青木ヶ原樹海には何かがいる
今時の若い子は青木ヶ原の樹海なんて知らないんじゃないか。
と思って職場のみんなに聞いてみたところ、
若い子どころか同世代も知らなかった。
これは関西だからなのか、はたまた一般的にそんなに知名度がないものなのか。
私にとっては「言わずと知れた自殺の名所」であり、
数年前から樹海に行ってみたい、と言い続けていた夫に対して、
そういう肝試し的な冷やかしでいくのはよくない、と真剣に説得するほど、
観光地というより心霊スポット的な扱いだった。
今から2年ほど前、静岡に行く用事ができ、かといってその用事はすぐに終わるので、急遽どこか他の場所に行こうと話す中で出てきたのが「樹海」だった。
何年も言い続けるくらい行きたいならこの機会に行ってみようということになり、出発前日の夜、私たちの樹海行きは決定した。
ネットで軽く調べたところ、樹海をきちんと散策しようとすると
6、7時間のコースになるらしい。
時間的にも体力的にもそれは無理があるので、
今回は1時間で軽く散策できる西湖ネイチャーセンターをスタート地点とするコースを選択した。
15時にネイチャーセンターに到着。
建物の前でガイドのおじさんに話しかけられ、当初は自分たちだけで回る予定だったがどうせならガイドしてもらおうということに。
ガイドは15時半からだったので、ひとまずコウモリ穴を見学することにした。
コウモリ穴はネイチャーセンターから歩いてすぐのところにある
富士山麓の溶岩洞穴の中でも最大規模をほこる洞窟。
864年から866年にかけて発生した富士山の噴火で流れ出た溶岩が外気に触れ、その爆発時のガス成分が発散しながら固まり、洞穴の内面に鍾乳石や縄状溶岩をつくったとのこと。
洞穴内の環境がコウモリの生息に適しかつてはコウモリが多く棲息していたため、コウモリ穴という名称がついている。
今現在もコウモリはいるが見学の際にその姿を見ることはないらしい。
コウモリ穴は樹海の中にあるので当然そこに行くまでに樹海を通る。
私の想像していた樹海は入り口がいくつかしかなくて、
そこからしか入れないような公園のようなものをぼんやり想像していたのだが、実際は広大な樹海の中には当たり前に立派な車道があるので、
右に樹海、左に樹海を見ながらネイチャーセンターにたどり着いたし、
入ろうと思えばどこからでも入れるのだ。
ただしコースとして整備されていないところからもし入ったならば
恐らく出てくるのは困難だろう。
コウモリ穴は入場料がいるので、ゲートのようなところから入る。
そこから先には樹海が広がっている。
初めて足を踏み入れる樹海は思っていたようなおどろおどろしさは全くなく、もののけ姫の世界のような美しい原生林が広がっていた。
苔が辺り一面を覆い、地面のあちこちに洞窟のような穴がある。
奇妙な形の根っこやつる、自然と倒れたであろう木。
新鮮な空気を楽しみながら歩くこと3分ほどでコウモリ穴に到着した。
若干閉所恐怖症気味の私にとって洞窟は興味はあるが苦手な分野だ。
幸い学生の団体と同タイミングで入ったため洞窟内は賑やかで、
静寂な世界の怖さを感じることはなかったが、それでも中腰じゃないと進めない洞窟の狭さに物理的恐怖を覚える。
とりあえず全体を見れて満足はしたのでそそくさと洞窟を後にする。
ネイチャーセンターに戻りガイドの方に声をかける。
その時間のツアーに参加するのは私たちだけだったので
3人で樹海の散策コース入り口に向かって歩き出す。
入り口の前でガイドさんが丁寧に樹海の成り立ちや特徴を教えてくれる。
青木ヶ原樹海は有史以来最大と言われる864年の「貞観の大噴火」により流れ出た膨大な量の溶岩の上にできた針葉樹と広葉樹の混合林である原生林。
溶岩流に覆われた大地は、5〜6年は樹木も生えず、生物も生きていけない状態となり、200〜300年経っても少しずつ植物が見られる程度にしかならないらいしい。
その後ゆっくりと樹木が生育し始め、今の森のようになったのはおよそ300年ほど前とのこと。
1150年というおそろしく長い時間をかけて死の大地はこのような森に姿を変えたのだ。
ガイドさんは富士山付きが高じて神奈川から引越してきたとのことで、
富士山の話をしだすと止まらない。
それ以外にもたくさんの楽しい知識を教えていただき、いざ樹海へ。
樹海の中の木はほとんどがヒノキと栂(ツガ)であり、
なぜそのような生態系になったのかも丁寧に教えていただきながら道を進む。
森の中はすでに薄暗くなっており私たち以外誰もいなかったが、ガイドさんがいてくれることもあり怖さは全くなかった。
道のあちこちにキノコが生えていて、ベニテングダケやサルノコシカケなど、写真では見たことがある植物を実際に見るのは不思議な感覚だった。
来る前にネットでチラッと見た、リスが食べた後の松ぼっくり・通称「エビフライ」もガイドさんが発見して見せてくれた。
楽しいウンチクを聞きながらの森歩きは想像以上に楽しかった。
ふと遠くに目をやると、一匹の鹿がこちらを見ていた。
あまりにきれいなシルエットだったので一瞬置物かと思った。
ガイドさんに「鹿がいます」というと「ホントだ、珍しい」と驚いた。
その時また別の場所に何かがいる気配を感じて「あっちにも何かが、」と言いかけたのが、そちらを見ると一瞬白いブルゾンに見えたので「あ、あれは人間ですね」と再び鹿に目をやった。
しばらく鹿はこちらをじっと見ていたが、突然走り出し、
先ほど人がいると思った方に向かっていった。
するとそこにいた人だと思っていたものもすごい速さで動き、
あっというまに2匹(?)は森の中に消えていってしまった。
「鹿の他にも何かいましたね」
「なんかいたなぁ」
私とガイドさんはそれが何かはわからなかったが、とりあえず何かが鹿と一緒にどこかに行ったのをあっけにとられ見ていた。
ガイドさんでも鹿を見るのは珍しいらしく「今日の日誌に書いておこう」と楽しそうに言っていた。
それからも木の出すガスの話、きのこの胞子の話なんかをしながら歩き、
あっというまに1時間のコースは終わった。
一定の高さの木が連なる樹海を上から見ると、風が吹く瞬間波のように見えることから「樹海」と呼ばれるようになったらしい。
ガイドさんは富士山の5合目でもガイドをしているらしく、そこからだとその様子がよくわかると教えてくれた。
ガイドさんにお礼を言い、行きの車の中で予約した河口湖湖畔の宿に向かった。
暗くなり始めていた樹海では満足のいく写真が撮れなかったので、翌日の朝また樹海に行くことにした。
河口湖の湖畔にある昔ながらのホテルはスタッフの方のおもてなしの心が温かく、昔ながらの食べきれない量の食事は、幼い頃の家族旅行を思い出させた。
あいにく夜はお天気が悪く富士山は見えなかったが、
なんとも言えない満足感で眠りについた。
眠る前、頭の中ではぼんやり鹿と一緒に見たものを思い出していた。
一体あれはなんだったのか。
突然の富士山観光2日目。
昨晩は悪天のため富士山ビューを味わえなかったが、朝目覚めると窓の外には朝日で真っ赤に染まる美しい富士山。
すぐに支度を整えて外に出るも、その時にはもう朝日の光はなくなっていた。
それでも澄んだ空気の中、絵画のような美しさを持つ富士山は、何度シャッターを切っても満足できないほどだった。
これまた昔ながらの豪勢な朝食をいただき、心地の良かった宿を後にした。
今日は富岳風穴近くの入り口から樹海に入る計画だ。
といってもコースを回るのではなく、ほんの少しだけ樹海を撮影し、そのあとは富士山5合目まで車で行くことにした。
こちらのコースの入り口には自殺する人を止める看板がある。
少し進むと「借金はどうにかなるよ」的な看板も。
人が死にたくなる、とはどんな状況なのだろう。その原因のほとんどは人にあるように思える。
朝の樹海は爽やかだったが、こちらのコースのはじめはほとんどが道路から程近いところにあるため、昨日ほどの感動は味わえなかった。
昨日見た何かの気配も全くない。
それでも光の入る樹海の撮影をできたことで、やはり再度訪れた甲斐があったなと満足。
その後富士山5合目へ。
小さい頃に訪れたことはあるはずだがほとんど覚えていない。スカイライン入り口までのまっすぐに伸びる道はワクワク感を増長してくれる。
車を走らせ、まずは5合目の手前にある「奥庭自然公園」へ。
富士山に棲む天狗が、この奥庭を遊び場にしていたという言い伝えも納得の素敵な場所だった。近くから見る富士山の頂上はいつもとは全く異なる印象で何事も体験というのは大事だなと感じる。
先ほどまで足を踏み入れていた樹海も眼下に広がる。
なるほど、緑の海のようだ。
徒歩数分、と書かれていたので楽勝と思っていたが、これがなかなかの坂道。ご年配の方が颯爽と歩く中、ゼイゼイハアハアが止まらない自分たちを恥じる。
5合目はザ・観光地な雰囲気が漂っていて、自分のおぼろげな記憶の中の5合目もこんなだったなと思う。
それまでにすでに富士山を満喫してしまったので、ざっと見渡し、富士山に別れを告げる。
元々関東に住んでいた自分にとって富士山は身近な存在だったのに5合目に来たのは人生で2回目、樹海に入ったのは初めてだった。
もしまだ訪れていない方がいるならぜひ一度行ってみてほしい。
樹海は死の森ではなく生の森だった。
死の大地を覆い隠すように埋め尽くした苔は生きる力そのものだった。
植物は次の世代に繋げるために皆必死で、そこには連綿たる生の積み重ねが見てとれた。
なんとしても生き延びてやる、なんとしても自分の場所を見つけてやる、そんな意思を感じたし、事実そうでなかった植物はひっそりと姿を消した。
もしそこに気力のない人間が訪れたなら、なるほどその人のか弱い生は吸い込まれてしまうかもしれない。
日本で一番高い山が富士山であることが不思議だ。
こんなに綺麗な形で、象徴的で、神々しくて、そんな山が一番高いなんて、神は二物を与えるものだ。
富士山は近々噴火すると言われている。
それは致し方ないことで、どうにか対策をしていかなくてはいけない。
私たちはお互いを尊敬しあい、お互いを理解し、共に生きていくために必死にならなければいけない。
人間も、動物も、植物も、樹海の中にいたよくわからない何かも。
逞しく、諦めず。
そしてそれこそがきっと美しい営みなのだろう。
だから樹海や富士山は美しいのだ。
結局樹海の中でみた何かがなんだったのかは今でもわからないが、それ以来古くから木々があるところには何かがいるのだと感じるようになった。
この世界にはまだまだ不思議が潜んでいる。
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