見出し画像

魂たちのものがたり其の五

(再び夢殿にて)
しばらくの時が過ぎ、山背が諦めかけていた時、重い扉が開いた。
奥の方から「お入りなさい」との声が響いた。
山背は、矢も楯もたまらず、小走りに中へと急いだ。
「父上・・・」と声をかけたところで、はっと気付いた。
「父上、どうなされたのですか?かなりお疲れのご様子にございます。このような中にずっとおられては、お体に障ります。宮に戻りませんと・・・」
厩戸王は、優しく微笑みかけながら、こちらに来るよう手招きをした。
「わたくしは大丈夫です。やらねばならぬことをしているだけですから。もう、あまり時間がありませんので。」
時間がないとは、一体なんのことだ…そう思いながらも、そのことについては考えたくないような、嫌な予感が浮かび、山背は言葉を飲み込み、言われるままに、敬愛する父の御前に膝をついた。
「山背。しばし時が経ってしまいましたが、あれから、どのように過ごされておられましたか?」
まるでこの世の人ではないような眩さに目を開けていられない。目の前にいらっしゃる方は、もう父上ではないのだ。なぜかそんな思いが湧いてきて、山背は、胸が苦しくなった。
「どうされました、山背?」
「い、いえ。父上。なんでも、なんでもございません。」そう言葉にするだけで精一杯で、なぜか勝手に涙が溢れて止まらない。自分でもわけがわからない。以前、この夢殿に入った時も似たようなことが起こったことだけはわかっている。それが一体なんなのか。
あの日から、自分の中に生まれてくる胸を突くような疼きと渇きに苛まされている。
その答えを知りたくて、今日、ここに再びやってきたことを、父に告げねばならない。そうわかっているのに言葉が出ない。
その様子を見ていた厩戸王は、ふうと小さく息を吐き、最愛の息子に近寄ってきた。
「山背。そなたこの前、この夢殿に入って以降、何を思い生きておった?」
山背は、涙を拭って、ゆっくりと語り始めた。
「父上。私は、なんのためにここに生まれてきたのでしょうか?私には、やらねばならぬことが、大きなお役目があったように思われて仕方がございません。
それはもちろん政を正しく行い、民が暮らしやすい世を作ることは、とても大きなお役にございます。けれど、この山背、そのためにこの世に生まれ、生きているわけではないように思えてならぬのです。上宮王家のためでも、臣下や民のためでもなく、私は何かを、大きな何かを為さねばならぬ。なのに…なのに思い出せぬのです。私は・・・」言葉に詰まる。泣きたいわけではないのに、涙を禁じ得ない。
「わかっておりますよ、山背。いえ、ここでは一条と申しましょう。」
山背は、またもや、はっとした。
「一条・・・。そう、父上はこの前も、私を一条と呼び・・・。私は、父上を日美様とお声掛けしてしまいました。一条とは、日美様とは、一体、どなたのことなのでしょう?」
「そうか。まだ、はっきりとは思い出されてはいらっしゃらないということですね。よいでしょう。もう時間もありませんので、お話をいたしましょうね。」そう言うと、厩戸王は、事の一部始終を告げた。どれくらいの刻限が過ぎたことだろう。辺りはすっかり真っ暗になっている。夢殿の中は、もともと薄暗い。外からの光が漏れ入ることはあるが、
扉を閉めれば、油皿に火を点さねば真っ暗になる。にも関わらず、夢殿の中は明るかった。山背がそれに気付いたのは、かなり時間が経ってからのことだった。
部屋が明るく感じるのは、間違いなく、厩戸王の周りが明るく光っているからであることを認識した。話の内容をどこまで理解できたのかはわからない。けれど、自分の中に、何か特別なものが芽生えたことだけははっきりしている。
「父上…と、これまで通りお呼びすることをお許しいただけますでしょうか?」
話を聞き終えた後の第一声は、これしかなかった。
厩戸王は、ははと声を出して笑い、「もちろん」とのみ答えた。
厩戸王は、もう決して厩戸王ではなかった。人の身でありながら、すでに日美の神としてのそこに存在していたのだ。
「一条。私はすでに、政事はもちろんのこと、この国の動向への興味はない。この国のことのみに心を向けておる時間もない。私が夢殿に籠るは、地球と高天原の神々、また、わが星に残したる対なる神と交信するためじゃ。この星に降り立つ前にそなたが誓いを立てた‘この星を覆う闇を祓うため‘の算段をつけておるのです。
そう、そなたに渡したきものがありますので、後ほど、奥宮の私の居室までいらしてください。まずは、かなり時が過ぎてしまいましたので、夕餉をいただいて、今宵は、この斑鳩にお泊りなさい。膳手に申し伝えておきますので。」
そうして、二人が夢殿から出た時は、すでに夕餉とは言えぬ時間になっていた。

(奥の間にて)
遅い夕餉をいただいた後、山背は奥の間の一室に通され、父が来るのを待ちながら、また、思考の奥の世界へと旅に出ていた。
「先程の夢殿の中で伺った話は、一体、どういうことだったのだろう。なにか手にした気がするのに、夢殿を出たら、また元の私に戻ってしまった。大切なことに気付いたというのに…」山背は呟いた。
一条と呼ばれる度、よくはわからぬ感情が心を揺さぶる。どこか懐かしい思いとともに、何かに急き立てられるかのような思いに駆られていく。
自分が一条と呼ばれていたことも、あまりにも美しく神々しい神々の姿も、しっかりと思い出せるのに、その奥にある疼きが何であるのかがわからない。その答えを知るために、父上のもとに参ったというのに…そんな思いが、頭の中をぐるぐると巡っていた。
しばらくの時を一人で過ごしたところに、厩戸王が部屋に入ってきた。その手には、まるく輝く石のようなものが乗っていた。
「そなたに、これをお渡しします。」厩戸王は息子である山背に、その石のようなものを渡した。
「これは…石、ですか?それにしても見事な。こんな丸い石、一体、どのように作ったものでしょう?それに、私の目がおかしいのでしょうか…光輝いているように見えるのですが…」
「この石は、秦河勝が手に入れた丸石じゃ。今のこの国では、こうも丸い石を作り出す技術は持てぬであろうな。いつぞの先の未来に、この石がどの時代に生まれ、どのように作られたものかわかる時が来よう。その時代に、われらはこの星にはおらぬでしょうけれど。」
「はあ・・・」山背は少し頭を傾げながら、父の話を聞いていた。
「さて、山背よ。この石は丸いことが特別なのではないのだ。この石が持つ周波数帯を変え、ここに、わが星より送ってもらった`ひかりのみなもと`なるエネルギーを入れ込んである。」
山背は、何がなんだかわからぬ体で、話を聞いているようだ。それを感知しながらも、厩戸王は話を進めた。
「よいか山背。これは、この地球のために使うもの。地球におられし神々のお力添えするために送られたる再生の光じゃ。闇魔を祓い浄めし後、この石に封じたる光を一の清流に流すことが必要となる。人々は未だ争いを続け、互いを殺め続けておる。いつの日か、この星に真の平和が訪れるよう祈り行いを正しうすること、そして、この星に棲まう神々が真の光を取り戻し、その輝きを放ちて、この星に降りていられるようにすることが必要なのだ。これをそなたに託す。私は、そろそろ人を離れ、もとの姿に戻らねばならぬ。私の本体がやらねばならぬことが積み重なってきておるようですので。」
話を呑み込むのに少しの間があった山背であったが、最後の言葉の意味をはっきりと理解した彼は、驚きのあまり大声を出してしまった。
「ち、父上。どこかお悪いのですか?まさか、近々に身罷られるなどということを仰っているのではありませんよね?私の聞き間違いですよね?」
「山背、山背。落ち着きなさい。もう夜が更けております。」
山背は、思いもかけぬ言葉に驚き、その頬が止めどなく流れる涙に濡れていたことにさえ気付かなかった。
「夢殿から出てしまうと、どうやらそなたの記憶は、現世の波に呑まれてしまうようですね。山背、いえ、もう一度、一条とお呼びしましょう。
一条、忘れてしまうのは無理もないことですが、われらは、この星に、ただ人として生きるために参ったわけではありません。そなたがどうしても、この地球という青き星を覆いつくす黒い闇魔を祓い浄めたいと強く望んだからこそ、こうして、この星にやってきているのです。そなたに託すその石には、われらが魂の星に湧き出づる光が宿っております。
この光の波動は、本来であればこの地球には届かぬもの。詳しくは省くが、光を流してくれる神があり、受け取る側に同じ質を持つ神がおらねば、この光はこの星には届かぬのです。ゆえに、この光は、一度しかこの星に生み出すことができぬもの。それを、そなたに預けます。来る時、清流が一に、そなたがこの石の玉より光を放つのです。」
「ち、父上…ちょ、ちょっとお持ちください。私がそのような宝玉をお預かりして、その石より光を放つ…とは、そのような大それたお役目を、わ、私ができるとは思いませぬ。
それこそ、そのお役目ができるのは、父上以外にはおられぬではありませぬか!」
「いえ。これはそなたの役目です。そなたが魂の願いを叶えるべくのこの石の玉。特別に、本当に特別に、ひみつたりが、そなたのために流してくれた光のエネルギーです。
あれは、われらがこの星に来ることを反対されておられた。なれど、こう決まったならば、四の五の言わず、ここ一番に、われらが力になってくれる。思い出せぬでも仕方がないが、そなたは、この星の闇魔を祓い浄め、この星本来の青き光を取り戻さんとこの星に生まれたのです。そして、われらは、この地球だけでなく、この星を護りし神々の棲まう高天原をも含めて、やらねばならぬことをして戻らねばならぬ。よいか一条。蘇我入鹿は、そなたの魂の友である。そなたがこの星に来たいと願った時、共に、力を貸してくれたがあの蘇我入鹿だ。彼は、すっかり忘れておるし、私との接点も少ないゆえに、思い出すことも難しかろうが、そのことを憶えておきなさい。」

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?