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【小説】招き男 #2 夜の居間と二人の女

誰が置いていったのか。
テーブルの上の雑誌を手にとって、ソファで読んでいると、咲ちゃんがやって来て、テレビを点けた。

居間に咲ちゃんが一人の時、いつもテレビは点いている。
今みたいに、私が先にそこに居て、咲ちゃんが後からやって来た時は、挨拶より先に、まずテレビを点ける。
かといって、テレビに注意を払っている様子はない。特別観たい番組があるわけでもなさそうだ。

咲ちゃんがこの家にやって来て、二週間以上が経つ。
咲ちゃんとは夜、居間でくつろぐタイミングが一緒になることが多かった。

ここに引っ越して来るなり、私はこの家の居間がとても気に入った。
夜中、日本家屋の古びた、それでいて懐かしい感じのする雰囲気と匂いの中に身を置くと、間接照明のぼんやりとした灯りに部屋ごとくるまれて、ゆっくりと揺れているような気分になる。
古い家具が落とす影や、障子の隙間から見える庭の闇が、口から漏れるため息を、すっと飲み込んでくれるような気がして、これまでに感じたことのない安心感で、心が緩んだ。
だから私は、好んで夜中、居間で過ごすことが多かった。

咲ちゃんとは、同じ空間に居ながらも、お互い勝手に過ごした。
どちらかが話しかけて会話になることもあれば、私はスマホを覗き込んだまま、咲ちゃんはテレビを観たまま、別々に時が過ぎることもあった。

「何か飲みます?」と咲ちゃんが聞いて、私が、
「じゃあ冷蔵庫のアップルサイダーとってくれる?」と言うこともあれば、
「ネットフリックスのこの映画、一緒に観る?」と私が聞いて、咲ちゃんが、
「いいですよ」と言って、ふと気がついたら二人とも寝てしまっているということもあった。

いろんなことを話した…
そんな気もするけど、特別何も思い出せないところをみると、たいした話はしていないのだろう。

プライベートな話はしたくないんだろうな。
咲ちゃんからはそんな印象を受けた。

私だって、せっかくお気に入りの空間に身をあずけてぬくぬくしている時に、クソブタハゲアブラツボガエルの愚痴なんか言いたくない。
というか、自分のプライベートを思った時に、そんなことしか出てこないこと自体に苛立ちを覚える。

余計なことは考えない。
私に必要なのは、この空間でのぬくぬくだ。
クソブタハゲアブラツボガエルは、道路の真ん中にポイと置き去りにして、誰かが踏んづけてくれるのを待とう。


咲ちゃんは、ソファの私の隣に腰掛けた。
と思ったら、すっと床に腰を落として、私に背中を向けたまま、膝を抱えて座った。

「昨日、和真さんの部屋から美雪さんが出てくるのを見たんです」

向井さんのことを、下の名前で呼ぶのは咲ちゃんだけだ。

視線はテレビに向けたまま、いつものように髪をハーフアップにして、リボン型のピンクのバレッタでそれを留めている。

「夜中の二時ですよ」
その声から感情は読み取れない。

「そっかあ」
私は雑誌のページをめくりながら呟く。

てんまりさん、和真さんとセックスしましたか?」

えっ私??
と思って、咲ちゃんのバレッタを盗み見る。

そんなこと、聞くのも答えるのも、なんか違う気がする。

一人の男と四人の女が一緒に住んでいる。
その男とセックスしているかどうか、それはお互いに知らなくていいんじゃないかな。少なくとも私は知りたいとは思わない。

返事をせずに、雑誌のページをめくり続ける。

五ページ分めくったところで、右斜め下に座っている咲ちゃんに視線を移すと、バレッタではなく、咲ちゃんの目とぶつかった。

どうやらずっと見られていたらしい。
そして、どうやら答えを迫られているらしい。

「咲ちゃん。私そういう質問には答えたくない」
仕方なくそう言うと、私をじっと見つめたまま咲ちゃんは言った。

「そうですか」

テレビに向き直るのかと思ったら、まだ私を見ている。

「美雪さん、和真さんとセックスしてると思うんです」

美雪さんに話が戻るんだったら、間に私を入れなくてよかったんじゃない?

「私は知らないな」
私が言うと、咲ちゃんはやっと私から視線を外して、その視線の置きどころに困ったように一瞬うつろな表情を見せたかと思うと、おもむろにテレビ画面に視線を固定させた。

そして束の間の沈黙の後、口を開いた。
「漆原さんは和真さんと」

「咲ちゃん」
私は、その先を続けようとする咲ちゃんを遮った。

咲ちゃんがテレビを見つめたまま言う。
「だって和真さん、私とセックスしてくれないから」

テレビから、ひときわ大きな笑い声があがった。お笑い芸人たちが、競うようにネタを見せ合っている。芸人の金切り声と、次から次にあがる笑い声が、気まずい沈黙を埋めてくれる。
咲ちゃんがいつもテレビを点ける理由がわかった気がした。

「漆原さんさあ」
私は口を開いた。

ひっきりなしに芸人たちの声が飛び交う。入れ替わり立ち替わり何かを閉めるような動作を繰り返している。
咲ちゃんは画面を観たまま動かない。

「私、漆原さんのこと、こっそり黒眼鏡巨乳女子って呼んでるの」
そう私が言うと、咲ちゃんが乾いた笑い声をあげた。

テレビを観て笑ったのか、黒眼鏡巨乳女子に笑ったのか、どちらかはわからない。

しばらくして私が立ち上がると、咲ちゃんが、自分の膝にあずけるように置いた顔を、私の方に傾けて言った。

「その雑誌、漆原さんのですよ」

「えっこれ、漆原さんのなの?」
表紙には、特集タイトルが赤字で大きく斜めに走っている。
嫉妬に狂う女。

「漆原さん、こういうの読むんだあ。なんか意外」
私がつぶやくと、咲ちゃんが膝に乗せた顔を私に向けたまま、からかうように言った。

「だって黒眼鏡巨乳女子なんでしょ」

「そうだね」
私は笑った。


#創作大賞2022

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