青森の思い出 ⑥

前記事で触れたように、最後はガイドからきいた話をまとめたいと思う。あくまでガイドからきいた話と一部調べて補填して書いているため、多少異なることもあるかもしれないが、了承してほしい。

普通の観光バスのガイドであれば、見所や歴史なんかを話すと思うが、私の出会ったぐるりんバスのガイドは、下北半島が抱える問題をはなしてくれ、それ故にこの旅行がとても印象に残ったのだ。

下北半島というと、どのようなイメージを持つだろうか。正直なところ、私は特にこれといったイメージはなく、大間のマグロと恐山がある場所、ということだった。

言い方は悪いが、実際、それくらいしかないのだった。下北半島は土壌的に農業が難しいらしく、豊かな土地というわけではなかった。たしかに、青森といえば、りんごのイメージは強いが、あれも津軽とかそっちの方である。

さて、土壌が乏しい地域が栄えるために、目をつけるのが公共事業である。まず手を挙げたのが、青函トンネルだ。

青森と北海道を結ぶトンネル、これが開通すれば、確実に人の流れができるので、経済効果は確実であろう。

しかしながら、土壌の恵まれなさは海底まで続いており、地盤がトンネル工事に向かないという理由で、津軽側からの開通となった。

こうして次の事業、大間原発の建設に踏み切ることになる。

バスでめぐっているときに、かなり大きくきれいな学校を見かけた。なんでもこれが原発マネーで作られた小学校らしい。

近くのいくつかの学校を統合して作られたそうで、設備もかなり充実しているそうだ。その近くに、統合前の廃校となった校舎が、取り壊されずにそのまま残っていた。

話を戻そう。原発の建設が始まると、街はかなり活気づいたそうだ。原発マネーが入るだけではない。建設作業員が多く出入りすることになり、近くでは小料理屋がいくつもできて、大盛況となったそうだ。

そんなさなか、東日本大震災がおきる。原発への風当たりが強くなった。この事故の影響をうけて、原発の影響を受けるとされる区域が広がった。 (これが警戒区域なのか、他の呼び名があるものなのかが分からなかったので、曖昧な記載にさせてもらっている。)それにより、大間原発に影響を受ける範囲に函館が入ることになった。函館市はこれにより原発の建設に抗議。

建設は中断され、建設作業員たちは下北半島を去り、廃業になったお店が残された。

なお、大間原発の建設は再開され2022年に稼働予定らしい。

産物もなく、原発しか残されていないような地域なので、友人たちは、みんな東京に働きに出てしまうんです、とガイドの女性が語る。

ここに来て、ラーメン屋で、自衛隊に入りたいという女子高生と大学に行かせたいという彼女の親の会話を思い出す。自分の育った地域を見限って、外に出るというのは、なんとも酷な話だろう。

ガイドの女性が続ける。

何もない地域なんですけれど、魚介は本当に美味しいです。地元に帰ってきた友人たちも、ここの魚を食べると、ああ、やっぱり美味しいなぁって言うんです。

東京に行かずに、地元でガイドを続ける彼女にとっては、本当に誇りなのだろう。このときの、キラキラした声はとても印象的だった。

なかなか不遇な地域である。私は東京出身ゆえ、こうした地方の問題に触れることが少ないので、結構な衝撃をもってきいていた。それでも、彼女のように地元を愛する人がいて、誇れるものがある。

各所の観光地より、そんなガイドの女性が1番印象深く心に残った。

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