から共産党市議団が消滅する事態となった。(以後除籍ではなく離党と記載する。)
ことがより複雑なのは、このセクハラの被害者(当時同じく共産党の市議、今は落選して元市議)に、パワハラの加害疑惑がある点だ。選挙活動を行うに当たって、党内の関係者にパワハラを行っていたという疑惑がある。この疑惑は党からは無視されていて、離党した3人はそれも追及している。
弱者を救済することを主張している党なのだから、当然ハラスメントには敏感であるべきだが、一体何をゴタゴタとやっているのかという印象だ。
また、このパワハラ疑惑の元市議は、あろうことか離党した元同僚を「匹」と表現してしまった。
あまりのことにめまいがする。人権と声高に言うが、それは自分が「人」と思ったものにのみあると言うのだろうか?「人」であるかは自分が決められるし、自分が「動物」認定すれば権利はないという思い上がった思想が透けて見える。
最終的にこのような考え方は、「党員にあらずんば人にあらず」に行き着く。
共産党の否定する過去の「社会主義」とは違うと誰が思うだろうか。
特権意識とよくある日本型の閉鎖的組織
自分たちが主張する思想は正しい、そして、それを信じて周りに広めている私達は特別だ、というところまでは、問題があると思うが、まだいい。
特別なのだから、自分たちは主張している内容を多少実践しなくても問題ないだろう、というのが本当にまずいと思う。
過去の「社会主義」政権と何も変わらない。
そして、結局は平等を謳う共産党ですら、日本型の風通しの悪い、閉鎖的な組織から逃れられていないということだ。
硬直した官僚主義は唾棄すべきものなのではないのだろうか。まさにそんな組織だから、対応も遅くグダグダするし、最終的に遺恨を残してしまう。
党首公選を検討するかどうかより前に、自分の組織は周りからこんなふうに見られても仕方ないですよ、と自覚できる人がいなければ、どんどん共産党は沈没していくだろう。自覚できるだけでなく、どうにかしなければと行動できる人がいるかどうか、そしてそれを周りが応援できるかどうかも次の課題だ。
右派はとにかく辛辣で、諸外国と同様非合法化しろとか言う人がいるほど共産党の存在を消し去りたいと思っているので、この状況をなにも言わずニヤニヤして見ているだろう。
私は政党の多様性も必要だと思っている。共産党なんていらないなんて絶対言わないので、こういった機会を捉えて、党内の状況が少しでも良くなればなと思っている。
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