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育った街が朽ちていく

年末年始で実家に帰った。昭和に造成された、直方体のコンクリートの集合住宅が集まったニュータウン。開発から何十年経っても、名前はニュータウンのままだ。

近所に観光名所や郷土料理があるわけでもない。何の変哲もない、全国にごまんとある街。サラリーマンが専業主婦の妻や子供達と暮らすためにローンを組んで買った、団地に限りなく近いマンション群。富裕層もいなければ貧困層もおらず、子供の頃の駐車場には白い地味な国産車がずらりと並んでいた。

一億総中流を体現したようなこの街の閉塞感が嫌で、中学生の頃には東京に出ることだけを考えていた。ブラウン管の中の東京は輝いていて、刺激的だった。くだらない校則を押し付けてくる教師に反発して学校の授業をサボっても、この街を抜け出すための最速のチケットを得るため、放課後の塾には熱が出ても自転車を漕いで通った。

あれから何年が経っただろう。
駅に降りると、寒々しさが身に染みる。冬の気温のせいだけではない。個性の欠片もない均質なマンションの外壁は揃って煤けていて、商店街はシャッター街と化していた。植木に申し訳程度に巻きつけられたLEDのイルミネーションが、より侘しさを際立たせる。

街は生き物だ。新陳代謝がなければ、朽ちていくばかりだ。子供の頃、水泳を習っていたスポーツジムは閉鎖していた。設備が老朽化し、多額の費用を投じて刷新しても採算がとれないと判断されたらしい。この街にすむ高齢者達は健康を維持するために震えた手でハンドルを握り、おぼつかない足でアクセルを踏んで隣町のジムを目指す。

国からの補助金でも使ったのだろうか、遊具だけ新しくなったものの、子供の姿が見えない公園。耐震工事で柱が補強された以外は30年前と何も変わっていないように見える小学校。どこをどう歩いても、街が呼吸をしているようには見えなかった。

全国どこにでもあるような、チェーン店の居酒屋で友人達と飲む。ほとんどは大学で東京に出て、そのまま東京で職を見つけ、家庭を築き、年に1.2回帰省するだけ。まだ地元に残っているのは、教師か公務員しかいない。

もっとも、子育て世帯である彼らもエレベーターがないような古びたマンションには住まず、車で少し離れた所に戸建てを買っている。地元出身者にすら見捨てられた街。格安で投げ売りされた空き家には最近、ベトナム人が住みつくようになったらしい。金を稼ぐために海を渡った異国の若者達は、高齢者だらけのこの街をどう見ているのだろうか。

「荷物もあるし、いまさら引っ越さないよ」親とは何度同じ会話を繰り返しただろうか。こちらとて、子育てで手一杯の中、老いた親の面倒を見るあてがあって聞いている訳ではない。一応親のことを気にかけているというポーズをとる息子と、子供に心配をかけまいと気丈に振る舞う親。これは優しさなんだろうか。いつから実の親に気を遣うようになったのだろうか。

久しぶりの来客に張り切っているのか、それとも脳内のイメージが高校生の時点で止まっているのか。食べきれないボリュームの料理を前に、あと何度ここで食事を食べられるのだろうかと思うと、ビールが少し苦くなった。

東京が好きだ。どの駅で降りても常に工事現場があって、巨大なクレーンが鉄骨を組み立てている。ラーメン屋が潰れたと思えばインドカレー屋が居抜きで入って、8000万円だったマンションが1億円になっている。街が生きている証拠だ。でもあの繁栄は、寂れた故郷の景色と表裏一体だ。後背地に吸い上げる若者がなくなった時、かつて憧れた東京の輝きは続くんだろうか。

故郷は育った街ではあるが、愛着はない。親がいなくなれば、わざわざ訪れることもないだろう。でも、人並みに郷愁はある。いつか年老いた時、思い出すのは子どもたちで賑わっていた頃の幼き日の光景なんだろうか、それともこの年末年始に見た、枯れた景色の方だろうか。僕はその時、何を思うんだろうか。



※老いたニュータウンに残った側の人たちの物語。朽ちた街の資産価値や地元に残らざるを得なかった人々の生き方という重いテーマに挑んだ傑作なのでみんな読もうな!

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