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日記 ランナーズハイ

ここ半年、人生をマラソンに例えたらランナーズハイの状況だった。何をやっても楽しかったし悩むことも何もなかった。
自分自身が別人になれたんだとちょっとぬか喜びをしていた。
でもやっぱり私は私で、見事にランナーズハイを終えた半年後の私は、しょうもないことでクヨクヨ悩んでいた。
noteを更新するタイミングなんて大体病んでいたりするから、今回も例に漏れずオセンチなのだけれど。

noteを開くのは久しぶりだ。
私が日記を書くきっかけをくれたMちゃんは、(顔も見たことないし認識されていない、)今どんな日記を書いているのだろうと見に行ったけど、1年前から投稿は止まっていた。
最後の日記には、「とりあえず明日を頑張って生きて、それで最終的に死ぬまでそうやって生きらいたらいい」って言ってたけど、あの子は今日を頑張って生きられたのだろうか。楽しくやれているのだろうか。
誰か、心の底からもたれかかれるような、そんな相手はできたのだろうか。
今も愛や生きることの意味を模索し続けているのだろうか。
他人だからどうだっていいのだけど、私はMちゃんのことを死ぬまで忘れなないと思う。世界のちょっとした奇跡は、そういう思いで生まれたりする。
どうかあの子が美味しいご飯を食べられていますように。

相変わらず人生が目まぐるしく回っている。
田舎に戻り1年間の一人暮らしをした。
その後親と同居することになった。
家族というものがなんなのかわからなくなって、その概念から逃げるように一人暮らしを再開した。
そしてその間に、シミはできてきるし今まで気づかなかったシワも発見したし、私は間違いなく年を取っていた。

半年間のランナーズハイを経て、冷静になった私は自分と向き合う時間が増えた。
そんな向き合わなきゃいけない自分は、電気代もガス代も水道代もあと伸ばしにしてギリギリまで払わないとか、そういう事をいまだにしている。

人間ってそう簡単に変わったりできないものですね。
Mちゃんも、地球のどこかで今も辛い思いを抱えているのかもしれない。

ビールでも飲んで洗濯物を丁寧に畳んだりして、明日も明後日も気楽に生きていきたいものですなぁ。

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