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サクサクうんちのマーメイド

 虎になる夢を見ていた。

 縦横無尽に野山を駆け巡り、象を捕食し、巣でテキーラを呷る。
 夢の中で私は、王者だった。

 目が覚める。
 鏡の前にはいつもの自分。

 それでもなにか、心持ちが違った。

 本当は自分はすでに虎なのかもしれない。心のどこかで少しだけ、そんなふうに思った。






「バビボラちゃん、いつになったらみんなと同じように出来るようになるの? もう半年以上あなたのお世話をさせられてるアタシの身にもなってよね!」

「スマソ⋯⋯」

 現実の私は虎とは似ても似つかない、いつまで経っても仕事が出来ない冴えない女。虎になるなんて夢のまた夢だった。

 私はただの、サクサクうんちのマーメイドだ。

 先輩たちはもちろんのこと、最近入ってきた新人の子でさえも、私以外のマーメイドは全員、モチモチうんちを出すことが出来た。

「あーぁ。ワイ、なんでこうなんやろなぁ⋯⋯」

 忙しなくモチモチを量産する同僚たちの邪魔にならないように、私は海面へ向かった。

 岸に上がり、足を二股モードにしてぺたぺたと歩く。

 この砂粒たちだけだ。私なんかにくっついてくれるのは。まるで足で朝マックを食べた人のような、粉まみれの足裏に仕上げてくれる。

「お、バビボラじゃん。厨房はいいの?」

 喫煙所に着くと、涼介先輩がいた。右手に缶コーヒー、左手に缶コーヒーを持っていた。どちらも蓋は開いていないようだった。

「いいっていうか、どうせワイがいても邪魔になるだけだし⋯⋯」

 私がそう言うと、先輩は左右の缶コーヒーを持ち替えて口を開いた。

「いいか? 俺たちマーメイドはな、うんちを出してナンボなんだ。モチモチうんちが出せないからって、サボっていい理由にはならないんだぞ」

「でもさ、ワイ以外1人残らず全員モチモチ出してて、ワイは、ワイだけが⋯⋯」

「そりゃあ今いるヤツらは優秀かもしれないけど、あいつらにもサクサクうんちしか出せなかった時期もあったわけだ、お前の気持ちはよく分かってるはずだぜ」

「でも、みんなすぐに出せるようになってるのに、ワイは1年以上経っても出来ないから⋯⋯」

「なぁバビボラ」

「なんや?」

 先輩がコーヒーを持ち替えた。

「俺、来月から虎になるんだ」

「えっ」

 先輩の衝撃の告白に、私は吸っていた5本のタバコを落としてしまった。

「来月ってもう、4日後やんけ!」

「ああ。だからこうしてお前と話せるのもこれが最後かもしれないんだ」

 そう言って先輩は右手の缶を開けた。

 先輩⋯⋯

 中の下くらいだと思ってた先輩が、虎になるなんて。私なんてまだサクサクうんちのマーメイドなのに。

 先輩⋯⋯

 いったいどんな手を使ったんだろう。中の下くらいのはずなのに。どんな手を⋯⋯

「最後にお前にアドバイスをしようと思う。よく聞いてくれ」

「はー」

 虎になれるようなマーメイドじゃないのに。

「バビボラ、とにかく仕事はサボるな」

 中の下の先輩が⋯⋯

「それと初歩中の初歩だけど、先輩には敬語を使え。俺はいいけど、気にする人も多いからさ」

 いったいどんな手を⋯⋯

「⋯⋯うわ、もうこんな時間! そろそろ仕事戻らねーと!」

 そう言って先輩が缶コーヒーに口をつけた。
 次の瞬間、先輩の顔が歪んだ。

「苦っ! なにこれ怖っ! 苦っ! 黒っ! ちょっと酸っぱい! あっ、時間やば! 苦っ! じゃあなバビボラ!」

「じゃあね〜」

 歪んだ顔のまま去っていく先輩を見ながら、タバコを5本咥えて火をつける。

 ふーっ。タバコうめー。

 先輩、すごい顔してたなぁ。コーヒー知らんのかな。まああれだわ。虎になるからって調子こいてるからだわ。ざまみろ。へっ。

 あと5本だけ吸お。

 それにしても先輩、どんな手を使ったんだろうなぁ。私も早く虎になりたいよ。豪遊したい。

 そのためには仕事だな! なにより仕事!

 でもあと5本だけ吸お。

 それにしても、サクサクうんちってどういう原理なんだろう。水中で出してるのに毎回サクサク音がするの、絶対おかしいと思うんだよなぁ。

 あと5本だけ吸⋯⋯あ、もうないわ。






「あと、ファミチキもください。あ、レジ袋も」

「かしこまりました。えーっと⋯⋯タバコ、こちらで合ってますかね?」

「合ってやす」

「それでは3点で、8円になります」

「クレジットカードで」

「はい、ではこちらに差し込んでください」

「あいよ」デロンッ

「ありがとうございましたァァァアアアアアアアアアアーーーーーーーーッッッ!」

「うるせぇ!」

 店を出ると、前の道を霊柩車が通り過ぎて行った。よくこういう時は「手の親指を隠さないと親の死に目に会えない」と言うが、私にはあいにく親指がなかった。以前ヤのつく職業をしていて、辞める時に切断したのだ。

 ちなみに、ヤのつく職業とはヤクルト鑑定士だ。客の持ってきたヤクルトが本物かどうかを見極め、偽物を持ってきた客を警察に突き出すという仕事だった。

 あれは仕事をサボって、飲み終わったヤクルトの容器を両手の親指にはめて1人で遊んでいた日の夕方の出来事だった。

 インターホンが鳴ったので出てみると、なんと社長が来ていた。親指にヤクルトをはめて遊んでいるところを目撃されたらとんでもないことになると思った私は、必死に時間稼ぎをしながらヤクルトを引っ張った。

 しかしヤツらはビクともしなかった。

 5分が過ぎ、10分が過ぎ、社長の機嫌が悪くなってきた。

「僕が急に来たから頑張って片付けてたんでしょ? テキトーでいいからそろそろ入らせてよ。すぐ終わる用事だから。僕の家だって普段は多少散らかってるし、気にしなくていいからさ」

 そんなようなことをインターホン越しに1時間言い続けた社長は、ついに実力行使に出た。

「開けなさい! 開けないとクビにするにょ!」

 あまりにもすごい剣幕で怒っていたので、私は親指にヤクルトをつけたまま玄関を開けてしまった。
 そんな私をひと目見て社長は「キャーーーーーー!」と叫んで1回倒れてまた起き上がった。

 この時、私はあまりの恐怖にうんちを漏らした。この時漏らしたうんちがとんでもなくサクサクだったため、即座にマーメイドになると決意したのだった。

 マーメイド試験はサクサクうんちが出せないと合格出来ないのだが、なんの努力もなくサクサクうんちを出したとあれば、もはやマーメイド以外に目指すべきものはないのだ。

 結局社長は許してくれたのだが、私がサクサクうんちを出したことを伝えると、「なにィ!? ならばすぐに退職すべきだよ! いやぁ、うちの会社からマーメイドが出るなんて僕は鼻が高いよ! いつか虎になったらまた会いに来てくれるかい?」と喜んで送り出してくれた。

 その際、どれだけ頑張ってもヤクルトが取れなかったので救急車を呼んでもらった。病院に着いて、白衣を着た男性に「手遅れですね、切断です」と言われた時は頭が真っ白になったのをよく覚えている。

 頭真っ白なのによく覚えてるって、マーメイドの脳って不思議。

 なんでもその時は両手ともヤクルトに入っている部分が鬱血していて、社長と4時間くらいマーメイドの話をしていた間に手遅れになってしまったのだという。

 これが3年前の話。懐かしいことを思い出しながら歩いてたらいつの間にか海岸まで来てたわ。

 さっきの霊柩車が停まっている。何かあったのだろうか。

 気になるけれど、タバコをあと5本だけ吸う予定があるので私は喫煙所に向かった。

 ふーっ。タバコうめー。

 それにしても先輩のやつ、どんな手を⋯⋯

 あーあ、私も頑張って虎にならないと、気持ちよく送り出してくれた社長に合わせる顔がないよなぁ。頑張んないとなぁ⋯⋯

 あと5本だけ吸お。

 タバコに火をつけてふと霊柩車のほうを見ると、知らない男数人と涼介先輩が真っ青な顔をして立っていた。

 直後、長いクラクションが辺りに響き、霊柩車が発進した。
 知らない男たちは軽く先輩に頭を下げるとどこかへ走り去っていった。先輩はまだ同じ顔をして立ち尽くしていた。

 気になったので火を消して先輩の方に行くと、彼はこの世の終わりのような顔をしていた。

「どうしたの先輩」

「お⋯⋯お⋯⋯」

 目の焦点が合っていない。

「お?」

 タバコが美味くなりそうな予感がする。

「お、俺のうんち⋯⋯お客さんが⋯⋯喉に詰まらせちゃって⋯⋯」

 なるほど、今の霊柩車がそれか。

 私はタバコを5本咥えて火をつけた。

「なぁバビボラ。俺、どうなるんだろう⋯⋯」

「うーん⋯⋯」

 私には答えることが出来なかった。今まで死者が出たことなどなかったからだ。

「まあ一応製造者だし、責任はね⋯⋯いやでも会社の責任になるのかな⋯⋯やっぱ分からんわ。ワイそんな賢くないし」

「はぁ⋯⋯」

 頭を抱える先輩。タバコが美味い。

「なぁバビボラ⋯⋯タバコ1本貰っていいか?」

「え、やだよ。ワイが5本ずつ吸ってるの知らんの? お前。最後4本になってまうやん」

「そうだったな、ごめん。ホントダメだな、俺って⋯⋯」

 お腹のポケットからハンペンを取り出し、涙を拭う先輩。どうせ嘘泣きだろう。どんな手を使ってでも虎になろうとするような奴なんだから。

 さて、あと5本吸おうかな。

「バビボラちゃん!」

 海の中から声がした。この声は⋯⋯

「勝手に厨房を離れないでよ! 店長すごく怒ってるよ! あと喫煙所の外でタバコ吸うなって何回言ったら分かるのよ! 半年以上言ってるわよね! ほら、はやく戻るわよ!」

 そうだ、この人は冒頭でなんかめっちゃ怒ってた人だ。半年っていうワードで思い出した。

「あと涼介くん、店長が呼んでるよ。本社から連絡が来たって」

「⋯⋯分かった」

 先輩はさっきより青い顔になって海へ飛び込んで、半年怒り女のあとに続いた。

 私はタバコを5本吸ってから戻った。理由は後ほど説明するよ。






「〜というわけで、本社から連絡が来ました。今回の件で〜」

 厨房に戻ると、ちょうど店長の話が始まるところだった。厳密には私がタバコを吸っている間にすでに始まっていたのだが、本題に入るまでの要らん話をしていたに違いないので、私がタバコを吸ってから戻ってきたのは正しかったはずだ。

 店長の話によると、今回の件では涼介先輩を責めることはせず、会社全体で誠意を見せるということになったらしい。

 対応としては、1ヶ月間のモチモチうんちの提供自粛と、再開した際には「お子様やご高齢の方はたべないでください」と注意書きを徹底する、ということになった。

 もちろん、先輩が虎になる話もなくなった。

 誰のうんちが詰まっていてもおかしくなかったため誰も先輩を責めることはしなかったが、先輩は自分を責めた。

 翌日、先輩が自宅で首を吊って死んでいるのを交際相手が発見した。

 私は葬式には行かなかった。いや、行けなかった。
 私はあの後、1人で出勤して毎日サクサクうんちを出していた。自粛対象はモチモチだけで、サクサクは対象外だったのだ。

 当たり前といえば当たり前だが、やはりモチモチに慣れきった現代人たちは、サクサクうんちでは物足りないと言ってきた。

 そんなある日、覚えのある顔が現れた。ヤクルト鑑定士の会社の社長だった。
 彼はサクサクうんちをものの数十分で平らげ、大声で「うんまい!」と言い放った。

 その場にいた客たちは皆騒然となった。

 世論では「サクサクはモチモチの下位互換」「サクサク好きはかっこ悪い」「モチモチこそ至高」という意見が多く、サクサクを褒めることが悪とされる風潮があったからだ。

 しかし、皆思っていた。

「モチモチもサクサクも、どっちも美味いやんけ」

 勇気ある者が立ち上がり、社長に続いた。

「せやせや、サクサクは美味いんや」

「モチモチより美味いまである」

「これからはサクサクの時代や!」

「サクサク イズ フォーエバー!」

「サクサク イズ スーパーマン!」

「サクサク イズ ニューヨーク!」

 客たちは次々に立ち上がり、今まで隠してきた本心を叫んだ。

 私のサクサクうんちが認められた。

 いつも劣等感の象徴だったサクサクうんちが、世間に認められた。

 皆の拍手でそう実感すると、途端に涙が溢れ、止まらなくなった。

「みんなありがとう。もっと出すからたんと食ってってくれい!」

 私はバビボラ。

 サクサクうんちのマーメイド。

 サクサクうんちは、私の武器だ!

 虎を目指して頑張るぞい!!!!






 1ヶ月後、モチモチうんちの提供が再開された頃、私は虎ではなく、天狗になっていた。

 この1ヶ月間、ありえない人数に褒められたからだ。今まで前職の社長にしか褒められたことがなかった女がいきなり9億人に褒められると、こうなるのだ。

 今夜、私はここから飛び立つ。
 天狗の仕事に就くために。

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