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能町みね子『結婚の奴』を読んで考えたこと。

※ネタバレになることも書いてあるので、気になる方は
本を読んでから、読んでください。

能町みね子さんについて、僕が知っていることといえば、
時々やっている深夜の番組『久保みねヒャダ こじらせナイト』で
鋭くも面白いコメントを言う人というくらいで、著書は一度も読んだことはなかった。

元OLであることも、元男性で現在は身体上も戸籍上も女性であることも知らなかった。

この本は王様のブランチで特集されていて、
「ああ、これ絶対好きなやつだ」と思って、手にとってみて、
まんまと面白くて一気に読んでしまった。

この本は、能町みね子さんが、「結婚」をするため、
知り合いのライターであるゲイのサムソン高橋さんと同居するまでの話である。

事実に基づいたエッセイなのだろうけれど、僕はこれを私小説だなと思いながら読んだ。

本作は能町みね子さんとサムソン高橋さんが恋愛感情を挟まずに「結婚(同居)」をするまでの話が主に描かれているのだが、そこまでに至った能町さんの赤裸々な過去の男性経験、そして最も愛した人との別れが描かれていて、
読者はあたかも、能町さんに同化したり、客観的に能町さんの心情を分析したりしながら、この作品を読み進めていかなければならない。

こういう読み方は、普通、エッセイでは行わない。
なぜなら、エッセイは基本的にわかりやすく描かれるため、作者の心情を深読みすることなんてほとんどないからだ。
しかし、能町さんのこの作品は、深読みをせずにはいられないわかり辛さ(魅力)がある。

能町さんは、自分の気持ちを正直に論理的に描きながら、この物語を語っていく(語り口の随所に毒とユーモラスがあり非常に楽しい)。
能町さんが「結婚」をしたくなった理由は、普通の人とはちょっと違う。
能町さんは、1人暮らしを20年以上続けてきた中で、自分のために料理をすること、自分のために掃除をすること、自分のために何かをすることができなくなっていた。
そして、一人きりになると「考えることが暗いこと」ばかりになってしまう。

こんな状態ではダメだと年に数回友達を部屋に呼んで「手伝わなくていいから部屋にいてほしい」と言って、ただ座って漫画を読んでもらいながら、自分は部屋を掃除していた。
能町さんは「仕事や生活を立て直すために誰かと同居するべき」だと気がつく。
しかし、恋愛を通した結婚は、今までの経験から「無理」だとわかっていた。
そこで、お互いに恋愛感情のない「結婚」を能町さんは思いつく。

「そういう結婚の内臓のようなものは全部取っ払った、事務的な、お互いの生活の効率性のためのような結婚、これはいい。その結果がいまいちだったらすぐ離婚していい。人を食ったような結婚がしたい。」

そして、「ゲイの誰かと恋愛なしで結婚すればいい」という「革命的な案」を思いつき興奮する。

そして選ばれたのがゲイライターのサムソン高橋さんだった。
ゲイでデブ専でフケ専のサムソン高橋さんを「理想の相手」だと気がついた能町さんは、さっそく、ツイッターでアプローチし、「結婚(同居)」はどんどん具体的になっていく。

デートやプロポーズなどの「恋愛プレイ」で徐々に親密になっていくけれど、
サムソン高橋さんが他の男性との付き合いを持つことに対して嫉妬心は湧かない。
やはり、自分の選択は正しかったと能町さんは確信する。

「恋愛」がうまくいかないのだから、「恋愛」が絶対にはさみこまれることのない「結婚」をすればいい。
読み進めるうちに、この能町さんの結論を、能町さん自身が本当はどう思っているのかを考えさせられる。
例えば、仕事や生活を立て直すための同居が必要であれば、「ルームシェア」でもいいのだ。
自分と同じ年齢の人たちは「おおかた結婚して子供までできていて、同居できる人が選択肢に浮かばない」
とあるが、僕は、「久保ミツロウさんは……?」と思ってしまった。
能町さんの行動力であれば、久保さんがダメだったとしても、誰かしらルームシェアをしてくれる同性は見つかっただろう。
しかし、その可能性は早々に能町さんの中から切り捨てられる。

なぜ、能町さんが「結婚」にこだわるのか。
それは、本書に何度も何度も書かれている。

「私だって別にいまの生活に大きな不満があるわけじゃないのに、
いずれするべき結婚をあなたはまだしていないという前提で話を
進められることがある、これが非常に面倒くさい。」

「なんで未婚であることでこんなに引け目を感じなきゃいけないんだ、
結婚なんて紙切れ一枚じゃないかよ……。」

「私は恋愛だとか結婚だとかに極めて大きな価値がある、しかも若いほどそれは成就しやすい、というあまりにも凡庸な観念を頭からこそげ落とせていない。」

また、大学のサークルで出会った堀内に「子供を産まないと女ではない」と言われた時は、
「さっさと平凡な恋愛を済ませ、できることなら早めに結婚して、世間の代表格のこんなやつを出し抜き、
世間に埋もれてしまいたい。」と決心し、ネットで知り合った男性と付き合うことになる。

僕には、能町さんの女性としての普通の欲求「恋愛がしたい!結婚がしたい!……でも」という感情がどうしてもこの作品から読み取れてしまう。

どうして、能町さんはサムソン高橋さんでなければいけなかったのか。
能町さんはサムソン高橋さんがゲイであり、お互いに恋愛感情が沸かないからと言う。
確かにサムソン高橋さんは、女性である能町さんに恋愛感情は抱かないだろう。
けれど、女性である能町さんが、絶対にサムソン高橋さんを好きにならないという保証はないのだ。

この作品を読んでいるかぎり、能町さんは、サムソン高橋さんと一緒にいる時に「幸せ」を感じるようになる。
そして、寝る前に「憧れた男の人の顔を思い浮かべて寝る」という習慣をやめるようになる。
サムソン高橋さんのいびきを聞きながら、「この人がいきなり死んだら私はもうめちゃくちゃ悲しいという
段階に入ったんじゃないか、と考えはじめ、これはやや計算外だ、ヤバいな、と思う」のだ。

能町さんは、サムソン高橋さんを異性として好きになっていく。
けれど、サムソン高橋さんは能町さんが異性だからこそ好きにはならない。
好きになってもらえないことがわかっているからこそ、期待しなくていい。
嫉妬しなくていい。
心に分厚い予防線をはって、能町さんは、この「結婚」を続けるのだろうか、と思うと切なくなった。

しかし、今時、恋愛感情のない夫婦なんて山ほどいるはずだし(大半がそう?)、
超弩級に「こじらせている」能町さんとめちゃくちゃ優しいサムソン高橋さんは
いずれ本当にお似合いの夫婦になるんだろうなと思った。

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