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感覚的風見鶏

あけましておめでとうございます.
最近は論文を仕上げていまして,年内になんとか本文を拵えました.
年始の投稿を目指して,そろそろ必要な書類なり文章なりを準備しないといけないかもしれない.
そうは思いつつ,2021年に何を置いていって何を2022年に持ってくるかを意識的に考えたい元旦.

溜まりがちなくだらない感情をきちんと切り落として,自分だけの地獄を自室とイヤフォンの中に誠実に熟成していく.
きっといつか役に立つからと,伴走者に励まされて遠くを目指そう.

初詣は歳を越してすぐに.爆ぜる火の粉がそらへ向かっていく.いつまでも見ていられるな.

研究の方は,いよいよ最終学年に入ることもあって,本腰を入れないといけない.
何を持って達成と言えるかはわからないけれど,とにかく自分だけの形で,言葉で,思考で….どこへ行こうか.どこまで行けるだろうかね.

日頃からいろいろな方にお世話になっている.そのありがたさを噛み締めつつ,何かの形でお返しができないものかな,と思っている.
それは創作物によって楽しんでいただいたり,撮った写真で何かその人の世界に新しいものを付け足したり,研究によって(とても遠回りな形であっても)生活を豊かにしたり…,どんな形かはわからないけど,私から生じたものを届けたいな.

おせち.美味しい.

今年の抱負を考えていたけれど,やりたいことがたくさんある.
抽象的な目標はいくつも挙げられるけれど,基本単位となる1日の持ち時間は24時間だ.
さぁ果たして何に時間を使おうか.具体的な目標に起こすことで,具体的な時間の使い方が見えてくる.
でもそれはきっと,言葉にして公開すると簡単に揮発してしまう脆いものだ.
繰り返して繰り返して身につけて,「やっていること」になったらちゃんと話すようにしよう.
「したいこと」「してみたいこと」を言う時間があるなら,「してみる」ことが大事だよな.それは既に昨年でよくよく感じ入った.

初日の出を見るための散歩中の一枚.氷と光.撮った際のくうきが感じられる写真.目指すもののひとつ.

創造的人生は10年間くらいしかないという.
私にそれがどれだけ残っているかはわからないけれど,最近,風が吹いているなと感じられるようになってきた,そんな気がする.

創造的人生における風見鳥.
それを見つけるために,意識的に世界に目をやっている.
そしてそれはきっと,その果てに,自分の中に見出したりするのだろう.

だるま.願いの依代.知り合いの方々の豊かな人生を祈る.

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