移動日記#7「美術館」

一番好きな美術館は国立西洋美術館の常設展だと思う。普通の人よりは多く美術館に行ったと思うが、一番落ち着くのはあの場所だった。人が多いのは嫌いだが、無人の美術館というのはそれはそれで落ち着かない。だからあそこなのだと思う。まあそれは、置いておいて。

今日は国立新美術館に来た。正直言ってあまり好きでは無い。美術館自身が美術品であると言っているようだから。静謐な美術館の方が良い。それでも美術館に行くのは疲れているからだろう。都心で存在意義を証明して、魂を浄化するいくつかの方法である。

テート美術館展はここの作品の粒度はある程度あったが展示構成がいまいちだった。
そもそも美術品の最適な展示とはなにか。ひとつの空間にひとつの美術品である。額装や空間でさえコーディネートされ、作品の評価になり得るのだから、同じ空間に作品があればそこには作品同士の干渉が生まれる。現代芸術と古典的な絵画の組み合わせは難しい部分や無理があるなと感じた。

また、展示構成に鑑賞者の流れが組み込まれていないので滞留が生まれ、見ていて息苦しさを覚えた。そういった意味で空間を飲み込む現代芸術と空間に引き込む絵画は相性が悪いとさえ感じた。

バウハウスの教材やターナーなど個々で見れば面白いものはあれど、どこか残念な感情が心に残る。ある程度の粒度はあれど、主体となる作品がなかったのもひとつの要因だと思う。

そういった中で言えば、休憩室で一息ついた瞬間がある種のカタルシスさえ感じさせた。情報の波で語りうるのではなく、やはり私は一定の間が魅力的に感じることを再認識した。

シンプルにオフィーリアが見たかったのもあるし、ある種インスタ映えのような、瞬間的な表現が残念だったと思う。現代芸術と絵画は畑が違うからやはりきちんと隔てられるべきだなという結論である。以上。

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