宮森みどり『PROJECT; ONE FAMILY STORY』レポ

宮森みどり『PROJECT; ONE FAMILY STORY』

人間関係はペルソナによってできている。
私たちは正しい仮面を被り、正しい姿を演じている。

写真、モニター、机と椅子とタブレット、チェキ、言葉。言葉にするのも容易いようなシンプルな展示構成。はっきり言えば、期待外れだったかと思わせるような外殻の薄っぺらさ。見渡すだけならば数十秒と言ったところだろうか。
藝大の院生という仮面に勝手に期待しすぎていたのかもしれないと思った。
私が宮森みどりという人間を知ったのは柿内正午の「会社員の哲学」の読書会だった。同じ作品に関心を寄せる関係性。そこに藝大という箔をつけて興味を持った。日本一の芸術系大学、東京藝術大学。そこにストレートで入れる人間はどれほどの才能の持ち主だろうか。
ギャラリーには数人の人影、閑散としている。入って右手前には大型の家族写真。普遍的な、どこにでもありそうな、自分にとって意味を持たない写真。その隣には映像が流れている。宮森みどりとその両親が代わる代わる話している。左手には十何枚のチェキ、色々な表情の宮森みどりが言語化された感情と共にある。ギャラリーの奥には机と3脚の椅子。机の上には映像の流れているタブレットとヘッドホン。

主軸となるのは宮森みどりとその家族であり、究極的に個人という領域を展開する。私たちは他人の家族という領域に踏み込んでいいのだろうか。家族という関係性は各家庭によって違いを持ち何一つ同じものは無い。展示の中にずっと疎外感のようなものを感じていた。
モニターを見ること10分、タブレットを見ること30分、少しづつ空間に馴染む。話していることに自身も巻き込まれるような、関係性の本質としての強度が見えてくる。父親は父親の像を持ち、母親は母親の像を持ち、宮森みどりは子の像を持つ。個人と個人そして家族の関係性は絶対的で誰もが正しさと正義を持ち、誰もが間違っている。宮森みどりはそこを切り込んでいくような危うさを感じさせる。それができるのは信頼関係と人柄、あるいは人間としての強度の為せる技だと思う。

そこにある当たり前の関係性を言語化する。関係性に正しさを求める。関係性を是正する。言葉にしてしまえば単純で簡単そうだが、実際は目を伏せたくなるほど面倒で辛いことだ。一歩間違えれば関係性が瓦解する。そういった感覚を乗り越え、さらにそれを見ず知らずの人へ開示する。何故それが必要だったのだろうか。
ふつふつと疑問が湧く。自分自身と他者の関係性、自分自身と家族への関係性、自分自身と恋人の関係性。私自身しか持たない関係性について、私自身が考えねばならない。その関係性を持つのは自分自身でしかないのだから。

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