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光の濡れ方を探している

雨の夜,曇った夜明け前,晴れ渡った日中.とにかく世界に満ちる光を意識してものをみようしている.何が我々を照らし出しているのか.何がものを浮かび上がらせているのか.

光に濡れる,という表現が好きだ.透過光,屈折光,反射光,放射光.目に飛び込んでくる無数の光の由来と,これまでの旅路に思いを馳せる.それはきっとどこにも記録されていない,欠落した情報の塊だ.我々の想像力がそれを補完する.そしてまた世界に言葉と情報が満ちる.瞬間的に処理されていく光景と光線,さぁ何を思ってシャッタを押そうか.

写真に撮るか撮らないかの判断も難しい.意識的になりたいと思いつつ,街を歩いていたりするとかなり反射的にシャッタを切ってしまう.後から見返すとかなりの割合で及第点以下の写真だけれど,部分を切り出せばなぜそれに惹かれたのかなんとなくわかる気もする.その繰り返しの果てに,良い写真が撮れるようになるのだろうか.まだ写真を撮り始めて半年程度.遠くまで歩いて行きたいな.

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目の前をいくつもの光が通り過ぎていく.太陽光とその反射光,照明や液晶の発光.目やレンズに飛び込むそれらは,異なるやり方で瞬間的に処理されて,ニューロンや電子素子に像を刻む.多くは時間と共に忘れられつつ,言語化や共有化によって私から広がる情報伝搬に乗る.位相と振幅の絡み合いが起こり,誰かの何かをほんの少し変化させる.もちろん私も,誰かから始まる情報伝搬を受けて何かが変わる.

昔には戻れないというのは,きっと過去のある時点から今までに受けた情報伝搬の影響を取り除き切ることができないからだ.世界から浴びせられるミームの洪水の中で息継ぎできる場所はどこだろう.

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「それで,あなたはこの世界に何を付け足すのですか?」
脳内から響く声に,どうしようか.答えはまだわからない.未熟だな.

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